魔導英雄譚 外伝 英雄跋扈

緑川 赤城

一章 誘いの闇

二つの理、二人の関係




 #0



 人は常に孤独だ。

 他者と協力し合い糧を得、利を満たし、やがて幸福に至ろうとも。結局は一人で死んで行き残る物など何もない。


 故に人は縋るものを求める。それは神という概念であったり、敬愛する他者、或いは親兄弟であったりする。

 そして時に人は優れた偶像を見出だし、これを崇め、祀り讃えた。


 時代と人は、

 それを『英雄』と呼んだ。





 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆





 空が遠い。


 降り注ぐ月光は天上の彼方、澄み渡る程の晴天は朧雲を僅かに残して白く輝いている。此処より街灯りは遠く。

 寂れた高台に放置された洋館は密やかに夜に沈む赤い荒野を見つめる。

 鳥さえ行かぬ外れの土地は一筋の道路のみが通り道。それも一台の車も通らずに枯草を回すばかりだ。



 時代掛かった洋館はまるで古城のようだ。

 最近になっても手入れ自体は行き届いているのか、荒れた様子こそ無いが一昔前、二昔前の建築様式で建つそれは中世の雰囲気をしていて、そこだけが時代に取り残された錯覚すら覚えさせた。


 もっとも、この国の今はそんなものはとうの昔に廃棄している。

 数十キロも行けば無数の街灯りが文明の騒々しさと共に出迎えるだろう。

 A国の西海岸は発展の最中、過去の遺物など置き忘れてひたすらに未来へ向かい排気を撒き散らす。それをこの洋館は惚けた様に眺めていた。



 幽霊が住み着きそうな洋館はその実、誰も住人は居なかった。

 普段は何時になるかも判らぬ主人の帰りを待ち豪奢な内装に埃を積もらせながら、時としてやって来る使用人を歓迎し退屈を紛らわせる。

 その時にはもう何時主人が帰って来ようと万全の体制で迎え入れられる。


 今夜、ようやく帰った主人を迎える為、準備は整えて来た。




 広間一帯に刻まれた魔法陣、よく分からない言語で記された呪文、血だか何だか不明な液体を絨毯に染み込まされ、一昼夜ほど謎の気体が家中を満たした事もあった。

 それも全ては主人を迎える為。漸く使命を果たせると意気込む様に洋館の外塀は白く輝き、大広間は妖しく、誘い込む様に内から光を放つ。



 幾何学模様ともつかないある種独特な紋様を刻まれた円形の魔法陣は術者の呼び掛けに応じて黒く、妖しく気焔を上げる。

 彼が言霊を噤む度に深く、一挙手毎に胎動し、遥か過去に棄てられた奇蹟を発現すべく周囲の気配を混沌に染めて意思を繋ぐ。



 淡い光は青年の貌を顕にした。金髪碧眼、見目麗しい顔立ちのはっきりとした麗人は皺一つ無い上質なスーツ姿で両手を広げた痩躯を陣の中に投じている。


 彼が噤む言葉はこの世界の物ではなく、怪しい響きを持って言葉は反響、力を持つ。異郷の言葉を口にするも、その貌に躊躇いなど存在しなかった。



 天から差す純白の月光も館に満ちる禍の光に侵食され邪気を帯びる。

 この世の向こう側の気配に当てられて此処は異空間と化しつつある。道理は既に用を成さず、理性や正気を否定する未知のそれが香気を放つ。


 敢えて名状するならば“魔力”。嘗て人の創り上げた科学文明に否定された筈のそれは視えない力場を形成し、物質世界に奇蹟を発現しようとしている。だがそれは奇蹟と呼ぶには余りに邪悪に見える。




 そこに、影ひとつ。

 窓辺に腰掛けた女の姿がその様を見下ろしている。栗色の長い髪をシルクのカーテンと共に靡かせながらすらりと伸びた手足を投げ出す。


 差す月光に象徴されるかの様な白い肌はそれだけで絵になる。まるで絵画から抜け出た様な美貌はしかし、表情もなく無慈悲に冷たく視線を送るのみ。





「やぁ、待っていたよ。来てくれるって信じていた」



 耳馴れぬ言葉の詠唱を止め、邪気のない爽やかな笑顔を向ける青年。友愛に満ちた表情を女は敵意で相殺した。



「……貴方は何を考えているの?

