第6話

 翌日。正午を過ぎて、陽も傾き始めた北国町の中央にある北風公園に二人の姿があった。スーツ姿にコートを着て、ベンチに腰掛けてうなだれている。

 まさかこんなに調査が難航するとは思わなかった。変なセールスだと思われて門前払いされたり、宗教家だと思われてインターホン越しにもろくな会話もできなかったり、涙が出てきているのは寒空の下で動き続けたからだと思いたいほど、切なかった。

「やってらんねえなあ」懐から煙草を取り出してかじかんだ手でライターをこすりながら都中井が愚痴った。

「こんなにうまくいかないとは思いませんでした」うなだれて顔を上げずに九郎が返す。

「コーヒーの一杯くらい淹れてくれたっていいだろうによ」

 都中井の言葉に力なく九郎が笑う。都中井が吐いた息が白くて、紫煙を吐いたのか息を吐いたのかわからなかった。

 寒空の下、あくせくと動き回ったが、収穫はなかった。前述のとおり門前払いを受けたか、留守だったかで徒労に終わった。

「俺、コーヒー買ってきますよ。ブラックでいいですか?」

「微糖で。糖分がほしい」

 わかりました、と九郎が言って公園端にある自動販売機に向かった。

 子供たちが積もった雪で遊んでいるのが見える。元気だなあ、と漏れた。

 その一角で、小さな女の子が懸命に雪玉を転がしているのが目に入った。ずいぶんと大きな雪玉だ。その子の背丈ほどにもなりそうで、動かせなくなってしまったようで、必死に押そうと頑張っている。なんだか微笑ましくてコーヒーを買うのを忘れて眺めていたが、かわいそうになってその子のもとへ自然と足が動いた。

「どこまで運べばいい?」と尋ねると、その子はびくりとして、九郎のことをじっと見た。

「雪だるま作るのかい?」

 こくりと頷く。

「お日様に当たると溶けちゃうから、あの木の陰まで運ぼうか」

 こくりと頷く。真っ白い綿毛のようなニット帽を揺らしてその子はまた雪玉を押し始めた。一緒になって九郎もその雪玉を押していく。

「すごく頑張ったんだね。めっちゃ大きいなあ」

「もうひとつつくる」

「手伝うよ」

 こくりと頷いた。小さな手ではこぼれてしまうほど雪をかき集めて一生懸命に雪玉を固めている。その隣で九郎も同じように雪玉をひとつ作って、転がし始めた。

 その少女はさっきと同じほどのサイズになるまで頑張って転がすつもりなようで、あっちにいったりこっちにいったり雪玉を転がし続けていた。時々転びそうになって危なっかしい。その都度転ばないようにその子を掴んでは立たせていた。そして九郎は九郎で雪玉を転がしていると、その背に声がかかった。

