赤き異邦人
#1
此処も血の臭いがする。
何処に行こうとこの鼻をつく臭いは付き纏う。もう慣れた。飽きる程に。
こうして血溜まりに沈む相手の姿は未だ息はある。致命傷は外れていたか、とは言え止めを刺す必要は無いか。放置しておけばいずれ息絶えるだろう。
目の前の男は自分から襲い掛かって来ながらこちらを見て後退る。
この辺りのゴロツキだろうが逃げられて仲間を呼ばれては厄介か。
「く、クソッタレ……!」
男は背を向ける。血溜まりに沈む色黒の坊主頭の相方を見捨てて逃げていく。
血相を変えガラクタ散らかる路地裏を走る背後、それを狙って撃鉄を落とす。
狙いを外す不手際はない。
ただ、生き残る為に、他者を殺す。
「が、……っ…………!」
乾いた音が早いか、男は体勢を崩すと前のめりに倒れる。
狙い通り、銃弾は喉笛を貫いた。後は予想通り、喉を抑えて苦しみ、溢れ出る血液に咽びながら。徐々に死に絶える。
十秒もすれば男は動かなくなる。
喉元から血に沈む。真っ赤に染まる薄い服は染み込む側から黒ずんでいく。これで、余計な面倒を見る羽目はなくなる。
死んだか。
見覚えの無い街並みの一角、見知らぬ土地の見知らぬ人、見知らぬ連中に出会し。自らの身を守る為、よく見知った方法で自衛をする。
何処に行こうとこの手の連中は幾らでも集る。お陰で武器と金銭を調達出来そうだ。 剣は人目を引く。
特にこの辺りは剣を帯びている奴なぞ居ない。皆銃を仕込んでいる。
この土地に迷い込んでは見知らぬ異郷、言語も、人種も皆違う。恐らくは、そうなのだろう。
此処はつい先日まで居たあの騒がしい古城などではない。それも、見知らぬ空をしている。
戸惑いはない。昨日までの日常が続くとは思っても居ない。
だが、理由が無いのが不可解ではあった。それに気を回す必要は無いが、やる事は決まっている。
先ずは自らの安全の確保、第二に活動の起点。何処であろうと生きて行かねばならぬのだから余り手段は選んで居られない。
身を潜ませていたら、見られたのが不味かったのか向こうから襲って来たのが僥倖だった。
拳銃を手に入れ、活動資金も恐らくは手に入るだろう。嬉しくも何とも無いがこれで明日一日位は生きて居られる筈だ。
今死んだばかりのそれを弄る。
腰の後ポケットに財布がある。見ると札で厚くなっていて、馴染みの無い文字で書かれたこの男の身分証らしき物と、少量の粉らしき物が入った袋が他に入っていた。何かの取り引きだったのだろう。
この男から奪い取った拳銃には何発か弾が入っている。予備の弾丸は無いようだが当面の自衛には都合がいい。
戦利品を手に入れ周囲を警戒する、と。
「……グ、…………ぅゥ……」
死に掛けた眼で狙いを付ける銃口。
狙いを当てようが外そうが自分は死ぬ。それを解って居ながら尚も突き付ける。
……見飽きた、それも。手負いの獣は止めを刺して置くに限る。
手に馴染む引金は軽く、狙いは疾く正確に。久しく握らなかった拳銃は思い通りに動作した。
乾いた銃声。沈む標的。
在るのは僅かな嘆息と空虚な感情。やはり自分にはこれぐらいしか能は無い。独りでも何処でも生きて行ける。
心臓が動き続ける限りは、死肉を食らってでも生き続けなければならない。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
