STORY5 いまがいちばんかわいい時(1/8)


「詳しい話は派出所で」と、交番に連れ込まれた北村和幸は、職務質問に応じるかたちで手短に説明した。

先月の事故被害者の親族であること。バス停を上から見ようとマンションに入ったこと。会社勤めのサラリーマンであること。

交番勤務のふたりの警官は困惑の色を浮かべ、自分たちより年上の容姿をまじまじと見つめた。

年季の入ったベージュのジャンパーも千鳥格子のスラックスも一市民のそれにちがいないが、早朝に[ワケあり中年男]を迎える予定は彼らのスケジュールにはなかった。

北村にとっても、交番で疑われるのは初めての経験であり、居心地の悪さはパイプ椅子のせいではない。


「撮影した画像を見せてもらえますか?」

デスクチェアに腰かけた警官が言うと、もうひとりの警官とマンションの理事長が半歩にじり寄り、北村を見下ろした。

「マンションの中で撮影したものだけで構いませんから……」

指示をしかたなく受け入れ、北村はスマートフォンに記録した映像を再生した。

片側2車線の道路。画面の左右から乗用車が現れ、消える。1台、また1台。タクシーの後にミニバンが続き、幌をかけたトラックが緩やかなスピードで流れていく。

音声のミュートを指摘しないまま、取り囲む者は前屈みで注視した。

マンションの8階からほぼ真下にレンズを向けたため、フレームの上端には低層住宅の屋根が並んでいる。赤信号で車の往来がいったん消え、そのインターバルを嫌うそぶりで画像がズームインする。そして、路上に並ぶ人々をフォーカスしてから、カメラは横にスライドし、バスの標識柱を映し出す。

ターゲットが車でも人でもなく、バス停であることを伝えたところで、映像は動きを止めた。


「……撮影だけじゃなく、我々マンションの住人を訪ね回るのはおかしいでしょう?」

理事長は刺々しい言葉を北村に投げると、腕時計をちらりと見て、年長者への叱責や詰問はこの空間では許されるのだといったふうに頬を紅潮させた。

「マンションの中に入ったのは今日が初めてですか?」

机の角に手をかけ、背中を丸めた警官が尋ねる。

「はい。初めてです」

「たまたま玄関が開いたから、と?」

北村は一瞬迷った後で首肯した。

しかし、オートロックの扉は、はたして[玄関]なのか? 建物内の住居に侵入したわけではない。施錠のないマンションや団地だったら良いのか? 公道を撮影するのは罰せられる行為なのか?――そんな疑問が脳裏をよぎっていく。

「北村和幸さんの親族が事故で亡くなったわけですね?」

デスクチェアの警官が北村のフルネームを繰り返して、手帳を開く。

「はい……私の娘です」

警官たちは申し合わせた感じで帽子のつばに触れ、「マンションの理事長さえ納得すれば解放してもいい」といった面持ちで口を結んだ。

沈黙の間、北村は「別れた妻との子」と言うべきだったかを自問する。いや、そんなことはどうでもいい。苗字こそ変わってしまったが、真理絵は紛れもなく私の娘だ。

「住人への訪問は、インターホンで?」

「はい……応えてくれる方はほとんどいませんでしたが」

「昨日もマンションの理事会で問題になったんですよ。最近、怪しい男がエントランスをうろついて、インターホンで変な話を聞かれるって」

怒気を帯びた理事長は、サンダル履きにスーツという格好だ。住人の連絡で慌てて部屋を飛び出し、北村を捕まえた。

理事長という立場とは言え、居丈高な態度で正義感を振りかざす――部下や隣人なら面倒くさいタイプだと北村は思い、「変な話」と片づけられたことに憤慨した。「事故を目撃しませんでしたか?」と問うのが「変な話」なら、世の中にまともな話などない。休日でもネクタイを着けてカメラ付きインターホンの前に立ち、住人には最大の敬意と配慮をしてきたはずだ。


交番前をベルを鳴らした自転車が通り過ぎ、その後で、いくつかのランドセルが駆けていく。

「何世帯くらいに訊いて回ったんですか?」

手帳を開いた方の警官が、ボールペンを持つ手で右の瞼を擦りながら尋ねた。

北村はなかなか答えない。インターホンを押した世帯は全部で18だ。一週間に2日、3世帯ずつで6日間。新聞勧誘員のノルマみたいにあらかじめ決めた数字だったものの、会話に至った数は半分もなく、しかも、その誰もに「見ていない」「知らない」という一言でスルーされた。

「今朝もインターホンを?」

続けざまの問いかけを、北村は否定した。目撃者捜しをまだ諦めてはいないが、今日は事故現場の撮影だけしようと、有給休暇を取ったうえ、ジャンパー姿でやって来た。オートロックの扉が開いたら中に入り、道路を俯瞰できる上階へ――そんな簡単な計画で、誰にも迷惑かけずに目的を遂げられるはずだった。マンション内で問題視されていることは想定外だったが。

「……住人の方に訊くのはもう止めます」

「それがいいですね」

本心を告白した北村に警官はペンを置き、ベテラン刑事ばりの落ち着いた眼差しを向けた。

「ま、そんなに必要なら、事故を見た住人を回覧板で探すのは可能だけどさ」

骨抜きになった不審者と警官の緩慢な姿勢に戦意を失った理事長が、北村に憐れみの目を向ける。

「北村さん……気持ちは分かるけど、マンションに立ち入るのはもうおしまいにしてよ。映像は消さなくていいから。理事長さんも許してくれたようだし」



(2/8へ続く)

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