第2話 She is ......
彼女は飴玉をカロカロとなめながら遠くを見つめている。一瞬オレンジのさわやかな匂いがした。彼女の視線の先には面白くもなく、静かでもない町並みが広がっている。きっと彼女の目はこの町を映してはいない。僕は口を開く。
「ねえ、何を見てるの?」
彼女は冷たい目でこちらを見て「別に」と呟いた。それから一拍おいて、
「何も考えずに遠くを眺めてるだけ。考えると悲しくなっちゃうから。」
と僕の方を見ずに言った。
「ああ、そうのなの。」
我ながら情けない声だと思った。彼女の目はガラス玉のようにいろんな光を反射させている。悲しそうな目。目を開いたまま涙を一滴流す彼女の横顔が想い浮かんだ。
「何がそんなに悲しいのかな?」
幼い子を慰めるような台詞だなと思った。
「さあ、わからない。」
というと足元にある軽そうなリュックを肩にかけた。
「じゃあ、私帰るから。」
「あ、うん。じゃあね。」
反対に振り返るともう後ろ姿だった。ドアを閉めないで彼女は去っていった。僕はまた一人になった。
自室のベットに寝ころび、今日の出来事を振り返る。目をつむって映し出されたのは透き通った瞳。今までにない複雑な感情が湧いてきた。例えるなら大切な精密機械を慎重に、丁寧に分解して崩してしまいたいような衝動。僕は彼女にきっと惹かれている。だけどそれだけではない。そんな気がした。
明日の予習をしようと鞄から教科書を取り出す。僕は勉強が好きではない。わけのわからない問題をなんとなく解いてみる。正答率は悪くはない。それでも理解した気にはならなかった。僕はなぜ理解できないのかを考えてみた。きっと理解できる人間とそうでない人間とでは見ている世界が違うんだと思った。そういった違う世界観をつなぐ経路はあいまいで、不思議の国のように出口から出たはずが入り口に戻って来てしまうことだってありえるのだろう。思考は抽象化していって僕の手には負えないものになりつつあった。
気付いた時には、シャツが汗で半分濡れていた。新しいものに着替えて、眠ることにした。
朝のホームルームが始まる前に僕は屋上へ向かった。期待していたが彼女はいなかった。一人屋上の真ん中に立って、深呼吸をする。朝の空気は新鮮な気がした。もうどこかでセミが鳴き始めている。早朝なのに空は真っ青に染まっていた。白く大きな雲が飛行船のようにゆっくりと流れている。
思い返すと僕が彼女を見たのは昨日が初めてだった。もちろん名前だって知らなかった。名前を聞いておかなかったことを少し後悔したが、探そうと思えばまたすぐ会えるだろうと思った。
薄暗い階段を下り、登校してくる生徒たちの流れに乗る。
「おはよう、なにしてんの?」
後から僕に向かって声がした。
「ちょっと人を探しててね」
原田❘
「誰?」
「誰って?」
「誰を探してるんだよ」
「名前もクラスもわからない。」
「なんだそりゃ。一目ぼれでもしたってか?」
僕は少し考えてそうなのかもしれないと思った。
「まあな。」
僕があいまいな返事をするとあきれたようで、「見つかったら俺にも紹介しろよ」と言い放ってどこかへ消えていった。
廊下を歩いている生徒たちにも注意を向けながら他クラスを覗いてみる。傍から見れば挙動不審であることはわかっていたので、彼女がいないという確信を持たないまま次の教室に移る。僕は気が弱いところがある。周りの目を必要以上に気にしてしまう時があるのもそのうちの一つだ。開いている窓から教室の中を横目で見た。僕の視線の先にはイヤホンを付けた黒くて長い髪。すぐに彼女だと分かった。僕の視線は動かずにいた。彼女は目を閉じて音楽に集中しているようだ。すると面倒見のよさそうな女の子が僕に声をかけた。
「もしかして
「あ、いや」僕がまごついていると、
「瀬田さーん、用があるんだってー」と甲高い声で彼女を呼んだ。彼女の目がパチッと電源が入ったように開き、イヤホンを外してこちらへ来る。
「じゃあ頑張ってね。」女の子は満足そうにして戻って行った。彼女は教室から出て僕の目の前にまで来た。怪訝な顔でこちらを見る。
「まさか取り立てに来たとか?」
「え?」
「冗談。」
彼女はスカートのポケットに手を入れた。
「はい、あげる」
蜂蜜と書かれている、飴玉の小さな包みが僕の手のひらに置かれた。今日の彼女は昨日よりやわらかい表情をしている。
「で、何か用?」
「いや、特には、ただ見に来ただけというか……」
彼女はクスッと笑った。
「あなた私のファン?」
「ふぁん?」
「冗談のわからない人ね」
彼女は静かにそういうと自分の席へ戻って行った。僕がそれを見届けると計ったようにチャイムが鳴った。
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