第2話

 幼いころはサンタクロースの存在を信じていたが、歳を重ねるにつれて現実を知る。その結果サンタクロースなんているわけがない、幻想だと笑うようになるけれど、それからまた歳を重ね、自分が子を持つようになると、その幻想を現実だと子に信じてもらうよう躍起になる。自分もそうなるのだろうと九郎は思っていたが、現実はそうでもなかった。

 家庭を持てないとかそういうことではない。

 ある日、二か月ぶりの休みで惰眠をむさぼっていたところに父親が突然やってきて、九郎の人生は変貌を遂げることになった。

 チャイムの音で九郎は目覚めた。冬眠から目覚めた熊のようにのそりとベッドから這い出て玄関に向かいドアを開けると、そこにはニコニコと仏のように笑う父親がいた。

「よう」と父親が手を挙げる。寝ぼけ眼を何度か瞬かせて九郎は「親父?」と尋ねた。

「おう、親父だ。寒いから家に上げてくれ」

 父親がそういってずかずかと部屋に上がっていく。赤いダウンジャケットはもこもことして寒そうには到底見えないが、鼻先が赤くなっていたので、いくら北国の男といえど、都会の寒さに適わないらしかった。頭を掻きながら九郎が父親のあとを追って部屋の中に戻っていくと、父親はダウンジャケットを脱ぎながらテーブルの前に座って、部屋をぐるりと見渡していた。

「何か飲む?」

 九郎が父親に尋ねると、コーヒー、とだけ言われた。あいあいと、九郎がホットコーヒーの用意をする。電気ケトルで湯を沸かす九郎に、父親が「仕事は順調か」と尋ねた。

「まあ、問題はないよ。世間じゃどこもかしこもブラックブラック騒がれてるけど、うちはだいぶホワイトだね。まあ、最近大きなプロジェクト任されちゃって休みがなかなか取れてなかったけれど、今日は上司が休めって、休みもらえたんだ」

「ふうん、そりゃいいことだな」

 九郎が大きく欠伸をした。

「寝てるとこ起こしちまったのか」

「いや、別にいいよ」九郎が壁にかけた時計を見た。

「もう十二時だから、むしろありがたいね」

「相変わらずよく寝るんだな」

「寝る子は育つから」

「二十歳過ぎてまだ育つ気か?」

「もう少し身長はあってもいいでしょ」

 かちゃりと電気ケトルが音を立てた。湯が沸騰した合図だった。インスタントコーヒーの粉末をマグカップに目分量で入れて、そこに沸きたての湯を注ぐ。白い湯気と一緒にコーヒーの苦みのある香ばしい香りがのぼってきた。自分の分も淹れて九郎はテーブルへ戻ってきた。

「どうぞ」九郎が父親の前にコーヒーを置く。父親が短く礼を言って、そのコーヒーを眺めた。九郎はコーヒーを一口すすりながら父親の様子を眺めた。

 いったい何をしに来たのだろうか。実家からここまでは飛行機で二時間はかかるはずだ。何の連絡もなく、急にやってくるなんて何かあったのだろうか。

 じいっとコーヒーを眺めていた父親が、顔を上げた。

「なあ九郎。お前実家に帰ってこないか」

「なんで? なんかあった?」

「なんかあったっちゃ、なんかあった」

「なにそれ」

「そのー。んー」

 父親が腕組をして、なんと話せばいいのか思案している様子だ。

「九郎は、仕事に困ってないんだもんな」

「まあ。困ってないよ。農家の仕事が大変ってこと?」

「いや、そうではないんだけども」

「ばあちゃん倒れたとか?」

「それだったらすぐ連絡してる」

「だよね。じゃあなに?」

「いやなあ」

 父親はまだ腕を組んでうなっているが、九郎は知っている。ここまで行動を起こしたということは父親は本気で九郎を連れて帰る気だ。小さいころからそうだった。父親は何かを行動に起こせばそれを達成するまで止める気がない。荷物も持たずここまで来たということは、短期決戦で連れて帰る腹積もりなのだろう。

