STORY4 ICTL(3/8)
幸恵だった。
「来週の月曜日、会うの楽しみだよ。」
田原クリニックのことを根掘り葉掘り聞こうとせず、再会をリマインドするだけのメッセージ。
照美は急いで文章を綴る。
「こっちから連絡しないでごめんね。今日の田原先生のこととか、会ったときにいろいろ話すね。」
久しぶりに二人で食事する約束は、照美から切り出したものだった。
責任を感じている幸恵への気遣いで「一緒にご飯を食べよう」と前向きな思いを繕ったものの、「いつにしようか?」の返事にとまどった。
独身の自分と違い、夫がいる親友にとって、週末に家を空けるのと仕事帰りのどっちが好都合だろう。ランチとディナーだったら、どっちが話しやすいだろう。いずれにしても、あの日の旅行計画を幸恵には悔いてほしくない。できるだけ普通に会って、夜なら大好きなお酒でも飲んでもらって……。
照美はそう考えていた。
スマートフォンを置き、テレビのスイッチを入れる。
たまたま点(つ)いた番組は世界の衝撃映像を紹介するもので、「奇跡の生還スペシャル」と題して、どこかの国の飛行機事故を映し出した。
急いで画面を消した照美の中で、内なる叫びが追憶の扉を叩く。
あの時、わたしだけが命を落とさなかった。警察署員はそれが「奇跡」だと言い、ゴーディの容態など気にかけず、「あなたはとても運がいい」と続けた。でも、それは違う。運が悪いから、あんな事故に遭ったのだ。わたしは奇跡的に助かったのではない。ゴーディを奪われ、「絶望」と書かれたクジを引いたのだ。
照美は姿勢を前屈みにした。
心拍が速まっている。
息を大きく吸って、ゆっくり吐こうとするが、うまくいかない。猛烈な吐き気に襲われ、体の奥から得体の知れない生き物が飛び出しそうになる。
トイレに駆け込み、突っ伏した髪が便器に触れると、フラッシュバックが起こった。
朝の光。バスを待つ人たち。青信号。直進するトラック。ゴーディがモンシロチョウを見つけ、バッグから抜け出ようとする。轟音。悲鳴。体が飛ばされ、何かにぶつかる。
いつものように、そこで映像が途切れた。
呼吸を整えてから、照美は部屋に戻り、ソファに横たわる。
クロゼットの上にあるヴィトンのバッグに視線が移り、革面の傷が目に留まった。
「お出かけ」の合図で、ゴーディが喜び勇んで潜り込んだバッグ。それは、[物証]の役目を終え、事故の1週間後に警察がようやく返してきたものだった。
フォトフレームのゴーディを見つめ、照美は声を押し殺して泣いた。
3
[手作り洋菓子の店]――そう看板するレストランは、2階建ての瀟洒な建物で、店の名前こそフランス語だが、パスタやドリアといったイタリアンをメイン料理にしていた。
待ち合わせの5分前に入店し、予約者の苗字を告げた照美を、店員は柔らかな笑顔で2階フロアのテーブル席へと案内した。
階段を上がった正面に1階と同じ形状のショウケースがあり、色彩豊かなケーキが並んでいる。
午後7時。約束の時間ちょうどに、幸恵はロングスカートに薄手のカーディガンを併せた格好で現れた。仕事帰りというより休日の主婦といった雰囲気で、ショートカットのヘアスタイルと色白の童顔が「見た目年齢」を下げている。
幸恵は毎日会っているような自然な振る舞いで席に座り、「ここはデザートも美味しいのよ」と、照美にレディース・コースを提案した。
テーブルの中央には、カップルにおあつらえ向きのキャンドルライトが置かれているが、照美と幸恵の他には一組の年輩客しかいない。
「……体調、悪くない?」
照美にアルコールを薦められた幸恵は、何よりも先に小声でそう尋ねた。
「うん。昨日と今日は大丈夫……1か月まではASDだけど、2か月目からはPTSDって呼ぶらしいの。聞いたことあるでしょ?」
事故の直後に病院で言われたことをそのまま伝えると、自ら発した英文字の響きに、こめかみがズキンとした。
アルコールを辞退しながら、幸恵が同情の目を向ける。
「叔父はどう?……もともと内科が専門だけど、最近は心療内科の方で予約がいっぱいらしいわ」
「もともと?」
「私も詳しく知らないけど、心療内科って、精神科がベースのお医者さんと内科がベースの人がいるみたい……」
初めて聞く話に、照美は首を傾げる。
そうして、気持ちに靄(もや)をかけたまま、クリームソースのパスタを舌先に運び、田原の印象と治療法を伝えた後で、今週の金曜日も逗子に行く予定を話した。
「きっと良くなるわよ……」
幸恵はそうつぶやくと、ナプキンで口元をそっと拭い、たわいもない昔話に話題を切り替えた。
長いつき合いだから、話のネタは尽きない。それでも、30歳を過ぎて、照美は「子供」という単語を、幸恵は「結婚」という単語を避けるようになった。本音をさらけ出せないもどかしさもあるが、お互いの心が離れるほどではない。
「親友だからこそ喧嘩も出来る」という関係は、おそらく20代までで、触れてはいけない一線を守るから、こうして長くつき合えるのだと照美は思う。季節ごとのファッションを褒め、それぞれの人生を認め合える関係であればいい。
幸恵は、当たり障りのない学生時代の体験や仕事のエピソードで照美を笑わせようとした。自分の生活を卑下し、独身の相手をさりげなく持ち上げていく。
そして、いつもの調子で「テルミは美人だから、その時点で私より幸せなのよ」と結んだ。
照美は頭(かぶり)を振る。
容姿の良し悪しは「幸せ」に直結せず、江坂にも、その前に交際した男にも、「石井照美」という女の欠陥を突きつけられた気がした。
わたしを本当に愛してくれたのはゴーディだけ。心を通わせ、ずっとそばにいてくれたのはあの子だけ……グラスの呑み口についた薄紅色をなぞりながら、照美は押し寄せてくる哀しみを堪(こら)えた。
(4/8へ続く)
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