A国某所、都会の喧騒から外れた下町。車の排気が鼻につくこの田舎町は平穏の裏で身近な死の危険と隣合わせであった。
時に警察の目から逃れて犯罪行為をする輩も絶えないというこの町は表向きの平和を維持しつつも住人たちに日々警戒を強いていた。そんな中、赤と青のパトランプが今日も道端に回る。
騒つく野次馬、老若男女問わぬ肌の色も様々な住人たちが路地裏で起きたとされる殺人現場を見ている。
もっとも、現場は速やかに警察官に抑えられ封鎖こそされては居たが、昼時の街角を騒然とさせるには充分だった。
それを、遠目に見る赤い眼。仏頂面は無感情に野次馬どもを見ている。
年若いよく鍛えられた痩躯、纏った澄んだ気配、物言わぬ静態。炎の様な赤い髪をした青年アルムは先ほど手に入れた皮の上着を着てその場に佇んでいる。
「麻薬の取り引きだってよ」「最近は物騒ね」「ニュータントの仕業じゃないか?」「銃で殺られたらしい。奴らならもう少し派手だろう」
そんな、聞き覚えの無い言語で語られる野次馬どもの話が聴こえる。
青年はこの様な事には別の意味でも慣れていた。他人を殺す事も、異郷に迷う事も一度目では無い。
彼は異界に召喚され、つい先日までそこで不毛な戦いを強いられて来たのだ。
「…………」
青年は踵を返す。興味は元より無いのか、当てなどなくコンクリートの道を行く。道の中央には車の排気、エンジンの唸りを上げ、時にけたたましく音楽を垂れ流しながら我が物顔で道を占拠する鉄の塊が走っていた。
活気こそ無いが町には文明の息吹がある。発達した建築技術による地味ながらも確かな造りの建物の行列、視界の先にまで伸びる黒い石路、鉄の塊を制御する信号の灯り。時に見える店先には食欲を唆る軽食の芳ばしい匂いもある。
先日まで居た世界では考えられぬ物質に満たされた時代、管理の行き届き、表向きだが平穏を保つ町並み。
無法の世界で生きてきた彼には些か信じられない光景でもあった。
看板には文字が書いてあり、案内を眺めるが元より母国語以外の教養のない彼に解読は叶わず矢印に従い歩くのみ。
数字だけは読めたのでその案内を受ける事にする。数字は400、と書かれていてもしメートル法ならばもう少しばかり歩けばそこに辿り着けるだろう。
よく分からなかったらしいが牛が肉を焼く楽しげな看板であったと通り過ぎて彼は思い出す。
幸い、そこは直ぐに分かった。広々とした白線で区切られた駐車場には少なからず車が停められていた。
飯処だと、彼は理解した。戦利品の財布は厚く、多少の出費は問題ないと足を進める。
視線の先、無邪気に笑う金髪の子供連れの親子が店に入って行くのが見えた。
彼は懐に拳銃をより深く仕舞いながら独り店に行く。
ふと、一人きりの食事は久しぶりだとアルムは余計な感傷を抱いていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
埃舞う部屋に足を踏み入れる。
汚れた窓からは光が漏れて立て掛けた剣の反射が視界を散らつく。郊外の空き家らしい家には本当に人が寄り付かない様だ。人目を引く皮の鎧と剣の得物は置いてきて正解だったか。
そのお陰か剣などより余程手馴れた得物を手に入れられた。これで魔術なぞという得体の知れない力に頼らず戦える。
此処はつい昨日までの猫やら狼やら角やらの個性豊かな人種の居た世界ではないみたいだ。要点をいえば帰って来た、のだろう。