 ただ、じゃあなぜ、理由を言わないのだろうか。もし、何か家族にあったのならば理由によっては今すぐにでも会社に連絡をつけて飛んで帰ることだって可能だ。

「お前に、俺の仕事のこと話してなかったよな」

「仕事って、JAじゃないの」

「ああ、まあそれもあるけども」

「なに? さっきからすげー歯切れ悪いけど」

「いやー。あー。あ、まずこっちだ」何がこっちだ、と九郎がつぶやいた。

「お前、彼女いるか」

「いるよ」

「いるの?」驚いた様子で九郎を見た。

「いるよ」

「え、いたの?」父親は困った顔をしている。

「いたよ」

「え、誰? 萌ちゃん?」

「なんで萌が出てくるんだよ。あいつ実家でしょ」

「実家だけど、遠距離とかあるじゃない」

「無理でしょ」

「ええ、意外とリアリスト……うわーどうしよう」

 父親が困ったなあ、とつぶやいて、ようやくコーヒーを飲みだした。

 といったものの、九郎と彼女はここ最近、うまくいっておらず、かといって別れたわけでもないのでいないとは言えなかった。いないというのはそれはそれで恥ずかしい気もしたし。

「まあそれは若い者同士でどうにかしてもらうか」

「どういうこと?」

「それはいいんだ」

「なんなんだよ。何しに来たの?」

「頑張っているお前には悪いんだが、仕事を辞めてこっちに戻ってきてくれないか」

「やっぱり何かあったの?」

「あった。大ありだ」

「そう言われてもさ。仕事辞めて帰るなんてできないよ。さっきも言ったろ。大きいプロジェクト任されてるんだ。ここでやめたら出世もないし、会社に損害も出る。何より俺がやりたいと思ってやってるんだ」

「だよなあ。でもなあ、こっちも大切な仕事なんだ」

「何の仕事なの?」

 そう尋ねると、父親は眉間にしわを寄せて、小さく息を吐いた。

「お前も大人だからな。俺が冗談を言わないとわかっているだろうから、ちゃんと言うぞ。サンタの仕事だ」

「……は?」

「すぐそうやって冷たい目をする。お前は都会に来て心も猶更冷たくなってしまったのか?」

「いや、別に都会に来たのは関係ないでしょ。親父がわけわかんないこと言うから」

「わけわかんないだろうけどわかってくれ」

「いや無理だよ。なにそれ。サンタ? 幼稚園とかで野菜かなんか配るってこと?」

「違う違う。本職の話だ」

「はあ?」

「あのな、代々うちの家系はサンタクロースを生業をしてるんだ。ほかにもいるんだが、日本支部のほうで高齢化が進んでしまって人手が足りないんだ。人員募集をかけようにもサンタクロースはそうやすやすとできる仕事じゃあない」

「まあね、ふつう信じないでしょ。事実俺も信じてないし」

「うん、それもある。けどな、資格というか、持って生まれた才能が必要でな」

「才能? 俺にあるとは限らないじゃん。てかさ、サンタクロースっておじいちゃんじゃないの? 高齢化はちょうどいいじゃん」

「そんなの幻想だよ。お前力仕事だよ? しかも真冬の夜中に。年寄には難しいよ。そりゃレジェンドサンタと呼ばれる人たちはやってのけるけどさ。日本にもいるけれども、レジェンドってつくからね。一握りさ。だから、まあ仕事をやめろとは言わない。実家に帰ってこなくてもいい、ただ、クリスマスだけは、どうにか手伝ってもらえないか」

 頼む、この通りだ、と父親が頭を下げた。初めて父親の頭を下げるところを見た。

「いや、頭上げてよ。あのさ、急にそんなこと言われたって、わかんないしさ」

「そこをわかってくれ」

「俺の気持ちもわかってよ。親父が急にやってきたと思ったら、実はサンタなんだ、高齢化が進んで人手不足で大変だから手伝ってくれ、って突然言われて信じると思う? 信じる信じないを抜きにしても納得すると思う?」

