第4話

優秀星民とは、星内の全ての商店がほぼ無料で利用でき、レストラン、病院などでは最優先でサービスを受けることが出来る権限のことである。

10年に一人づつ選ばれるこの優秀星民に選ばれた僕は今ーーーー


クロワッサンを作っている。


家庭科の授業というから予想はしていたが、まさかバターから作るとは…

『男子は容器に入れた牛乳を振って、固まってきたら氷水で冷やす。』

《はい》

もう手が動かない。容器を開けると小さな塊ができていた。あんなにたくさんの牛乳から、これだけ…?

班員の男子の分を合わせても10g程にしかならなかった。

『…出来たか?足りない分は市販のもので補う!!』

えぇーーー…初めからそれでいいじゃん…

女子が作っていた生地にバターを折り込む。この生地には最初から市販のバターが練り込まれていた。何だったんだ僕達の苦労は。

女子はこういうのにも慣れているらしく素晴らしい手際の良さだった。いや、僕以外の男子も何度かこういう実習を受けているのか器用に生地を練っている。勝手がわからない僕はもたもたしているとバターが溶けてきて手がベタベタになった。班員の女子が笑って手伝ってくれた。流石だ。まるでプロ並みの早さだった。

なんやかんや寝かしたり発酵したりで生地を丸めて焼く。どの工程でも僕は足でまといにしかならないため、隅で洗い物をしていることにした。

調理器具を洗っていると香ばしい甘い香りがしてきた。

丸椅子に座り込む。


300年前の授業はもっと机にかじりついて脇目もふらずにノートを取り続ける感じだったけど今はそんな非効率的な授業は行わないらしく、暗記課題は家で、学校での授業はほとんどが実習だ。

ほぅ、と溜め息をつく。


遠くを見る。


窓の外には無数のパイプが空に張り巡らされている。あの中を小さなカプセルが飛んでいる。

赤い星が見える。

僕が少し前までいたところだ。早く地球へ帰りたいと懇願していた、あの頃が懐かしい。


思い出す。

あの日、火星へ着いた時僕は驚いた。

足跡があった。

僕の背よりも大きいそれは僕より前にここへ来た地球人のものではないことは明らかであった。

僕はこのことを地球へは知らせなかった。

知らせることが出来なかった。

僕は唖然とした。

無線が壊されていた。

この宇宙船の無線は壊れると自動的に地球へ連絡が行くはずだが、その回路も引きちぎられていた。カバーである厚さ5センチの鉄板がねじ曲げられていた。その爪痕はめちゃくちゃで地球の野生動物の様だったが、他のところには目もくれず、ただその1点だけをぶち壊してあって、つまりはその生き物に僕やその他の地球人と同等かそれ以上の知能があることは明白だった。

僕はマンガや映画で見た巨大な火星人を思い浮かべた。 NASAの研究で火星には生き物がいるのがわかっているが、それはカビのような生物で知能や文化は無いと言われていた。

僕のミッションはその生物の採取だった。


がさりと音がした。

僕は振り返った。


◆◆◆


『どしたの?』

『へ?』

『クロワッサン。焼けたよ?』

班員の女子が僕にこんがりと焼けたクロワッサンを差し出す。

『あ、うまそ。』

『ダメだよ!!』

『っ!!』

彼女が僕の口を抑えた。…熱々のクロワッサンで。

『……っ!!』

熱い。ものすごく熱い。

『しーっ』

彼女は唇に指をあてて声を潜めた。

『ダメだよ。うまそう、なんて。クロワッサンにそんな言葉遣いしたら怒られるよ?美味しそうって言わなきゃ。』

僕はクロワッサンを飲み込んだ。

『あっ…ん。うん。ありがとう。えっと』

『私、水野 舞。よろしく。』

彼女、水野さんはにっこりと笑った。

『クロワッサン、美味しくできた?生焼けじゃない?』

『うん。』

…あれ?……毒味に使われた?

いや、そんな事より。

本当に久しぶりだった。

生身の女子とまともに会話したのは。

300年もの間、女子だけでなく自分以外の全ての人間と接点を断たれていたのだから。

いいな、水野さん。

うん。いい。

つやつやのツインテールが愛らしく揺れている。

水野さんがほかの女子と話ながらクロワッサンを頬張る。パリパリとしたクロワッサンが机にこぼれるそれを慌てて拾って見られていなかったか担任教師のほうをチラチラと窺っている。口の周りについたクロワッサンをぺろりと舐める。ーーー

いやこんなに凝視しては変態だと思われる。

僕は目をそらそうとした、その時。

水野さんがくるりと振り返った。

僕と目が合うと、彼女は可愛らしく微笑んで手を振った。

僕は手を振り返した。


それからしばらくの間彼女の艶やかなキューティクルと淡いピンク色の頬が頭から離れなかった。




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