STORY4 ICTL(4/8)
やがて、デザートタイムになり、幸恵はアップルパイを、照美はクリームデュプレを選んで、数口ずつ分け合った。
「実家には戻らないの?」
リンゴのかけらをスプーンで掬って、幸恵が問いかける。
照美の実家は青森でリンゴ農園を営んでいる。今年もあと3か月もすれば、収穫時期を迎えるはずだ。2つ年上の長男が家業を継ぎ、毎年、秋になると、採れたての果実を照美に送ってきた。陽の光を存分に受け、芸術的な艶やかさを持つ[印度]という名前のリンゴは、両親が一人娘に[照美]と名付けた理由を示していた。
幸恵の言う「実家に戻る」が、東京での暮らしを止めて故郷に帰る意味か、いったん帰省することか分からなかったが、どちらにしても、その予定はなかった。
「……事故に遭ったことも、実は親には詳しく話してないのよ。ニュースで知ってるらしいけど、わたしはたまたま近くを歩いていたことにしてるの」
アイスティーをストローでかき混ぜながら告白すると、幸恵は状況が飲み込めない表情を向けた。
「……仕事をしばらく休んでいることは話してるんでしょ?」
「うん、でも、別に心配してないわ。派遣の仕事ってそんなものだと思ってるし。お金はあるか?って聞かれるけどね……わたしは派遣社員で良かったのよ。ほら、ちょうど、3月で契約が切れたでしょ。もともと、1か月くらいは休もうと思ってたから」
幸恵は殊勝に頷く。そもそも、伊勢志摩への旅行計画は、そうした照美のスケジュールに幸恵が有給休暇を合わせたものだった。
「事故のことは、もう少し落ち着いたら、親にもちゃんと話すつもりよ。わたしが独身でいることにヤキモキしてるから、余計な心配をかけたくないのよ」
フロアを行き交うウエイターを横目で見て、照美は少し早口になった。こめかみがまた痛くなり、気分転換にタバコを吸いたかったが、親友には喫煙のことを内緒にしている。
「テルミは強いわよねぇ。本当に自立してるわ。私だったら、社会復帰できないかも」
「……わたしだってもう無理かも。少なくても、夏までは働けないわ。いまのままじゃ」
目を伏せて、消え入る声で本心を伝えた。そして、空にしたクリームデュプレの陶器にゴーディの供養壇が重なり、ひとりぼっちの部屋に帰るのがたまらなく不安になった。あのやんちゃで甘えん坊な眼差しにも、あのフサフサな毛の感触にも、あの勇ましい鳴き声にも、もう二度と会えないのだ。
どきんどきんと心臓が強く打つ。
死者4人・軽傷1人――自分と同じ場所でたくさんの人が亡くなったなんて信じられなかった。信じたくないし、まるで実感がなかった。わたしにあるのはゴーディがいなくなってしまった事実だけ。なぜ、自分だけが生き残ったの? それに、新聞もワイドショーもあの子の命を一言も報道しなかった。誰もゴーディを悼んでいない。ヨークシャテリアという犬種の1頭がたまたま消えただけで、世間にとっては木箱の中のリンゴより軽い存在だった……。
沈黙がテーブルクロスに影を落とす。
「……ねぇ、テルミ。ちょっと話しづらいんだけどね」
頬杖をついて、幸恵がまっすぐ見つめる。
「実は、叔父の家もペットが死んじゃったの。最近の話よ。小学生の娘がいて、私の従姉妹(いとこ)で未来(みく)って子なんだけど、その子がショックで学校に行かなくなっちゃって……」
4
スマートフォンの活用でほとんど使わなくなったデスクトップのパソコンを、照美は久しぶりに起動した。10本の指をキーボードに乗せるのも、ウィンドウズのロゴを見るのも、派遣先のオフィス以来だ。
ブックマークしたポータルサイトを開き、検索窓に[心療内科]と入れる。
1000万件以上のヒットがあり、トップページに表れた[心療内科・精神科・神経内科の違い]をクリックした。
グリーンを基調にしてデザインされたサイトは、「こころとからだの対話」というタイトルで、[内科・心療内科]と名乗っていれば、内科の先生が医師で、[神経科・心療内科]の標榜なら、精神科医の開業が多いと書いている。続けて、Q&Aコーナーをチェックして、身体の症状が目立つ場合は [内科・心療内科]を、メンタル面が主なら[神経科・心療内科]を選ぶのが良いと分かった。
(5/8へ続く)
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