STORY3 オラクル(3/8)
地下鉄を降りて地上に出ると、セミがけたたましく鳴いている。緑の少ない都会を嘆くように、懸命に。
「セミは鳴いているんじゃなくて、体を震わせてるんだ」
小学一年だった弟の克理(カツマサ)は、ベランダでスイカを貪りながら言った。
そして、「一週間しか生きられないけど、土の中にいる時間の方が幸せなのかもね」と続け、二つ年上のオレを見つめた。
こっちはセミの短命を憐れむだけだったから、弟の意外な発想に驚いた。当時の記憶はほとんど残ってないけど、乳歯の前歯が抜けた克理の顔を、いまでもはっきり覚えている。
[タカちゃん][カッちゃん]と呼び合っていたオレたちは、兄弟というより、年齢(とし)が一緒の親友みたいだった。
カツは小さい時から考え方が大人びていた。
特に、動物や植物への観察眼が優れていて、発想の豊かさや感受性の鋭さを学校の先生も評価していた。
そして、中学生になると、お互いの呼び方は[カツ]と[タカ]に変わり、才気あふれる[カツ]に対して、オレは嫉妬に近い感情を持つこともあった。
イベント会場のテレビ局のフロアには、顔馴染みが並んでいる。
子供の父親や母親は、オレたちマニアに珍妙な視線を投げかけるが、オレにうしろめたさはない。正義のヒーローは子供だけの存在じゃなく、イベンターにとっても、[オタク]が落とす金は貴重な収入源のはずだ。
整理券を受け取り、心臓がバクバクする。去年もここに来ているから段取りは知ってるけど、バクバクは止まらない。
オレの後ろに並んだチビッコは初めてらしく、仮面ライダーの登場シーンを父親に聞いているが、そればかりはオレも分からなかった。毎年、新キャラとなる[正義のヒーロー]はそれぞれ個性があって、主催者もあの手この手の演出を考えている。
ひと息ついて、オレは辺りを見渡す。
フロアには、現在放送中のテレビドラマのポスターが貼られ、カツと同じ[理]を名前に持つ俳優が微笑んでいる。
長男のオレは[文]で、次男の弟は[理]。
親父とおふくろは、将来の進路を考えて名付けたわけじゃないだろうが、オレが文系の大学をテキトーに出て、カツが理系の大学院生になるなんて、姓名判断の仕業か、天の配剤か。
もし、カツが研究室に入らず、オレみたいな生活だったら、あんな朝早くにバス停に行く必要もなく、事故に巻き込まれずに済んだのに。
そう考えた途端、鼻の奥がまたツーンとして、目頭に来た。
オレは頭(かぶり)を振り、「Have Fun」と唱え、出来るだけマニアックなライダーネタを考えたが、幼い時にカツと一緒に見たヒーローショーを思い出し、気分がダウンした。
しかたなく、ウエストポーチからスマホを出して、「これからライダー登場!」と、銀次にメールする。一分以内の返信は「そろそろブログも再開しなよ」というもので、お宝グッズの写真が添付されていた。
もちろん、ブログの休止は意図的じゃなく、結果的な話だ。
理由を知る銀次は、更新をいままで催促してこなかったけど、ずっと期待しているらしい。
オレは、長く閉ざしたままの自分のブログ[ヒーロー来来軒]を開く。
最後のアップは、四月九日の午前三時。前の晩にDVDでチェックした昭和の仮面ライダーについて長々と書いていた。
カツが命を奪われたのは、そのわずか四時間後……。
加害者への怒りがまた沸き上がってきたところに、目当ての新ライダーが登場した。
白いフォルムにオレンジ色の目。一風変わった今年のキャラは、必殺アイテムをベルトに装着する時の電子音がいい。
握手会前の撮影タイムでは、行列がいったんバラけ、マニアや子供の親が携帯やデジカメをいっせいに向けた。
正義のヒーローは、次々にポーズを変え、オレは最前列でシャッターを押す。連写の後は動画モードで、係員の「そろそろ終了します」の声に、慌ててスマホに持ち替え、ギリギリまで追いかけていった。
フロアの一角でひっきりなしにこだまする子供の歓声に、スーベニアショップのカップルが訝し気にこっちを見る。
「それでは、整理番号順で握手会を始めます。ツーショット写真をご希望の方は、撮影前にイベント記念シートの購入が必要です」
スーツ姿の係員が拡声器でアナウンスし、オレはポケットに用意していた五百円玉を握りしめた。
子供とのツーショットの場合は親がカメラを向け、単独行動のオレたちは係員に写真を撮ってもらう。だから、こうしたイベントは重装備の一眼レフカメラより、カンタン操作のコンパクトカメラの方が適している。
そうして、列が動き出したとき、もし両親がいなければ……と、オレはあらぬことを考えた。
あの日を境に、もっとこの世界にのめり込み、ひたすら現実逃避していただろう。そうすることで精神のバランスを保ったはず。
四月九日。
思い出したくない空間。
動転・狼狽・絶叫・嗚咽……カツが運ばれた大病院の廊下で、親父とおふくろとオレの3人は、見当違いな磁石に触れたコンパスになった。めちゃくちゃな方角に針が回り続け、心と体が完全に常軌を逸した。
泣き崩れる親父の横で、おふくろは卒倒し、看護師たちが体を支えた。
ドラマや映画でも描けない時間。小説や漫画でも表現できない光景。
仮面ライダーも戦隊ヒーローも現れず、誰も、何も、オレたち家族を救うことが出来なかった。
夢の世界はけして現実じゃないが、悪夢以上の現実が目の前にぶら下がっていた。
あれから三か月が経ち、親父は定年間近のサラリーマン生活に戻りつつあるが、おふくろはまだ狂気の欄干に手をかけている。感情の起伏が激しく、不安定な精神状態が続いている。
先月まで、オレは週に一度だけ実家に戻り、ホームヘルパー的な役割を果たした。同じ都内に住んでいるんだから、前みたいに両親と暮らしてもいいのに、実家暮らしは定職を持たない自分の生き方を歪めてしまうようで怖かった。
順番になり、オレは仮面ライダーの真横でカメラのレンズを見つめる。Vサインもせず、笑顔も作らず、免許証の写真でも撮られるかんじで。
何のために、誰のために、いまここにいるのか……オレの内面を読み取ったヒーローが、グローブを着けた右手を力強く差し出してきた。
(4/8へ続く)
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