第8話
帰路につき、玄関の戸を開ける。九郎が高校生のころに建て替えた我が家。数年ぶりの我が家にも三日四日と過ぎれば慣れた。
居間に向かうと、いつのまに買い替えたのか、五十インチの液晶テレビがあって、三田は一人でビールを飲みながらお笑い番組を見ては笑っていた。
「親父」と九郎はその背に声をかけた。
「おう、おかえり」
「あ、ただいま」
「どうだ、調査は順調か?」意地らしく三田は笑った。
「まあぼちぼちってとこ」適当なことを言った。
「ふうん、まあがんばれよ」
三田がテーブルの上のするめいかに手を伸ばした。
「親父」
「なんだ?」
「親父はさ、入院してる子にクリスマスプレゼントをあげたことってある?」
「そりゃあるさ。長いことこの仕事してるからな」
「どんなプレゼントあげたの?」
「いろいろあったよ。テディベアとか、ロボットとか、CDもあったなあ」
「薬とかは、あった?」
「なんだ急に」三田の眉が険しくなった。
「いや、もしさ、俺が今回そういう子にプレゼントすることになったらどうすりゃいいのかなあと思って」
「マニュアル読んでねえんだな」
「え」
「マニュアルに書いてあんだよ。薬はだめってな」
「どうして」
「それは医者のやることだ。俺たちサンタクロースっつうのはそういうのはプレゼントしちゃならねえんだ」
「だからどうして」
「そんなことしちまったら限がねえからだ。この世界にはまともに生きられない子供大人がたくさんいる。でも、それでも生きてる。そしてそれがそのひとの人生なんだよ。そのひとの運命なんだ。それを変えちゃならねえ。命に関わることはやっちゃならねえんだ」
「でもさ、例えばクリスマスプレゼントでグローブをもらったとか、サッカーボールをもらったとかで将来スポーツ選手になる子がいるかもしれないわけでしょ? 薬をプレゼントして命が助かって、それで医者の道を志す、かもしれない。それとどう違うのさ」
「薬をあげて、命が助かって、将来医者になる。たしかにそういうのもあるかもしれねえよ」
「でしょ?」
「でもな、九郎。さっきも言ったが、それをするのは医者なんだ。俺たちサンタクロースは医者じゃあない。その子が、クリスマスという特別な一日を過ごすとき、少しだけの幸せをプレゼントする存在なんだ。昔からそうだった。今もそう。これからもそうだ。マニュアルをちゃんと読め」
九郎は納得のいかない表情で三田を見た。三田は深く酒臭い息を吐いて、ちゃんと九郎に見合った。
「サンタクロースがプレゼントをする幸せはいつも形がある。形あるものはプレゼントできる。その昔は薬もプレゼントしていたらしい」
九郎が口を挟もうとしたのを制して三田はつづけた。
「けれどもその薬が効かなかったら? その昔、俺が生まれるよりももっと昔、あるサンタクロースが自分の娘を助けるために薬をプレゼントしたことがあった。娘は元気になったそうだ。でもそれは一時だけだった。その場しのぎだ。結局そのあとまもなくその娘は死んじまった。命はプレゼント出来ねえからせめて薬をと思ったんだろうな。だけども、一つ飲めばたちまち元気になる薬なんてこの世に存在しねえ。万病に効く薬なんてこの世に存在しねえ。だからその場しのぎだ。そのサンタクロースは酷く悲しんだ、そりゃそうだ。大事な愛娘を助けることができなかったんだからな。そんな一例があった。それからだ、サンタクロースのプレゼントに薬は含まれないようになった。規約にしっかり書いてある。それこそ国だったりをプレゼントできなくしたのもそういうような悲しい話が過去にあったからだ」
三田はぐいとグラスのビールを飲みほした。
「サンタクロースは神様じゃない。そういうことだ」
「でも、もしだよ、もし、一粒飲めばたちまち健康になるような薬があったとして、それをプレゼントをするのはやっぱりだめなの?」
「だめだな」三田がぴしゃりと言い切った。
「サンタクロースは医者じゃないから?」
「そういうことだ。医者じゃないし、神様でもない。サンタクロースはサンタクロースでしかない。それに、そんな薬は存在しない。それを忘れるな」
「……わかった。話してくれてありがとう」
「おう、ま、頑張れ。活躍を楽しみにしてるからな」
「はいはい」
お休み、と言って九郎は居間を後にした。
「サンタクロースは神様じゃない、か。そうとも、神様じゃねえ。俺たちはただのおっさんだ」
三田が一人鼻で笑って、瓶からグラスにビールを注いだ。
部屋に戻った九郎は布団に横になって考える。
薬をプレゼントするのがそんなにいけないこととは思えなかった。そりゃ昔は医療が発達していないから、限界がそばにあったのだろうけれど、今は違う。今なら万病に効かずとも、その病気に効果覿面な薬は存在しているはずだ。だとしたら、こっそりとプレゼントすれば何も問題ないとも思える。健康になれば、それでいい。