理解不能な超常現象を引き起こす“魔術”の飛び交う奇妙な世界から開放された、いや異端として弾き出されたのか。
ともかく、どうでもいい理由の為に駆り出される必要も“烈火の戦刃”などという大仰な名前から開放されるものだろう。
しかし、戦いそのものからは開放される事は無さそうだが。
理由は何でもいい。余所者には生き辛そうな処ではあるがあの喧騒から開放されるのならば。昨日の事は忘れて今を生きなくては。
警察機構もある町の様だから今後は慎重に行動するべきか。あの文字は何処かで見た記憶がある。たしか、何処かの国の言語だったと思う。
学の無い自分には解読は無理だし、話す言葉も意味不明だ。
帰って来たにしても見当違いの所に飛ばされてしまったらしい。
先程のような輩も居る。日常的に銃を携帯しているのかも知れない、情報収集を行いたいが、それも慎重にするべきだろう。
一人には一人なりのやり方はある。
最低限、食い扶持くらいは確保しておきたいが、そう都合よく仕事が転がって居る訳もなし、どうしたものだろうか。
ーー気配。何者だ。
窓の外を見る、と。薄緑色のコートを着た男が一人。こちらが潜む家の方を真っ直ぐに凝視している。
散歩や、迷子。ではあるまい。
警察機構、いやあれは皆同じ様な青い服装をしていた。遠目にも彼らとは違う気配をしている。
何処と無く、魔力を帯びた敵と似た、奇妙な連想をしてしまう。
魔術を使う魔術使いは対峙するだけで他とは違った感覚に襲われる。殺気ともまた違う、言語に絶する危機感知能力、とでも言えば良いのか。それとよく似た気配をあれはしている。
念の為、剣は持ち出すべきだろう。最近になって反乱軍の腕の良いやつに新調させた魔力を通す動線、“魔力回路”を刻まれた真紅の柄の長剣を鞘に収め、懐に銃を仕込み支度を済ます。
鎧は着けるのに時間を取られる。有っても薄皮一枚致命を躱す程度だろう。音は立てず部屋を後にする。
裏手に回ると表に居た男は姿を消していた。
油断は出来ない。此処を訪れたという事は遅かれ早かれ必ず俺に行き当たる筈だ。そうなれば早々に身を眩ませなければならない。
最悪、見付かり交戦するとなれば必ず必殺でなければ不味い。目撃者は不要だ、無用な戦いは消耗を強いる。
それは避けたい。
「おや、こんな所に人が居るじゃないか。それも、物騒な物を背負って」
嗄れた声は背後から。
振り返ると備え付けの倉庫の上、そこに薄ら笑いを浮かべる中年がこちらを見下ろしていた。
「まさか、もう一人居たとはな。ま、いい。アンタ、運が無かったな。恨むなら俺じゃなくお仲間の方を恨みな」
剣を抜く。目の前の男は敵だ。直感と長年培われた危機感知能力が告げる。
理由は単純だ。奴が俺に敵意を向ける、これ以上に敵視する理由が必要だろうか。
「ほう、二刀の次は一刀か。果たしてどんな手品を見せてくれるんだ、今度は」
精神を集中させる。イメージは発火し炎上させる。猛る炎を想像し己の魔力を錬る。それを魔力回路へと流し込み、動線は紅く輝き熱を帯びる。
やがて魔力回路は発火し燃え盛る。一振りに放った炎は火球となり男の下へ直進する。
「雷のお次は火の玉か!
楽しませてくれるぜアンタらは!」
とん、と宙を舞う男の体躯。芝生に着地するその瞬間。
間抜けに見据えたその顔に灼熱の一撃をくれてやる。
「……っと、おいおい。話も無しで来るのか?
