第9話

 それから一週間は激動だった。どうにかこうにか頭を下げて、家族全体にアンケートを実施していると言ってサンタクロースの仕事として必要な情報収集に励みに励んだ。結果、全体の八十パーセントは達成できていた(わずかにリスト一枚分の、であるが)。最初に比べればずいぶんな進捗である。

 持屋も三田も驚いた顔をしていた。才能があるじゃないか、と笑いあっていた。歩いて調べるのは大変だったといいながら、褒められたようで気をよくした九郎と都中井に、後出しのようにコンピューターがあったのに、と持屋が言ってきたときは何を言われているのか理解に苦しんだが、持屋が目の前でキーボードをかたかたと叩いていとも容易く情報を集めていったところを見て、都中井は歯ぎしりをしていた。九郎は唖然としていた。現代文明の利器はサンタクロースの世界にもあったのだった。

「でもよく歩いて調べたね。すごいと思うよ。だからこれは頑張ったご褒美」と持屋が九郎と都中井の調べきれなかったところをさささと調べてまとめ上げた資料を手渡してきた。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。あとこれ、届いたから、君たちの分」

 今度は持屋が運転免許証ほどのサイズのカードを渡してきた。

「これは……」都中井と九郎が目を合わせて首を傾げた。

「それがサンタクロース資格証。これで晴れて君たちはサンタクロースの仲間入りだ。おめでとう。規約書はちゃんと読んだかな?」

 持屋がにこりとしていった。都中井が「うっす」と答えた。九郎は小さく何度か頭を振った。

「ならよし。あと、これが君たちのサンタクロースの制服ね」

 真っ赤で白く縁取られたコートとパンツ、それと真っ赤なブーツ。そして真っ黒なベルトをそれぞれ手渡された。

「あと一週間でクリスマス。君たちの初陣だね。楽しみだなあ」

 あははと持屋が笑った。

 あと一週間。あと一週間でサンタクロースの仕事が始まる。たった一日のクリスマス。たった一日の特別な日を、待ち望む子供たちのために九郎と都中井は幸せを運ぶ。本当に、自分たちにできるだろうかと今なお思うが、あと一週間でやれるだけのことをやるだけだ。

「あとは真里の分だな」と都中井が言った。

「まり?」と持屋が首を傾げた。

「えと、言おうと思っていたんですけど、実は調査していたときに仲良くなった女の子がいまして」九郎が頭を掻きながら言った。

「おお、彼女か何か?」

「違います、まだ小さい子ですから」

 なあんだ、と持屋が少しつまらなそうな顔になった。いい歳して色恋沙汰に興味があるのか、と都中井が怪訝な顔をしたが、意に介さず持屋が「その子にもプレゼントを配りたいのかな?」と訊ねてきた。話が早い。

「そうなんです。せっかく仲良くなったし、プレゼントしたいなあ、と思って」

「いいよ、むしろ、数をこなしてくれるなら助かる。その代り、ちゃんとリストの子たちにもプレゼントしてね」

「ありがとうございます!」九郎が勢いよく頭を下げた。

「じゃあ、準備に取り掛かって」

 にこやかに持屋は手を振ってその場から去っていった。手には書類を持っていたのでおそらく彼も準備をするのだろう。

 九郎と都中井は顔を見合わせてうなずいた。

 あの後もう一度話し合って、自分も助けたい気持ちはあるから、と結局都中井が折れたのだ。二人でプレゼントをするわけにもいかないので、九郎が薬をプレゼントすることを黙認するという形で落ち着いた。

