第3話

 北海道はもうすでに雪にまみれていた。ゲレンデは早くもスキー客であふれているようで、空港はそれらしき一団が多くいた。横目にして九郎は父親に連れられて足早に空港を後にした。外に出ると、暖かそうなオレンジ色のダウンジャケットを着た中年男性が大きく手を振っていた。一際目立つその男性が「おーい」と声を上げながらこちらに近づいてきた。

「遠路はるばるご苦労さん。よく帰ってきたねえ。九郎君」

 誰だ、と思い返してみれば、実家の近所でおもちゃ屋さんを営んでいた持屋もちやだった。白髪は増えたが、その当時と変わらず恰幅がよく、人よさそうな雰囲気は変わっていない。

「お久しぶりです、ご無沙汰してます」

「元気そうで何よりだ。さて、早速行こうか。三田さん、実家寄ります?」持屋が父親に尋ねた。三田は首を横に振って、「資格が先だ」と言った。

「わかりました。じゃあほら、車乗って」

 九郎は促されてワゴンの後部座席に乗り込んだ。運転席に持屋が、三田は助手席に乗り込みドアを閉めるとワゴンは静かに走り出した。

「いやあ、しかしほんと、よく帰ってきてくれたよ。今年はさすがに厳しいんじゃないかとひやひやしてたんだ」持屋がははと笑った。

「ほんとにな。まさか都中井さんとこがぎっくり腰で動けなくなるとは思ってもなかったしな」

「うん、災難だなあ。でも息子さんがなんでも手伝ってくれるとかって話だよ」

「そうなのか。まあでもなあ、人手不足には変わりないからなあ。九郎、会社は休ませてくれるってか?」

「とりあえずはね。引継ぎもしたし、年明けから大変だろうけど今は大丈夫」

「悪いな」三田が言った。

「本当にごめんなあ、結構ぎりぎりでなあ」持屋が苦い顔をした。

「そんなに大変なんですか?」

「まあねえ、お父さんからどれくらい話を聞いたかわからないけれど、サンタクロースの仕事って、なかなか信じられないでしょう?」

「ええ、まあ。まだ信じきれてないですし」

「まだ信じてないのか」三田がため息をついた。

「まあまあ、信じられないでしょうよ。普通はそうなんだよ。だからね、どうしてもこの人手不足は解消できなくてね。一般の中にもサンタクロースの才能を秘めている人がいるかもしれないけれど、どうしても門が狭いというか、見つけづらいからね。本当に、帰ってきてくれてありがとう」

 そこまで礼を言われるとむずがゆくなる。何せまだなにもしていないのだから。

「それで資格ってどうやって取るんですか」

「車の免許と一緒さ。教習を受けて、試験を受ける。それに合格すれば見事サンタクロースだ」

「ただ車の免許より大変だ。人柄が大事だからな」

「人柄?」九郎が訊ねる。

「ああ。プレゼントを取り出すところを見せたろ?」三田が後ろの九郎を見た。

「うん、マジックだと思った」

「あれを悪用するやつもいるんだ」

「悪用?」

「転売とかね、ほしいものを手に入れて豪勢な生活を送るとかね、やるひとはやるんだ。だから人柄が大事なんだ。その資格を誰のために使うのか、ね」持屋がルームミラー越しに九郎に言う。

「誰のために使うのか、か」

「そう、誰のために使うのか。サンタクロースは幸せの象徴だからね。私腹を肥やすのはちょっと違う」

「いわばボーナスみたいなもんさ。頑張って一年を過ごした誰かへのご褒美だ」

「でも、そういうのって、バレない? その、サンタクロースがいる、って。なんでそうならないんです?」

「サンタクロースは幻想だからさ」持屋がさらりと言った。

「どういうことですか?」九郎が眉間にしわをよせた。

「サンタクロースがプレゼントしたことはね、記憶に残らないんだ。いつの間にか自分で手に入れていることになる。人は虫がいいからね。買ったつもりになる」

「だからサンタクロースがその誰かへのプレゼントをするには、その誰か、家庭の懐事情が重要になってくる。金持ちならその上限も上がっていくわけだ」三田が得意げに言った。

「だから俺が買えそうなものって言ったの?」

「そういうことだ。けれどもどれだけ金持ちになろうとサンタクロースは国はプレゼントできない。世界情勢が変わってしまう。ほかにも色々規約はあるが、それはこれから学んでいけ」

「了解。で、その教習所はどこなの?」

「もう少しでつくよ。あと少しだ」持屋にそう言われて、九郎は座席に深く凭れた。外は一面雪景色で、久しぶりの田舎はまさしく冬到来といったところだった。ニュースで見たときよりさらに積もっているように見える。都会はさっぱり雪が積もらないから懐かしさすら覚える。

 ぼうっと外を眺めているうちにサンタクロースの教習所についた。

「ここって」九郎が窓の外に見えた、見慣れた風景に首を傾げた。

「そう、僕の仕事場さ」持屋がそう言って、さあ降りて、と車から降りていった。

 そこにあったのは”おもちゃの持屋”と書かれたポップな看板を掲げている、九郎の実家から車で十分ほどで着く持屋の自宅兼職場だった。子供のころはたびたびここに通ってはゲームだったり、プラモデルだったりを眺めたり安く買わせてもらったりしたものだった。

