STORY5 いまがいちばんかわいい時(4/8)

「キンジョウって名前、聞いたことあるよ。私が編集部にいた時に……」

北村が何気なくつぶやくと、佐々木は上司の思いがけない反応に眉毛をピクリと動かし、ビールで喉を潤してから続けた。

「金城は僕と同じ日に入社した男で、天才的なアイデアマンでした。なにしろ、仕事が速くて、カラオケもうまかった」

「それに、イケメンだったわよ」

向かいの経理担当の女性が、思い出に浸る眼差しで継ぐ。

もう一方のテーブルは2、3人ずつで会話に花を咲かせているが、北村側の6人は全員が同じ話題に耳を傾けている。

「……そうだ。ウェブサイトと連動した雑誌企画を私に提案してきたんだよ!」

北村は呼び戻した記憶をそのまま発して、佐々木を見た。

デザイナーが通りかがりの店員を呼び止め、いくつかの飲み物を追加注文する。

少しの間、北村は目を閉じ、時間を過去に巻き戻していく。

編集長として、血気盛んな時期だった。

ある日突然、会社の役員に呼ばれ、ホチキス止めした企画書を渡された。

「金城っていう、子会社にいる若いヤツが書いたんだけど、なかなかおもしろい提案だよ」

応接室で紫煙をくゆらせる上役を一瞥して、編集長の北村は書面を斜め読みした。

関連会社の顔も知らない若者に企画を持ち込まれるなんて気分が悪かった。20万人の読者相手に優れたコンテンツを考えられるのは編集部の者だけ――そんな思い上がりで、預かった提案書をデスクの引き出し奥深くに幽閉した。


運ばれてきたウーロンハイに手をつけず、北村はテーブルを囲む者を見渡し、「……金城さんは辞めちゃったの?」と訊いた。

上司のストレートな質問を受けて、皆の視線が、今晩の幹事であり、金城の盟友だった佐々木にいっせいに集まる。

「死んだんです。台風の日にサーフィンして」

今夜の飲み会が、もともとは急逝した金城を偲ぶものであり、彼の誕生日の頃に毎年みんなで集まるようになったと、経理担当の女性が補足した。

「いまはもう、ただの口実ですよ。僕らはみんなで飲む機会があまりないじゃないですか。金城のことを知らない社員も増えたし、奴の名前をわざわざ出すのは止めてるんですが……」

店員に予約時間のオーバーを告げられた後で、佐々木は北村にそう耳打ちした。

たしかに去年もこの時期だった。

ちょうどその夜は、真理絵と久しぶりに食事する約束があったので、部下からの誘いをためらいなく断ったが……そんな背景があったとは。


支払いを終え、全員が店の前に揃うと、佐々木は「明日もがんばろう!」と威勢よく締め、四方八方に背を向けた仲間に手を振った。

2次会への流れを予想していた北村は多少拍子抜けした思いで、部下たちの後ろ姿を見送る。

路上では、客待ちのタクシーが速度を落とし、駅の方角へ向かうサラリーマンを居酒屋の店員が呼び止めていく。

寒くもなく暑くもなく、風のない5月の夜はアルコールを帯びた体に程よいものの、北村の胸中にざらついた小石が残った。

「部長、ちょっとだけ車で動きませんか? 金城のおふくろさんの店があるんですよ」

佐々木の誘いに、北村は迷わず頷いた。


外苑東通りを麻布方面に向かい、地下鉄の乃木坂駅を越えたところで運転手はメーターを止めた。

タクシーの中で「金城卓也」というフルネームと28歳で亡くなった事実を聞いた北村は、車を降りて抜け道ふうの路地を曲がった場所で紫の看板を目にした。

人気(ひとけ)のない薄闇にポツンと火が灯っている。

六本木交差点が近くにあるはずなのに、まるで世界の裏側のような静けさだ。

バーは低層ビルの地下にあり、しばらくぶりに訪れた佐々木自身も、営業を知らせる灯(あかり)に安堵の息をついた。


「あらっ!」

木彫り模様のデコラティブな扉を開けると、店主らしき女性が声を上げた。

そして、読みかけの本を閉じ、屈託のない笑みで佐々木を迎えると、北村に目線を移し、「いらっしゃいませ」と静かに言った。

キャッシャーの卓上ライトが読書用のわずかな空間を作り、リキュール棚の青白い光線がカウンターの月明かりになっている。化粧室を突き当たりにした細長い間取りの店で、テーブル席はなく、他に客の姿もない。

佐々木と北村がカウンターに腰かけると同時に、店主はBGMのシャンソンを絞った。

「大編集長を連れてきました」と佐々木。

「ダイヘンシュウチョウ?」

おしぼりを差し出して、彼女は首を傾げた。ハイネックの赤いセーターの中で、パールのネックレスがうっすら光っている。

「いまは僕の上司で、制作部の部長ですけど、以前は親会社で『バカ売れ雑誌』を創ってらしたんです」

佐々木の過剰な紹介に、北村は「それは昔の話」と苦笑いして名刺を出し、マルボロライトをカウンターに乗せた。

「マスコミの方なのね。金城です。よろしくお願いします」

店主は名刺の替わりに灰皿を向け、初対面の客に丁寧に頭を下げた。

透明感のある声色で、夜の匂いを感じさせない女性だった。齢(よわい)に抗さないメイクも商売色を薄めている。店番をたまたま任せられた乃木坂界隈のマダムといった雰囲気で、草食動物っぽい黒目がちな瞳が鋭角に描かれた眉とアンバランスだが、鼻筋の通った和風美人だ。20代半ばで母親になったとして、自分や早苗より少し年上だろう。北村は寸座にそう思い、考えた。

「ウィスキーをお飲みになりますか? 佐々木くんはターキーのソーダ割りかしら?」

金城は店のキャストを紹介するようなそぶりで半身に構え、背面のリキュールを披露した。席数にそぐわない大量のボトルが上下2段で並んでいる。

佐々木の「はい」の後で、北村は少し迷ってからジェムソンのロックをオーダーした。

「卓也のこと、今日初めて北村部長に話したんですよ」



(5/8へ続く)

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