「いいか、もしあのガキが人形やらがほしいと言ったらその時は薬はなしだからな」

 念を押すように都中井が言った。

「わかってます」九郎はそう言ったが、顔は否定していた。

「絶対わかってねえだろ。まあいい、リスト確認するぞ。そのあと、真里に会いに行こう」

「はい」

 九郎がうなずいてお互いにリストを見ながらプレゼントの確認をした。

「えっと、相沢光くんは”超合金ムシャロボットα”だそうです」

「あいよ」

「天野壮一くんは、あ、この子もだ」

「そいつは買えない。なんか代わりになるのはねえか」

「そうですねえ」九郎がスマホをタップして代わりを探す。

「これなんてどうです?」九郎が画面を都中井に見せた。

「ああ、いいんじゃね? 同じやつだし、コスト的には問題ねえな」

「じゃあこれで」

 九郎が見せた画面には超合金ではないが、ムシャロボットαが映っていた。

「でも、せっかくのクリスマスなんだし、少しくらい良いでしょうに」

「限ねえだろ。それに、こういうことで現実の厳しさを学んでいくんじゃねえの」

「世知辛いなあ」

「んなこと言ったって、俺だってガキのころにほしかったものなんてプレゼントされてねえぞ」

「そりゃ俺もですけど、なんか、大人になってみると少しくらい、って思うんですよね。他人だからなんでしょうけど」

「身銭も切らねえしな。でも決まりは決まりだ。仕方ねえだろ」

「そうなんでしょうけど、ていうか、それ真里ちゃんで違反するんですけど」

「それっ限だ。ほかはねえ。つうかここでいうなよ。誰が聞いてるかわかんねえだろ」

「すみません」

 あたりを見れば忙しそうにしている人たちが何人かいた。彼らもサンタクロースなんだろう。

「続けんぞ。次は飯田朋美。こいつはシルバニアファミリーセット。問題ねえな」

「梅宮安奈ちゃん。携帯電話、かあ。これどうですかね」

「経済的に問題ねえならいいんじゃね?」

「いやでも、冷静に考えてくださいよ」

「何をだよ」

「女の子ですよ? 携帯持ったら怖くないですか?」

「知るか。持ってから親が対処すりゃいいだろ」

「いやいやいや、何か犯罪に巻き込まれるかも」

 都中井がふん、と鼻を鳴らした。

「お前さ、そういう心配するなら真里へのプレゼントも考えろ」

「それは別問題です。ていうか考えてます」

「……よくわかんねえ。まあいいや、次は」

「海野ほのかちゃん。この子はテディベアですって。どれくらいのサイズだろ」

「経済状況的にどのサイズでも特に問題はねえが、でかいほうがいいのか?」

「どこに置いたりするんでしょう? ベッドだと大きいと大変ですよね」

「確かになあ。だけど、大は小を兼ねるだろ。とりあえずでかいのにしとこう」

「了解です。次は榎木敦くん。プレイステーション4ですって。歳はまだ九才だ。なにやるつもりなんだろ」

「ゲームだろ」

「そうですけど、子供向けのゲームないですよ。wiiとかのほうがよくないですか?」

「ほしい、って言ってんだからそれプレゼントするしかねえだろ。どうせユウチューブとか見てんだろ。それでほしくなったんじゃねえの」

「俺が子供のころはポケモンだったけどなあ」

 九郎が遠い目をした。

「もしくはデジモンな」

「そうそう、あとモンスターファームとか! 友達の家でよくやりました」

「ま、昔と違うんだろ。最近のガキはませてるっていうしな」

「ポケモン、やらないのかなあ」

「そんなことはねえんじゃねえの。要はやるゲームの選択肢が増えたんだろ。って、そんなことはどうでもいいんだよ。次は——」

 二人でそんな風に時々くだらない話をしながらリストを確認していくと、正午を過ぎたころにようやく全員分のプレゼントの確認が終わった。

「……やっと終わった」

 都中井が大きく伸びをした。

「ちょっと休憩にしようぜ。それから真里のとこ行こう」

「そうですね」

 九郎がそう答えたときだった。九郎の携帯が音を立てずに振動した。

 誰からだろう、と携帯を見ると、東京にいる彼女からメールが一通入っていた。

 短く、「別れよう」とだけ書いてあった。文面を見て、特に悲しむこともなかった。なんとなくそんな気がしていた。こうなる予感がしていた。最近はすれ違いが多くて、どうも歯車がきしんでいるように思えていた。お互いに最初は好きだったはずなのに、今はなんだか、友達にすらなれないくらい、ぎしぎしとしていた。そんなもんか、あっけないもんだ、こんなもんか、と九郎はメールを閉じた。

 そう思った九郎の携帯がまた鳴った。

 今度はなんだとみてみると、知らない番号がディスプレイに表示されていた。訝しみながら電話に出る。

「もしもし?」

「九郎くん? 私、萌」

「萌か、なんだどうした」

「ちょっと来てほしいんだけど。都中井さんも一緒に」

「どこに?」

「大学病院。待ってるから」

 そう言って萌からの電話は切れた。

「なんだ女か?」都中井が言う。

「萌からでした」

「女じゃねえか」

「それが、都中井さんと一緒に大学病院に来てほしいって」

「ああ? どういうこった」

「わかりません、でも行ったほうがいいですよね」

「そりゃ呼ばれたならな」

「じゃあ行きましょうか」

 二人は一度持屋を探しに表に向かった。店内でプラモデルの箱をああだこうだと悩みながら並べている持屋に都中井が一言声をかける。

「持屋さん、試運転がてら車借ります」

「ああ、ぜひぜひ練習しといて」

 もう一度裏に戻ると、壁にかけてあったキーを取って二人は白い軽ワゴンに乗り込んだ。

 駐車場から出ると陽が傾いていた。もうこんなに陽が顔を見せる時間が短くなったのかと思う。年の瀬がずいぶんと近づいているのだと感じた。

 以前持屋に乗せてもらったときと同じように、遠く向こうでは夜空が顔をのぞかせている。

 空飛ぶ感覚は相変わらず気味悪かったが、運転しているうちに慣れてきた。そっと大学病院の駐車場端に停車して、大学病院内に入ると、ソファに萌が座っているのが見えた。萌に声をかけると、短く「来て」とだけ言って足早に歩いていく。その背を二人は追いかけた。

 萌を追いかけると、とある病室に辿り着いた。三〇三と番号が書かれてあって、その下に”北条真里”と名前があった。ドアを少し開けて中を見るとそこには呼吸器をつけて、点滴を受けている真里がいた。

