第4話

 車のほうに向かいながら持屋がサンタクロースの心得について話し始めた。

「サンタクロースは子供たちにとってまさしく神様みたいなものでね。幸せをプレゼントするんだけれど、その幸せの形は様々だ。最近多いのはゲーム機、ゲームソフト、漫画とか、フィギュア、そういったおもちゃかなあ。中には辞書がほしいなんていう猛者もいるけれどね。でもどれをとっても気を付けなければならないのは経済状況に見合っているか、ということ」

「さっきも言っていましたね」

「うん、大事なことなんだ。道中話したと思うけれど、サンタクロースのプレゼントはサンタクロースからのものとは認識されない。子供はそう認識するけれど、大人はそう思わない。つまり子供の親だね。だから、その子供の親がどれほどの経済状況にあって、その子にどれだけのものを買い与える気があるのか、というのを理解しないと、矛盾が生まれてしまうんだ」

「矛盾が生まれるとどうなるんです」

「簡単に言えば、家庭環境が悪くなる」

「え」九郎が目を見開いた。

「だっておかしな話だろう。買えないものを手に入れているというのは。そこで記憶の齟齬が発生してどうしてこれを持っているのか、ということを考えてしまう。となると、無駄遣いをしたとか、盗んだとか、いろいろ面倒なことを想像させてしまって、結果、あまりよろしくないクリスマスを迎えてしまうんだ」

 持屋が遠い目をした。

「新入りのころに一度それで手痛い失敗をしてね。絶対に気をつけたほうがいい。些細なことだと思っていると、次の年その子に会うのがつらくなる」

 それと、と持屋が付け加えた。

「サンタクロースは大人にだってプレゼントをする。まあ今回九郎くんに手伝ってもらうのは子供の分だけなんだけどね」

「大人も?」

「そう、みんな誰だって幸せはほしいじゃない。だからほしいと願えばサンタクロースはやってくるのさ」

「でも、俺、そういうのなかったけどなあ」

「それは君が願わなかったからさ。サンタクロースはいない、クリスマスプレゼントなんていらない、と思っていればサンタクロースはやってこない。自分は不幸だと思い続けて何もしないシンデレラには魔法はかからないでしょう?」

 そうか、と九郎はうなずいた。たしかに九郎は成長してからクリスマスに何かほしいと思ったことはなかった。

「じゃあそうやってプレゼントを願う大人たちは」

「自分や身近な人が買ってくれたことになる。そうやってサンタクロースの行いは普通の人たちにはわからないように修正されていく。サンタクロースの五箇条にもそう書いているよ」

「ほかにはどんなことがかいているんですか」

「人にやさしくあれ、とかね」

「親父はそんなことないですけどね」

「そんなことないよ。本当は君のことを連れて帰る気はなかったみたいなんだ」

 まさか、と九郎が苦笑いをした。

「本当に。会議で身内を引っ張ってこい、と決定してからも三田さんは君を連れてくることに反対していてね。最後まで自分がその分働くと言って聞かなかったんだよ。でももういい歳だからね。正直体力的にきついものもあるだろうから、九郎君が帰ってきてくれて本当によかったよ。あ、僕がこの話をしたことは内緒ね。三田さん、なんでか知らないけれど君に気をつかっているんだと知られたくないみたいでね。また飲みに連れてかれて、たかられちゃうから」

 こないだはひどかったんだから、と持屋が続けた。一週間前に三田から誘われて居酒屋に行ったところ、鱈腹蟒蛇にしこたま飲まれて代金は軽く家賃ほどになっていたらしい。それをさらりと支払うように仕向けられたらしいのだった。

「親父に代わって俺が謝ります、すみません」

 九郎が頭を下げると、違う違うと持屋が手を振った。

「別に困っているわけじゃないんだよ。もうずいぶんと長い付き合いだしさ。まあそりゃ、体に気をつかってほしいから少しはお酒控えてほしいなあと思うけれども、ありゃ最早病気だからね。仕方ない」

 持屋がそう言って片目を閉じた。

「さて、長々と話していたけれど、こちらをご覧くださいな」

 切り替えて持屋がそう言って手をさしたのは先に窓から見えていた軽ワゴンだった。色は白く、雪に紛れてしまいそうだ。

「この車、ただの軽ワゴンに見えるけれども本当は違うんだ」

「車種が、ってことですか?」

「まあそんなとこ。この車は宙に浮ける」

「……え?」自室で父親にサンタクロースの話をされたときと同じような表情になった。九郎は目の前にいるのが持屋だったことを思い出して表情をただした。

「まあ、それが普通の反応だよね」持屋は苦笑して懐からキーを取り出した。

「乗ってみればわかるんだけれどさ」キーを軽ワゴンに向けるとかちゃりと鍵の開く音がした。見た目に反してずいぶんとハイテクな仕様らしい。

「見た目こそただの軽だけれどね、ちゃんと改良しているからドアは自動ドアだし、キーレスにほぼほぼなっているんだ。わざわざ鍵口にキーを差し込まなくていい。そうはいってもキーは持っていなければならないんだけれどね。空飛ぶ車だから、ばれてしまうと色々面倒だし」

 と、持屋が乗り込んだ軽ワゴンには先客がいた。

 助手席でぐうすかといびきをかいて眠っている男性がいた。

「なんだ都中井くん、ここにいたのか」

 気が早いなあと持屋が笑った。状況の読み込めない九郎はただただ困惑するばかりであったが、そんな九郎をよそに持屋は助手席で眠る都中井をゆすり、起きるように促した。しかしずいぶんと本格的に眠っているようで都中井は起きる気配がない。ゆすられて迷惑そうな顔はすれども姿勢を変えてそっぽを向いた。