 こんな事をすれば取り返しのつかない、誰にも止められないテロや災害を起こす積もり。何故、他人を巻き込む事を」



 大きく肩の開いたドレス姿は貴婦人を思わせる。しかし彼女が腰掛けるのは二十メートル近い窓辺。女性の身としては些か不審な点があるも、彼女の艶姿に青年は心底喜んでいた。



「それは勿論、君の為さ。君が君の為に行動するのと同じく、僕が君の為に行動する、それだけの事だよ」



 青年の言葉に悪意は無い。純粋に窓際の美貌を見上げる瞳には愛情が灯っている。



「さ、折角来てくれたんだ。

 これからいい所なんだ、君も一緒に観てくれないかい?」



 恭しく差し出す手の平。確かな信頼と愛情を持って淑女をダンスに誘う様に紳士は礼を尽くす。それを、



「冗談」



 ただ一発の光の弾丸の返礼を以て冷たく引き剥がす。



「生憎と私にはそんな暇はない。

 折角のお誘いは嬉しい、気持ちだけ受け取って置くわ」



 光弾は顔面を焼き、身動ぎもせず青年は佇んでいる。

 真紅に燃える火の粉を散らして肉の焼ける匂いが鼻腔をくすぐる。



「……残念だよ。けど僕は諦めない、いずれまた君をエスコートしてみせるよ」



 焼けた肉は即座に美麗な貌を形作る。何事も無かったかの様に涼やかな微笑を浮かべて儚げな蒼の瞳を向けた。それを女は忌まわしげに見据える。



「そう。なら、話は早いわ」



 置かれた靴先は羽の様に軽く、否、始めから宙を掴みスカートを靡かせ浮上する。長い丈のドレスは後光に照らされて煌びやかに光を纏う。


 瞬間、白翼が舞う。開かれた背からは純白の光翼が華を散らすが如く腕を拡げる。伸ばす白指からは一筋と輝きの剣が伸びる。

 月光を背に舞い降りた姿はまるで、神話に語られる天使に酷似していた。



「私と踊りましょうレイ。

 貴方が果てるまで」



 剣先を向ける。女の貌は美しいままに敵意に凍り付いていた。天女を連想させる目鼻立ち整う栗色の長髪。

 揺らめくドレスの裾、六枚の光の翅は神々しくレイと呼ばれた青年を見下ろす。


 一層輝きを増す魔法陣の内、青年は頷いて一言。



「ありがとう、ミラ。……これで」



 青年の身体から異音がする。


 ばりばり、と奇怪かつ吐き気をもよおす奇音は青年の姿を見る間に変貌させる。


 掌は爪に、脚は巌鉄に、細身の長駆は甲殻を着て麗しい青年は異形に歪んでいく。

 奇妙なのはスーツ姿のまま変貌していく点と刺し殺すまでの殺意を向けられても尚、友愛の眼を神聖なる天女に向けている事。


 それも、禍々しい甲殻の仮面に閉ざされて行く。



「漸く、僕の願いが叶えられる」



 黒鉄の仮面の下から発せられる声は意外な程に澄み切って邪気は無かった。鋭角的な甲殻はまるでそれ自体が意思を持つ様に脈動し、生気を放つ。


 体格は変わらねど姿と気配を一変させたそれはスーツ姿のまま張り裂けそうな鎧の鋭さを見せている。指の鉤爪と能面な漆黒の仮面は言い知れぬ畏怖の感情を想起させる。



 もしミラと呼ばれた女が天使ならば、レイと呼ばれた青年は悪魔だろう。


 方や月光を背に光を帯びた美貌を放ち、方や妖しく香気を放つ魔法陣の内で鉤爪を軋ませて恐るべき異形を見せている。天と地、対比する様に二つの人影は神の聖書に記された終末を再現するかの様な悪辣さがあるのだ。