 中に入ると、当時と変わらず子供にとっては宝物庫のようだった。もう二十歳も過ぎたいい大人であるが、そんな九郎でも心が躍るほどプラモデルやらゲームやらが所せましと天井に届かんばかりに陳列されている。

 広さは二十畳ほどしかないので、大型トラックが近くを通っただけでもひとたまりもなさそうだ。

「さて、鍵はしめたぞ、と」

 持屋がそう言いながら九郎の横を通り前へ出た。人ひとりも通るのがやっとな通路をよく器用に通ったものだと九郎が感心していると、持屋がレジを適当に叩いてみせた。するとレジの向こう、間取り的には奥の休憩室に通じている扉が下にもぐり始めた。

 まるで秘密基地のようだった。ドアの向こうには階段があって、持屋が笑顔で手でそちらに向かうように促した。九郎はおずおずと足を進めた。まどろっこしいと思った三田がその背を押してずいずいと先に進んでいく。

 階段を降りきると、そこには休憩室と呼ぶには広すぎる部屋がひとつあって、壁一面の窓の向こうには十数台ばかりの大小さまざまな車が置いてあった。

「さて、じゃあ早速だけど試験を受けてもらおうかな」

「え、教習とかはないんですか?」驚いて九郎が訊ねると持屋はきょとんとして、「ないよ?」と首を傾げた。

 九郎は助けを求めるように三田のことを見たが、三田は「いいから早く座れ」と言って、近くにかけてあった折り畳み椅子を用意して、さらには長机をひとつ九郎の前に置いた。流れ作業のようにその上に持屋が試験用紙を数枚とボールペンを置いて腕時計を見た。

「大丈夫、問題は常識問題だから。規約については試験に合格してから学んでいっても間に合うよ。というわけで制限時間は一時間、解答用紙と試験用紙は二枚ずつで計四枚、記述式とマーク式が混在しているので間違えないようにしてね。では、試験開始」

 問答無用と言わんばかりに試験は始まった。困惑しつつも、手元に置かれた問題用紙に目を通す。始まってしまったのなら仕方ない。ざらっと目を通すと、常識問題のような内容ばかりだった。例えば「飲酒運転をしてはいけないが、ビールならよいか?」というような運転免許の試験に出てくるようなものや、「国民の三大義務とされているものは?」といったものなど様々だった。

 気持ちを切り替えて回答を書き込んでいく。そして最後の問題に目を通した。

 ”その家庭の経済状況に不相応なものを願われたとき、どうするか”

 これはどういうことだろうか。九郎は二人の顔を盗み見たが、三田は眠っているし(なんならいびきまでかいていた)、持屋はいつの間にかプラモデルを作っていた。試験の最中だというのに自由だ。

 かといって、試験の最中なのだから試験官に問題について尋ねるのもおかしな話だと思い、九郎はもう一度テキストに目を落とした。

 ”その家庭の経済状況に不相応なものを願われたとき、どうするか”

 例えば、車がほしいとか、家がほしいとか、そういうような高い買い物をサンタクロースが頼まれてしまったときにどうするか、ということだろうか、と九郎は考えた。そう考えると、それよりもさらにグレードを下げて、その経済状況に見合ったものを与えるべきではないか、と思いつく。

 というか、子供のためのサンタクロースだとしたら、少し話は変わってくるか。子供がそんなに高いものをほしがるだろうか——とそこで自分が子供のころを思い出した。

 幼いころ、周りの友人たちが新しいゲームソフトやゲーム機を持っていて、自分もほしいと両親に頼んでみたけれど断られ、サンタクロースにお願いしたところ、ほしかったゲーム機よりひと昔前のものをプレゼントされたことがあった。つまりは、この答えはやはりグレードを下げて経済状況に見合ったものにするべき、ということなのだろう。

 九郎はそう書き込んで、ペンを机に置いた。

 すると、持屋がプラモデルを組み立てていた手元から視線を上げて、九郎を見た。

「終わったかい?」

「一応」

 九郎がそういうと、持屋が立ち上がって解答用紙を回収して目を通し始めた。いびきをかいていた三田がびくりと体を震わせて起きると、「終わったのか」とガラガラと喉が渇いた声を出して、持屋の横に行って解答用紙を見始めた。

 しばらく二人は解答用紙を眺めていた。その時間は九郎にとって、苦痛だった。就活の面接で何度となく落ちたことを思い出す。試験官が履歴書を眺めて、適当なことを質問され、返答するとまた履歴書を眺め、周りに重たい空気が流れていた。嫌な記憶だ。

 二人が解答用紙を見終えたようで、九郎に顔を向けた。心臓がどくんと脈打つ。

「合格。さて、じゃあ都中井くんと合流して仕事してもらおうかな」

 ほっと一息ついた九郎を見て持屋が微笑んだ。

「これから忙しくなるからね、覚悟したほうがいいよ」

「え、クリスマスだけなんじゃ……」

 三田のことを見ると、我関せずといった表情でとぼけている。

「だましたな」

「なんのことだ? ほら、早く持屋についていけ。じゃ、あとは頼んだ」

 はいはい、と持屋が言う。三田はそそくさと出て行ってしまった。

「じゃあ行こうか」

 持屋に促されて、九郎はあきらめてその背についていった。

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