「世間一般のふつうは信じられないし納得もしないだろうな」

「でしょ?」

「でもうちはサンタクロースなのが普通なんだよ。世間一般とは少し違う」

 と、言ったあとに父親は、「じゃあ何か、サンタを証明するようなものがあればいいんだな?」と言った。

「まあ、そういうこと。いや、証明されても困るけどさ」

「ちょっと待ってろ」

 頭をかく九郎をよそに父親がそう言って玄関にむかった。それからすぐに戻ってきて、「これでどうだ」と言った。九郎は目を瞬かせて、目頭に指をあてた。

「なんだまだ納得しないのか」

「できるか!」

 九郎がため息をついた。戻ってきた父親の姿は暖かそうな赤いコートで包まれており、サンタクロースのそれだった。ダウンジャケットのほかにコートまで持ってきていたのかと思うくらいで、別段それが証拠になるとは思えなかった。それにしてもそれを見たところでなんだというのだと思ったくらいだった。

 そんな九郎の態度に辟易して、「じゃあこれ」と言って父親が懐から取り出したのは「サンタクロース資格証」と書かれたものだった。ご丁寧に日本支部の会員番号まで書いてある。胸を張る父親の目の前で九郎は肩を落とした。

「それを見せられたところでさ」

「おまえ、これがなきゃサンタできないんだぞ? すごい大事なものなんだから」

 またしても思いのほかな九郎の態度に父親が憤慨したが、九郎からしたらいい歳をした大人(五十四歳)がふざけているようにしか見えない。忘年会での出し物の練習と言われたら納得できるくらいにだ。

「ああ、もう、わかった。この手は使いたくなかったが。九郎、何かほしいものはあるか? 車、住居、国、はとりあえずダメ。いろいろ他に規約はあるが、とりあえずそうだなあ、何か自分で買えそうなほしいものはあるか」

「じゃあ、ノートパソコン。macの最新型」捨てるように言った九郎に、父親は、

「ちょっとどういうのか見せてくれ」と至極真っ当真剣な顔で返した。

 訝しみながら九郎がスマホで検索をかけて、画像を見つけて、これ、と父親に向かって画面を見せた。すると、父親はその画面に手をかかげた。そのまますうっと後ろに引く。

 キツネにつままれた——そんな気分だった。目の前でありえないことがありえた。すうと後ろに引いた父親の手が、九郎の言った最新型のノートパソコンをさも掴んでいるかのように、小さなスマホの画面からそのサイズよりも大きなノートパソコンが現れた。青白い光が、レゴブロックを積み上げていくように徐々にノートパソコンをかたどって、父親が手のひらを天に向けるころにはその上に完成されたノートパソコンがあった。どこからどうみてもおかしなところはないし、九郎がほしいと言って見せた画像のものだった。

 九郎は愕然とした。じいっとそのノートパソコンを見る。

「ほれ」と父親がそのノートパソコンを九郎に渡した。開いた口がふさがらないまま九郎は手渡されたノートパソコンを触る。触ってみるが質感にも見た目同様おかしなところはない。開いて、スイッチを入れてみる。当たり前のように起動した。偽物のような様子もない。

「……マジックでも習ってるの?」

 いまだに信じられない様子で九郎が父親に尋ねた。

「まだ言うか。今見たろ。あれがマジックだとしたら俺はテレビに出ずっぱりだ」

 それ以上だろ、と九郎は心の中で返した。

「とにかくだ。頼むから手伝ってくれ」

「でもその資格がなきゃだめなんでしょ?」

「だからいま直ぐ帰ってきてほしいんだ。俺の元で資格を取ってくれ」

「親父のもとでとれるの?」

「まあ正しく言えば俺の知り合いだが、日本だとそこなんだ」

「北海道?」

「ああ、雪国北海道、そこが日本支部の本部がある場所なんだ」

「……わかったよ、今回だけね」

「恩に着る。じゃあ行くか」


 こうして、九郎は北海道に向かうことになった。

 どこかに眠っていた童心を起こしながら。

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