「なにしてんだ」

 ぎくっと後ろを振り向くと、不愛想な顔で都中井が立っていた。少女は雪玉に隠れるようにして都中井を見ていた。

「怖がってるじゃないですか」

「あ?」眉間にしわを寄せて都中井がすごむ。それから九郎の後ろ、さらにその後ろにある雪玉の後ろにいる少女に気づいた。

「この子の手伝いをしてました。あ、コーヒーすみません」

「それはいいんだけどよ、どこのガキだよ」

「わかりません」

「わかんねえって、お前まさか——」

「違います! ていうか、怖がってるじゃないですか」

「は。んなこと言われたってよ」

「なんか面白いことして怖くないってアピールするんです」九郎が都中井に耳打ちをした。

「なんかってなんだ」

「物まね、とか?」

「はあ?」

「いいから早く!」九郎が少女のほうに振り向く。

「このおじさんは俺の友達なんだ。怖い人じゃないよ」

 そう言ってから、都中井を小突いた。

「え、ええ、ええと……五木ひろしです」都中井が目を細めた。

 少女はきょとんとした。

「伝わってないですよ」

「……元気ですかぁっ!」都中井が顎をしゃくれさせた。

「わかんないですって」

「……ボク、ミッキーだよ、ハハッ」都中井がかすれた声を出した。

「最悪だ」

「じゃあお前がやれよ!」都中井が憤慨した。

「いや、怖いのあんただし!」

「つうかそもそもてめえさっき俺のことおじさんって言ったよな? 俺まだ二十七だわ!!」

「知りませんよ! 見た感じおじさんじゃないですか!」

「んだとこの野郎……!」都中井がつかみかかろうとして、九郎がそれを制した。

「それはだめです暴力反対!」

 静かに何度もうなずいて、都中井が足元の雪を掴んだ。

「じゃあこれなら文句ねえよ、なあ!」

 握りしめてできた雪玉を九郎めがけて放り投げた。

「痛っ! 固っ! なにそれ!? 俺も本気出しますよ?」

「ああ、いいぜかかってこいよ。もやしみてえなてめえに雪玉投げれんのか?」

「別にもやしじゃないですし」九郎が足元の雪を集めて固めて構えた。

「泣いても知りませんから、ね!」投げた雪玉を都中井が掴んで砕いた。

「ば、まじか」九郎が愕然として膝をついた。

 勝ち誇った顔で跪く九郎を見下ろしながら都中井が近づいてくる。

 九郎の後ろで小さな笑い声がした。

「おじさんおもしろいひとみたい」

 立ち上がって九郎が都中井に駆け寄った。

「やりましたね! アピール成功ですよ!」

「うっせえよ。で、何してたんだよ」

「見てわかりません?」

 そういわれて都中井は九郎と少女を見た。近くには大きな雪玉がある。

「……雪だるまか?」

「さすが道産子、理解が早いです」

「嬢ちゃん、ひとりで作ってたのか?」

 少女の前にしゃがんで都中井がそう尋ねた。

 少女はこくりと小さくうなずいた。

「すげえな。俺も手伝うぜ。もう一つ持ち上げんの大変だもんな」

 こくりと頷いて、少女はまた雪玉を転がし始めた。

 少し離れたところで都中井が九郎に声をかけた。

「おい」

「なんですか?」

「あの子ずっと一人か?」

「詳しくはわかりませんけど、少なくとも俺が見つけたときから一人でした」

「そうか」

「どうかしました?」

「いや、お前さ、考えてみろよ。あれくらいのガキがひとりっておかしいだろ」

 懐からまた煙草を取り出して都中井が咥えた。

「俺らが少し騒いでも親は来ねえって、どういうことだ」

「言われてみれば確かに」九郎が辺りを見渡したが、近くに大人はいない。

 少女は小学生にしては小さいくらいで、歳のころは六、七歳くらいに見えた。

「じゃあ、親御さんが迎えに来るまで待っていましょうか」

「それがいいかもな。変なのに取っ捕まっちまうのはかわいそうだ」

「都中井さんって見た目と違っていい人なんですね」

「うっせえよ、早くコーヒー買ってこい」

 そうでした、と九郎が近くの自動販売機に行ってコーヒーを二本買った。それから、ホットココアもついでに買って、二人のもとへ戻ってきた。

 どうぞ、と都中井に渡す。さんきゅ、と都中井がコーヒーを開けた。

「どうぞ」と少女にココアを渡した。じっと見て、少女はココアを受け取った。開けられないようで、都中井が「貸せ」と言ってさっと少女の手から缶を取ると、ぷしゅりと開けて手渡した。

「ありがと」

「すぐ飲めよ。冷めちまう」

 少女がこくりと頷いて、一口飲んだ。

「おいしい」

 満面の笑みでそういった。

「よかった」

 九郎も笑った。都中井も少し微笑んでいる。

 少しの休憩ののち、雪だるま制作にとりかかった。一つが一メートルほどもある雪玉は九郎達が想像していた以上に重く、九郎と都中井の二人で持ち上げるのがやっとだった。あとは顔をつくるだけだ。

 公園に捨てられていたバケツで帽子をつくり、少し大きめの石を花壇から拝借し、目を作った。折れて雪に埋もれていた枝を持ってきて鼻と手を作ってやると、なかなかしっかりした雪だるまが出来上がった。

「いい感じじゃねえか」

「ですね」

「かっこいい」

「かっこいいのか、これ」

「かっこいい、というんですよ、これを」

 時刻は四時を回ろうとしていた。重労働で、筋肉痛になりそうになりながらの完成だった。

「そういえば、どうして雪だるまをつくろうと思ったの?」

 九郎が少女に尋ねた。

「ゆきだるまつくりたかったから」

「そ、そっか」

「ガキの考えなんてそんなもんだろ」

「そうかもしれませんね」と苦笑いして、今度は「おうちに帰れる?」と九郎は尋ねた。少女はうつむいて、静かになってしまった。さっきまでの楽しそうな顔はなくなってしまった。

 家庭環境がよくないとか、そういうことなのだろうか、と考えるが、よくよく考えてみればまったくもって赤の他人の子であるのだからあまり立ち入るものでもないだろう。そもそも、なぜそんな子にこんなに関わったのだろうか。

「サンタクロースだからかな」

 九郎が小さく呟いた。そして思いついたように、

「そうだ、クリスマスプレゼントに何かほしいものってある?」と訊ねてみた。

「クリスマスプレゼント?」

「そう、いい子にしてたらサンタさんが君にプレゼントを持ってきてくれるんだ。何がほしい?」

 少女は少し考えて、「いいこじゃないから」といった。

「まりはいいこじゃないから、サンタさんこない」

「どうして?」

「パパとママにいいこにしてたらがっこういけるっていわれたけど、いいこじゃないからいけない」

 九郎と都中井が顔を見合わせた。

「どういうことでしょう」

「他人の家庭にずかずか入り込めるかよ。わかんねえよ」

「そう、ですけど」

「かえる」と、少女が言った。

「一人で帰れる?」

 こくりと頷いた。

「気をつけて帰るんだよ」

「また遊ぼうぜ」

 今度は笑ってうなずいた。

 とてとてと少女は公園を去っていく。

「俺、追いかけます」

「まあ、家着くまでな」

「都中井さんもですか?」

「悪いかよ」

「いえ、そんなことは思ってないですよ」

「見失わねえように行くぞ」

「はい」

 二人は少女のあとを追った。傍から見れば不審者同然なので通報されないか気が気じゃなかったが、公園で遊んだ後だったから、この際どうにでもなれ、とも思っていた。少女の足取りは少し重そうで、そして思いのほかすぐに着いた。しかし着いた場所は——公園脇にある大学病院だった。

「どういうことだ?」都中井が訝しむ。

「親御さんがここで働いているとか?」

「だからって職場に行くか?」

「最近そういうサービスもあるらしいですよ? 託児所みたいな」

「なるほどな」

 でも、と九郎は思い返した。少女の言葉を思い出す。

「いい子じゃないから学校にいけない、ってどういうことなんでしょう」

「多分だけどよ」と都中井が口を開いた。

「入院してんじゃねえか」

「入院?」

「親がいい子にしてたら治るって言ってんなら辻褄あうだろ」

「確かに。都中井さん、眠りの小五郎みたいですよ」

「起きてるわ」

「いや、たとえです」

「まあいいさ、明日もまた、セールスマンもどきで頑張ろうぜ」

「……そうでした」

 二人は家路につく。公園では、雪だるまが二体、仲良さそうに枝でできた手を合わせていた。

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