「二人に応援してもらいたいの」と病室に入らずに萌が言った。

 病室に入ろうとしていた二人の足が止まる。

「応援って?」九郎が訊ねた。

「今日から投薬治療が本格的に始まるの。今までは弱い薬で様子を見ていたんだけれど、治すために少し強い薬に変えていくことになったの。でも、それは真里ちゃんにとってはつらいから、だからあなたたちにも応援してもらいたいなって」

「応援ぐらいいくらでもするよ」九郎が言う。と、その横で都中井がいつも以上に怖い顔をして、

「それは治るのか?」と聞いた。

「治る。と思う」

「なんだそれ」都中井の眉間によりしわが寄った。

「絶対なんてないから。でも、絶対治したいの。だから、あの子の応援をしてあげて」真剣な萌の表情をまじまじと見て、都中井はうなずいた。

「わかった。応援するぜ」

「俺も、もちろん応援する」

「ありがとう」萌が勢いよく頭を下げた。「よし」と言って、萌が自分の頬を気合を入れるように叩いた。

 それからドアをすうと開けきって、真里の名を呼んだ。呼ばれて入口を見た真里が驚いた顔をした。萌の後ろに九郎と都中井がいたものだから、どうして、と口が動いた。

「やあ、真里ちゃん。応援に来たよ」九郎がそう言って真里の小さな手を握った。

「おじさんたちどうしてここにいるの?」

「ありゃ、俺もおじさんか」

 へっ、と都中井が鼻で笑った。九郎が後ろを振り向けば都中井が勝ち誇った顔をしていた。

「真里ちゃんが、これから頑張るって萌先生に聞いたから応援しに来たんだ。それとね」

 真里がベッドの上でわずかに首を傾げた。

「真里ちゃんは、サンタクロースさんがプレゼントをくれるとしたら、何がほしい?」

「まりにもサンタクロースさんくるの?」

「そう、来るよ。俺友達だから、ほしいもの伝えとくよ。何がほしい? お人形さん? ぬいぐるみ?」

 真里は静かに、「おくすり」と答えた。

「げんきになりたい。またがっこうにいきたい」

「それが、真里ちゃんのほしいもの?」

 こくりと真里が頷いた。

 九郎の後ろで都中井が「マジか」と小さく漏らした。

 萌が九郎の横にきて、真里の手を握った。

「大丈夫、また行けるようになるからね。そのお薬はサンタさんに先生がもらっておくから」

「ほんと?」

「ほんとだよ」

 萌がにこりと微笑んだ。

「うれしい」

「よし、じゃあ真里ちゃん、サンタクロースにしっかり伝えてくるから、楽しみにしててね」

「ばいばい」と真里が小さく手を振った。

 病室を出て、少し歩いて、萌が静かに言った。

「どうしてあんなこと聞いたの」

 あまりに小さくて、何を言われたかわからず九郎が後ろを振り返った。

「どうして、あんなこと聞いたの」

「どうしてって」

 萌の肩が震えていた。

「絶対なんてないって言ったじゃない。もしあの子に薬が合わなかったらと思うと心配でたまらないのに。絶対に治せる薬なんてないのに。あの子が苦しむのをもう見たくないのに。どうしてあんなこと聞いたの」

「それは……あ、俺、俺がサ」都中井が九郎をにらんだ。

「俺の知り合いに薬の研究してるやつがいてな、そいつが色々作ってるらしいんだ。それで、子ども向けの治療薬を最近完成させたと言っててな。もし真里の病気に適合してるならもらえねえかなあと思ってそんな話をこいつとしてたんだ」

 声に出さず、「黙っとけ」と都中井は言った。

「真里の病気はなんなんだ? それがわかれば手助けできるかもしれねえ。もし心配なら論文も一緒に持ってきてやる。教えてもらえねえか」

「本当なの?」萌が真剣な眼で都中井を見る。

「本当だ。こんな嘘ついたってどうしようもねえだろ」

 少し萌が悩んで、「ちょっと受付で待っていて」と言い残し去っていった。

 その背中を見送って、見えなくなると都中井が息を吐いた。

「お前は馬鹿か」九郎に吐き捨てた。

「……すみません」

「自分がサンタクロースなんて言って誰が信じるんだよ」

「そうですよね。すみません」

「まあでも、なんだ。まさか本当に真里が薬をほしがるとは思わなかった。俺の負けだ。黙っといてやる」

 九郎が都中井の顔を見る。

「……なんだよ」

「ありがとうございます」

「まだ治るかわからねえんだからよ。ひとまず東野先生の話を聞いて調べようぜ」

「はい!」

 二人が受付に戻ってソファに腰掛け待っていると、ナースセンターから萌が駆けて出てきた。手には大きめの封筒を持っていた。

「これ、真里ちゃんのカルテのコピー。その人に見せればわかると思う。もし、適合しているならその薬を分けてほしい。私一人ではどうしようもないけど、もし、分けてもらえるなら院長には私が掛け合うから。お願い」

 九郎がカルテを受け取って、強くうなずいた。

「わかった。届けるよ。じゃあまた」

「また」

 病院を抜けて、駐車場の隅にあった軽ワゴンに乗り込んで、座席にもたれた。

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