 運転席で持屋が困ったなとつぶやいた。

「まあいいか、九郎君、申し訳ないんだけれど後ろに乗ってもらえるかな」

「わかりました」と九郎は後部座席に乗り込んだ。車内はとくにこれと言って特筆するほど不思議なところは見受けられなかった。ソファも別に特別な気はしなかったし、流れているラジオも普通だ。”サンタ通信”とか”サンタニュース”とか、そんな狭い客層に向けたラジオは流れておらず、ふつうのエフエムが流れていた。いったいこの車が本当に空を飛ぶのだろうかと疑問に思えてならなかったが、三田が言うならまだしも持屋が変な冗談を言うとも思えず、九郎は後部座席で静かにしていた。

 キーを差し込んでエンジンをかける。何も不思議なことは起きなかった。

 持屋が手慣れたハンドルさばきで屋内駐車場を出て、それは起こった。

 ふわりと無重力を感じたのである。え、と九郎が思わず声を出した。

「最初は気持ち悪いかもしれないけれど慣れれば問題ないよ」

 と持屋がのんきなことを言う。それを聞き流して九郎は車窓の外を見た。

 宙に浮いている。確かに軽ワゴンは宙に浮いていた。エンジンの駆動音はする。けれどもタイヤが雪をかみしめていたのはわずかに十数秒で、今はもうガシガシと雪を踏み潰す音はない。それに無重力感がある。地に足がついていない感覚が九郎にあった。

「夢、じゃないですよね」と九郎が言った。

「夢なのは都中井君だけだね」と持屋が笑った。

 左を見れば助手席をばたりと倒して都中井が死んだように眠っていた。肝が据わっている、といえばいいのだろうか。

 もう一度窓の向こうを見れば結構な高度まで上っていて、眼下には明かりがちらほら見えた。遠くには日が落ちかけていて、夕焼けと夜空の境界線が見えた。

「これも、サンタクロースの力ですか」

「そうだね、そういうとまるで特殊能力みたいで面白いけれど、まさしくそうだ。むかしはね、確かにそりに乗って配達をしていたんだけれど、現代社会に合わせようという運動があって、今では車が主流なんだ。海外だとそりのほうが安定するらしくていまだに車は珍しかったりするんだけれど、日本はそこらへんしっかりしてるから」

 そんなサンタクロースのお国事情を持屋が話してくれたものの、九郎は空を滑るように走っている今の状況が不思議すぎてぽかんと口をあけて窓の外を眺めるだけだった。九郎の顔をルームミラーで見た持屋が笑って、「九郎君にもこれを運転してもらうんだからね」といった。

「俺もですか?」

「もちろん。都中井くんと一緒にだけどね」と、持屋が隣の都中井をゆすった。

「ほら、いい加減起きなよ」

 ゆらゆらと体をゆすられて、都中井がうめき声をあげた。それから少しして、目を開けて、「あ、持屋さん、どもっす」と言って、また目を閉じた。

「ほら、仕事覚えなきゃだろう。起きて」

 仕事、と聞こえて、都中井が静かに体を起こした。

「ああ、そうでしたね。で、なんすか、配達? 親父がサンタだなんだって言ってましたけど——」

 頭をかいて首を回して、ゆっくりと目を開けた都中井はがたがたと震えだした。

「そうそう、サンタクロースの仕事さ。親父さんはちゃんと安静にしてるかい? あの人歳の割にすぐ無理するからなあ」

 のんきに笑う持屋をよそに眉間にしわをよせて都中井は目を強く閉じては開いて窓の外を見て、また閉じては開いて窓の外に目をやった。

「嘘嘘嘘嘘。嘘だろおいなんだこれ」ぼそぼそと都中井が言う。

「俺まだ寝てるのか」ともう一度座席に倒れこんで、数秒。

「んなわけあるか、起きてるわ!」と跳ね起きて叫んだ。

「ななななななんすかこれ、え? は? てかお前誰!?」

 都中井は周りをぐるぐると見て、その最中に九郎を見つけたらしく、叫んで助手席の車窓に頭をぶつけてうなった。

「君のほうが年上なんだから落ち着きなよ。彼は九郎くん。三田さんの息子さんで、君と一緒に仕事の手伝いをしてくれることになったんだ。仲良くしてね」

 持屋がまるで小学生くらいの子を相手にするようにそんなことを言った。九郎が小さく「よろしくお願いします」と頭を下げると、都中井も「こちらこそ」と小さく頭を下げた。

「ってそうじゃなくて!!」

「君が誰って聞いたんじゃないか」

「いやそうなんですけど! なんすかこの状況!? 俺車乗ってろって言われたから乗って待ってたんすけど、え、あ? は?」

 都中井がせわしなく動いている。

「顔合わせだよ」

「顔合わせって確かにそうですけど、いや、なんで、車が空飛んでんのって話!」

「ああ、そうか、まだ話してなかったかあ。親父さんもひどいなあ、言っときゃいいのに」はあ、と持屋が一息吐いた。

「順を追って説明していくよ」

 持屋はそう言って、アクセルを踏み込んだ。少しずつ軽ワゴンは加速していく。メーターは六十のあたりを振り子のように小刻みに動いていた。

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