第4話 雨に濡れる町

「もしよければ、君の事教えてほしいな。」

 僕はそう言ってからおかしな質問かもしれないと思った。全身の神経が緊張する。心臓が勝手なリズムで鼓動する。僕はいったい今どんな顔をしているだろう。想像することすらできなかった。

「私の事?」

 彼女は首をかしげた。

「そう、君の事もっと知りたいなって......」

 僕はもっと慎重になるべきだと思った。しかし、僕の口は理性を無視していく。

「なんで私のことが知りたいの?」

 言葉はすぐに出てこなかった。僕は何とか言葉を紡ぎ出そうと自分を落ち着かせた。

「それは、興味があるからだよ君に。僕自身が。誰かに頼まれたとかじゃなくて。」

 確かにそれは事実だったが、ほとんど反射的に出た言葉だった。今日は調子が悪い。きっとこの湿気のせいだ。蒸し暑い空気のせいで頭の調子が微妙に狂ってしまっているのだ。

「私ってそんなに魅力的かしら?」

 彼女は白い歯を一瞬見せると、また遠くの街並みに目をやった。僕はただ、少し首を縦に振った。

「あなた名前は? 一方的に情報を得ようなんて、なんだか事情聴取されてるみたいじゃない?」

 いわれてみれば僕はまだ名乗ってすらいなかった。

「そうだね。ごめん......。黒川陽一よういちっていうんだけど。瀬田さんは下の名前は何ていうの?」

美月みづき。」

「美月ちゃんか。かわいい名前だね。」

 彼女は冷めた目でこちらを見た。僕は「かわいい」は少し子どもっぽかったのかなと思った。

「あんまり名前で呼ばれるの好きじゃないの。」

 彼女は静かに言った。

「ああ。ごめんね。でも素敵な名前だと思うけどな。」

「ふうん。」

 セミの鳴き声、部活の声、青空、入道雲。夏はすでに始まっていた。

「瀬田さん、夏は好き?」

「ええ。暑すぎるのは嫌だけど、明るいのは好きよ。」

 僕のの頭の中に「好きよ」という言葉だけが響いた。僕はやはり恋をしているのかもしれない。それともある条件がそろえば彼女でなくてもこんな感情になるのだろうか。

「あなたは?」

「僕も好きだよ。夏。冬みたいに退屈しないからね。」

 分厚い雲が日差しを遮り、いくらか暑さが和らいだ。

「瀬田さんは男子と付き合いはあるのかな?」

 もしそうだとしたら、僕はどうするつもりなのだろう。

「今、あなたと付き合ってるわ」

 もちろん言葉の解釈のすれ違いである。僕はそれに気が付くまで、目をくるくると動かしていた。

「そういう意味じゃなくてね。その......、恋愛してるかどうかってこと。」

 彼女は風に吹かれた髪を指手梳かした。雲から日が顔を出し、僕らの影を作り出した。

「そういうのよくわからない。男の人を好きになるのってどういう感覚なのかしらね。」

「瀬田さんは女の人が好きなの?」

 彼女は薄い目をして僕を見た。

「女の人にも男の人にも、恋したことなんてないんじゃないかしら。」

「そうなんだ。」

 僕は安心したと同時に、寂しい気持ちになった。

「あなたは? 恋してるの?」

「僕もよくわからないんだ。でも、もしかしたら君に、そう君が初めてかもしれない。」

「私に?」

 僕は俯いた。夏が僕を暑くさせているのか、夏以上に僕が熱を持っているのか、とにかく暑かった。めまいがしそうなほど僕は汗をかいていた。

「恋をするってどんな感じ?」

「本当にそうなのか確かじゃないんだ。もしかすると、もともとあいまいなものなのかもしれないけどね。」

「でもそんな感じがしてるんでしょう?」

 彼女はこの話題について興味があるらしかった。もしかしたら僕のように彼女に惹かれた者にはこの質問が用意されているのかもしれなかった。

「この質問ほかの人にもしたことあるんじゃない?」

「いいえ、きっと初めて。」

「なんで僕だけなのかな? 瀬田さん綺麗だからいろんな人に告白されるんじゃない?」

 彼女は上を見て首を回した。

「雰囲気じゃないかしら。あなたがそういう雰囲気を持っているから。人によって会話の内容は変わるでしょ?」

 僕の持っている雰囲気が彼女にどんな影響を及ぼしていて、それがどのような会話につながっていくのか僕にはわからなかった。

 

 僕の鼻先に水滴がはねた。


 次の瞬間、激しい、シャワーのような雨が町に降り注いだ。僕らは荷物をもって、錆びた鉄製のドアへ駆け込む。部活をしていた生徒が声を上げながらグラウンドからはけていく。ドアノブを勢いよく閉める。その迫力のある音は。下る階段へいくらか響いていった。

「ひどい夕立だ。」僕はバックからタオルを取り出し頭に無造作にこすりつけた。彼女は制服に着いた水滴を払っていた。二人は階段に腰を下ろした。

「タオル持ってる?」

「ええ。」

彼女はリュックから柄の着いた正方形のタオルを取り出すと、撫でるように髪の毛を拭いた。黒く長い髪は雨に濡れてさらにつやを出していた。

「拭いてあげようか。」

 その言葉は当たり前とでもいうように自然と口から出た。やはり今日の僕は何かがおかしいのだ。

「大丈夫。自分でできる。」

 そういうと彼女は腰を浮かせて、僕から少し遠のいて座りなおした。雨が屋根をたたきつける音が聞こえる。なぜだかその音は僕を心地よくさせた。

「さっきの話だけど......」

 僕はそっと口を開いた。

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