そもそもサンタクロースのプレゼントは身近な人があげたように記憶操作がされるという話だった。それなら、九郎が薬を真里にプレゼントしたとしても、現実的に考えて萌がよい治療法を見つけ、投薬したことになるだろう。それで真里が健康になるだけの話だ。なにも問題はないはずだ。
明日、リストにある家庭の調査の合間にでも都中井に相談してみよう。きっと乗ってきてくれるはずだ。
サンタクロースが幸せをプレゼントする存在なら、自分の考えに間違いはないはずだ。そう思いながら瞼を閉じる。
ふと、それよりも目下の問題はリストにある数十の家庭事情だったと思い出した。家庭の調査をどうやって成功させればいいのか何かいい案はないかと考えたが、それより眠気が勝ってしまって、そのまま寝息を立て始めた。自然と腕が毛布を手繰り寄せた。夜は昼にもまして寒い。体を縮めて背中を丸くした。
夢の中で真里を思う。
あの子のために自分は何ができるだろうか。
朝目覚めると、昨日の雪とは打って変わって晴天だった。けれども寒さのせいか積もった雪は解けることなく辺りを白く染めていた。
とりあえず、昨日思いついたことを都中井に話してみよう。そう思って身支度をして家を出た。
積もった雪をがしがしと踏みしめて持屋のおもちゃ屋へと足を進ませる。都会じゃこんな風景はまるでないので田舎に帰ってきたのだとつくづく思った。
今、彼女は何をしているのだろうかと東京に思いをはせる。そろそろ冬休みが始まるから教員をしている彼女はてんてこ舞いだろうか。宿題やらなにやら準備が忙しいと去年のクリスマスは愚痴をさんざん聞かされて過ごした記憶がよみがえる。あれは大変だった、と九郎は苦笑いを浮かべた。今年もそうなるのだろうか、と思って、そうはならないのだったと気づいた。彼女に連絡をしなければいけないな、と携帯を取り出して、メールを立ち上げる。
「仕事が入ってしまって今年のクリスマスは一緒に過ごせない。ごめん。埋め合わせはあとでするから」
簡素にそう書いたメールを送信する。すんなりとメールは送信された。それくらい、簡単にサンタクロースの仕事も済めばいいなと九郎は足を速めた。
おもちゃ屋につくと、店の外で都中井が煙草を吸っていた。厚着をしているが寒そうだ。
「そんなに寒いなら無理して吸わなきゃいいのに」
九郎が声をかけると、都中井がじとっと九郎を見て、
「そういうことじゃねえ」と言った。
どういうことかと思ったが、喫煙者の気持ちはわからないからそれ以上は言わないで都中井の隣に立った。
「なんだ」
ぶっきらぼうに都中井が九郎に尋ねた。
「ひとつ名案を思い付きました」
「なんの」
「真里ちゃんへのプレゼントです」
「リストになかったろ」
「でも仲良くなったし」
「そうだな、仲良くはなった」
「だからプレゼントをあげてもいいんじゃないかと」
「じゃあ一応聞くが、何をプレゼントするんだ?」
「薬です」にこやかに九郎が言うと、都中井は深くため息をついた。予想外の反応に九郎はきょとんとした。
「お前さ、親父さんとかにマニュアル読めって言われなかったのか?」
「エスパーですか?」
都中井がもう一度深くため息をつく。
「薬はプレゼント出来ねえって書いてあったろ」
「都中井さんって意外と真面目なんですか」
「うっせえ余計なお世話だ。とにかくそれはよくねえだろ」
「なんでそういうんです。そりゃ規約にはそう書いてあるんでしょう? でもその規約が作られたのはいつの話ですか? もうその昔に比べたら医療は発達しています。治せない病気の数だって減ってきているじゃないですか。真里ちゃんの病気がどんなものかわかりませんけど、もしその病気に特効薬があるなら治せるんじゃないかと思ったんです」
「確かに、そうかもしんねえけどさ、よくよく考えろよ。俺たちゃ別にあのガキの家族でもなけりゃ、医者でもねえ。サンタクロースにはサンタクロースなりのプレゼントがあるんじゃねえのか?」
「例えば?」九郎が強気に訊ねた。
「例えばって……女の子なんだから人形とかよ、あと、ぬいぐるみとか、そういうのがほしいんじゃねえの。それによ、仲良くなったんだから聞きゃいいだろ。何がほしいって。別に俺たちがサンタクロースなんてわかんねえんだし」
「……じゃあ聞いてみます?」
「それより先にリストだ。あの子にゃいつだって聞けるだろう。早く聞きたいならとっととリスト片付けようぜ」
都中井が携帯灰皿に煙草を押し込んで伸びをした。
たしかに、都中井の言う通りだ。リストは早々に片づけなくてはならない。そもそもそっちのほうが一大事のように思える。早く片付けて真里のもとに行こう。そう決意して九郎はうなずいた。
二人はまた雪道を歩いていく。今日も門前払いをされないように願いながら進む足取りは少し重かった。
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