 先に仕掛けたのは天使の方だ。


 光の残像を残し仄暗い館を瞬間に突撃する。並の人間ならば目で追う事すら困難な速度で、しかしただ真っ直ぐに疾駆した。まさに閃光、振るわれる光の剣戟は漆黒の鎧を裂く。



 響く鋼鉄の快音、刻まれたのはスーツの生地のみ。それを受け止めたのは刃と成った悪魔の片腕であった。意に介さず光の剣戟は華麗に舞いを披露する。


 総て受け流す悪魔の片刃、耽美かつ醜悪な演舞はまさに広間を躍る様に火花を散らした。




「実に、四年振りか……君と躍るのは。でも、こういうのも新鮮で悪くないかな?」



 人間離れした反射速度で剣戟を交わす悪魔は感慨深げに乱舞の最中、天使に問う。

 乱れも感慨も無く、天使は斬り続ける。



「……はぁ、いつに増して不機嫌だね。君がそのドレスを着てくれたのだから僕はその気でいた積もりだったけど。これじゃ出逢った頃に逆戻りか」



 止め処無く感傷に浸る言葉は続く。


 それも、音を超す速度の剣舞の最中で。尚も速度を増す剣戟を尽く流して余裕に言葉を続ける様は不気味ですらあった。



「私は、

 貴方のそんな所が……嫌いだ!」



 埒が開かぬと、一瞬身を引いた天使は爆発的な光の濁流を以て館の床や壁ごと悪魔を両断に掛かる。


 押し寄せる光の束は受けに徹する異形の身を焼き払う。熱波が肌を撫でた。







 光の濁流は館を貫いて外の光を誘う。片腕を失った悪魔は身動ぎせず、漆黒の能面をただ対する美貌に向けている。



「でも僕は、君のそんな所が好きなんだ。

 愛してると言ってもいい」



 吹き飛んだ片腕がばりばりと怪音を立てて生えてくる。


 生理的な嫌悪をもよおす再生過程は悪魔の友愛とは裏腹にあまりに醜悪。それを見、天使は顔色一つ変えない。



「好きと嫌いは表裏一体だ。どちらにせよ、君に関心を向けられている内は僕は生きて行ける。

 だから、僕は君の為なんだ。僕からも僕なりの愛女表現をしたいのさ。

 ……受け取ってくれるかい?」




 再生し切った片腕が鉤爪を僅かに彼女に開く。すると。

 形のない陰が亡霊染みて囲い出でる。邪気を察した天使は辺りを見渡す。



「もう少しなんだ。だから、僕なりの歓迎を受けて欲しい。

 退屈はさせない、良いだろう?」


「……ッ」



 陰が襲う。声なき声を挙げて月の光を侵す様に何体かの亡霊は天使を狙う。


 それを斬り伏せ、撃ち抜くも次々と陰が迫る。魔法陣の仄暗い明かりは亡霊の姿を曖昧にする。


 他所には再び異界の言語で詠唱を始める悪魔が一つ。やがて魔法陣は赫く魔力を放出し出す。呼応する様に陰もまた声なき声を挙げる。



「させる、ものか……!」



 陰どもの相手をしては間に合わぬと、上昇し上方から悪魔の首を狙う天使。一方向に向けられた翅は光の残像のみを残して突撃、しかし。





「……、な、に?」



 片足を、陰が掴む。


 全速で飛んでいる筈の翅は一方向に向いたまま動きを停められている。それ程の力もなく、されど押しても引いても動ずる事は叶わぬ。



「レディがそんなはしたない事をするものではないよ」



 仮面の下で嗤っていた。能面な貌はしかしこの時ばかりは悪戯に嗤う錯覚を天使は起こす。足元で蠢く陰どもは声なき声を挙げている。





「ーー我、此処に欲す。総ての災禍、総ての奇跡を以て此処に誓う。


 人の世に全の意思を齎さん事を。満たすは四度、喪うは一つ、四度の破滅と一度の奇跡以て、世の理を超越せんーー」




 気が触れる程の夥しい魔力の香気が館を満たす。魔法陣の光は決壊寸前、臨界点を迎えていた。

 陣の中に居る彼女に目眩が襲う。




 円形の魔法陣の四隅、そこに尋常ではない魔力と共に人影、らしき物が見受けられる。


 男かも女かも形さえ定かではないそれは今にも破綻しそうな陣の中で徐々に引き寄せられていく。



「しまった……! レイ……ッ」



 歯噛みするミラを仮面の下のレイが微笑み返す。



「ふふ、ご覧。これが人が、世が、望み望まれた四人の“英雄”だ。

 ミラ、こんな形だけど、君に特等席を用意出来て良かった」



 四つの人影はそれぞれ形を成しつつあった。一つは青年、一つは女性と、シルエットで察せられる程にはなっている。


 紫電が迸る。異常なエネルギー量は空間を歪ませて境界を曖昧にした。


 時が未来に、未来が過去に。正常が異常に、死者が生者を屠る。


 陰影表裏一緒くたになった亜空間が二人の間に形成されていた。



「こんな、こんな事を……なら……ッ!」


「よせ、そんな事をすれば君が!」



 レイの制止も聞かずミラは有りっ丈の光を収束させ、吹き荒れる異空に対し身動ぎを一つ。


 作業を中断し、彼女に駆け寄るレイ。






 瞬間、光が空間を満たす。


 欲しいままに空間を犯していた魔力は光に浄化されていく。迸る魔法陣の魔力は浄化の光に狂わされる。


 暴発が起きたのは何秒後であったか。


 無防備な彼女の身体を庇おうとした一人の悪魔はどちらにせよ、間に合わなかったが。





「ーーーーッ」





 光が何もかもを飲み込んでいく。伸ばした手の平は例え届いても彼女の柔肌を傷付けていただろう。


 されど、彼は手を伸ばす。届かぬと知りながら愚直に、真摯に。


 それも、光の中に消える。






「待っててくれ。僕は、君を……」





 決壊した魔法陣は一帯を崩壊させ、彼の言葉ごと露と還す。


 この日、観測された光の柱は天を裂き、遠き異空にも届いた。


 それに誘われる様に、新たな争いが幕を開ける。それを知るものは誰一人として居なかった。






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