白い兄ちゃんは名乗りまで上げさせてくれたのに、問答無用って事かよ?」
減らず口を黙らせる。体勢を立て直す前に決めて仕舞えば話は終わりだ。
情報など二の次、絶えず剣戟を放ち、一刻も早く息の根を止める。
「へぇ……能力系の力で良くそこまで……。でもよ」
距離を放された、か。あの反応速度、尋常じゃ無さそうだ。
あの世界では狼や猫似た人種が居るがアレともまた別の俊敏さだ。
あれは先天的なセンスによるもの、こちらはどちらかと言えば元からの力を倍加させた様な感触だ。
「俺も似た様なものでな。
まぁ、見てな」
魔力の迸りに似た感覚を覚える。コートを着た男は呻きを上げて筋肉を膨張させる。
黒々とした毛は全身を覆い、顎が隆起する。黄金の瞳が大きく見開かれ、それは雄叫びを放つ。
「WOOOOoooooooo!!」
耳を衝く遠吠え。人間大の狼は天を仰ぐ。ものの数秒で変貌したそれは薄緑色のコートを着たまま喉を鳴らしている。
「どうだ。これが所謂、“ニュータント”……お前と同じ異端者の力だよ」
狼男、とでも言えばいいのか。
あの世界で人狼族なる狼擬きの人種は居たがアレよりも遥かに狼に近い、いや狼そのもの。単に人型をした狼と言うだけの事である。
「驚いて声も出ないか。でもこの姿を見られたからには生かして帰す訳には行かなくなった。
……死にな」
黒い烈風が轟く。烈爪の一撃を辛うじて躱すも、更に一撃。返す刃も空を切り炎を怖れず獣は襲い来る。
大きく距離を離そうとすれば迅速に、振るわれる爪は鉄より鋭く、一秒前まで居た家の壁が粉砕される。
……不味いか、一撃でも入れられれば致命傷を狙えるが。
それを許す程、奴も甘くあるまい。もう一人居ると言う“お仲間”を退けたその実力は確かだ。
以前、あの世界で魔獣と呼ばれる猛獣を仕留める仕事を此処には居ない相棒とした事があるが、あれと似た、言うなれば生態系の上に立つ者に挑む様な無謀さ、根本的な戦力差の中での戦闘に近い感触だ。
おそらく“お仲間”とはあの世界に迷い込んだ四人の異邦人の誰か、だろう。
単に憶測に過ぎないが俺があの人狼に襲われる以上、それが確率が高い。
それより。彼我の戦力差、形勢は敵方に傾いている。奴は戦い慣れしていて、身体能力でこちらを上回っている。
打ち合いを続ければ瀕するのは見えている。あの毛で覆われた胴に一撃入れてやれれば限りなく致命傷に近い手傷を負わせられるだろう。
しかし、その隙は今は見受けられない。だが、博打に出る程勝算がある訳では無かった。
「おい、どうした。さっきまでの勢いが無くなってるぞ? “英雄”って呼ばれてたんだろ?
もう少し……むッ」
閃光が落ちる。芝生が黒く焼け焦げ、人狼は飛び退く。
落雷に似た閃光は第三の方向から放たれていた。
「其処までだ。貴様に何時までも遅れを取る私では無い……!」
白い軍服、白のマント靡かせ一対の剣を構える両角の男。藍色の短く纏めた髪と厳と見据える視線。
ぎり、と眉間を顰める相貌は気高く怒っていた。
「チッ、白い兄ちゃんか。やっぱり赤い兄ちゃんのお仲間だったか……流れが悪い……?」
屋根を焼く雷撃。飛び消えた人狼の姿が居たそこを破壊する“雷”の魔術。
「……待て!
…………逃したか」
鋭い片剣を下ろし舌を打つ。白い騎士は忌まわしげに人狼の跡を追うと、やがてこちらに視線を向ける。
「…………戦刃。何故、此処に居る」
視線が訝しげに伺う。
白騎士エルシウス。あの世界の最強を誇るグメイラ帝国の十人居る将軍の一人。二度に渡り、剣を交わした相手がこの見知らぬ異郷で俺を睨む。
「返答次第では、貴様を、この剣が斬り伏せる」
一対の双剣、斬る事に特化した細長の剣と、競り勝つ事に特化した幅広の剣が鈍く輝く。
魔力回路の僅かな光を以て正義の騎士は刃を向けた。
「答えろ。貴様は、私の敵なのか」
かつて死合った相手が問い掛ける。その答えを俺は持ち合わせて居ない。
その答えは俺こそが求めている回答であった。
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