STORY2 じやすたりたでい(7/8)


翌々日の日曜日。

マスコミやタレント名義の公演祝いの花々が、ロビーにほのかな香りを漂わせている。

虎太郎は、[当日券]と印字されたチケットを座席案内図に照らし合わせた。

西川晃一郎が所属する劇団の公演は、看板俳優と演出家の人気に加え、過去作品の評判の高さで、メディア関係者と一般客を会場いっぱいに集めている。


[SOLD OUT]間際に取れた虎太郎の席は、最後列の下手寄り――舞台を観るより、観客席全体を見渡すのに適した位置だ。

開演5分前。

日中の気温が30度近くまで上がったせいか、公演初日のためか、劇場内は異様な熱気に包まれている。

虎太郎はシートに座り、入場時に配布されたチラシの束からアンケートを取り出す。

質問のひとつに、[当劇団でお気に入りの役者は誰ですか?]という項目があり、西川晃一郎の名前が選択肢の3番目に記されていた。主演俳優とヒロインに次ぐ扱いだ。

[西川メグミを偲ぶ会]と同じように、虎太郎の持ち物は財布と携帯電話だけ。筆記具は持っていない。ただ、あの夜と違うのは、足元に有名ブランドの紙袋があること。

ここに来る途中、駅と直結した百貨店で買った洋菓子だった。

舞台に薄くかかるドライアイスの煙を見つめ、虎太郎は自らを省みる。

実家から送金された[お小遣い]をATMで引き出し、ホテルを延泊し、公演チケットを買い、父親に帰国したことを知らせずに、こうして演劇観賞すること。留学費用は、いずれ働いて返すつもりだが、実家の稼業を継ぐのなら、果たしてそれが自力で稼いだお金と言えるのか…。


開演のブザーが鳴る。

場内が静まり、座長と名乗る男がユーモアに満ちた口上で鑑賞時の注意事項を喧伝して、客席を沸かせた。

すべての照明が消え、非常口を知らせる表示板が小さな灯を点す。

再びの静寂を嫌うように、咳ばらいとくしゃみがいくつか続く。


大太鼓が鳴り響き、ライブ会場ばりのエレキギターのサウンドが巨大なスピーカーから飛び出てきた。

[西暦2018年5月27日。我々に残された時間は、残り108日!]

ナレーションの終わりでステージがライトアップし、3人の男が現れた。全員がカーキ色の繋ぎ服を着て、黒いキャップを被っている。

虎太郎は、身を乗り出して凝視した。

西川晃一郎が真ん中にいた。



スタンディングオベーションで、カーテンコールが続く。

最後列の虎太郎も、喝采の高波に乗って、手を叩き続けた。

観賞時はあまり気にならなかったものの、前席の男の上背で視界が遮られてしまう。

爪先立ちして、虎太郎は壇上の動きを追いかけた。

ヒロインがゆっくりお辞儀した後で、舞台袖の西川晃一郎を手招きする。

「ありがとうございました!」

主演を務めた看板俳優が現れ、挨拶とも号令とも受け取れる声でキャストが横一列になり、繋ぎ合った手を頭上に振り上げてから、柔軟体操の前屈ふうに頭を深く下げた。

割れんばかりの拍手。

やがて、一団が上手と下手に分かれて退場すると、手拍きの音がざわめきに変わり、立っていた観客は席に一度座るなり、携帯品を整えるなどして、帰り支度を始めた。


虎太郎は菓子折りを手に持ち、アンケート回収箱近くの鉛筆を取って、壁際のソファに腰を下ろす。

ロビーは人の流れが交錯し、駅のプラットホームのようだ。

ふうっと息をつき、目をつむった。

血液がいつもの倍以上のスピードで体中を駆け巡る気がする。

人並みに映画や演劇を観てきたつもりだが、これだけの疲労と充足に囚われたのは初めてだった。まるで、運動と受験勉強を一緒に終えたかのような感覚。

アンケート用紙に向き合い、[お気に入りの俳優]欄の西川晃一郎に印(しるし)をつけ、[公演後のご感想]には「何もかも素晴らしかった」とだけ記した。

思いを言葉に変えるのは難しいが、文字にした言葉がさらに深い感慨をもたらしていく。

芝居のテーマは重かった。

しかし、巧みなストーリー展開とシチュエーションに添いながら、けしてシリアスに傾くことのない演出がラストシーンの余韻を残した。

誤って仲間の命を奪ってしまった乗組員が運命に翻弄される悲劇を、西川晃一郎は主演俳優に負けず劣らずの表現力で演じていた。

出口に急ぐ人々を横目に、虎太郎はポスターに視線を落とす。

[どんな死にも、意味がある。]

ゴシック体のキャッチコピーが、たったいま観たシーンに重なり、鳥肌が立った。

そう…生きることに意味があるように、死ぬことにも意味があるのだ。どんなに小さな生命(いのち)にさえも。

西川メグミの笑顔が頭をよぎり、もし、彼女がこの芝居を観ていたら…と考える。

あの朝、いつもと変わらぬはずのバス停で事故に遭い、命をあっけなく落としてしまった無念。

時間を止めたままの[じやすたりたでい]。

哀しみと同じ量の憎しみが、虎太郎に湧き出(い)でた。


アンケート用紙を投函し、虎太郎は回転扉近くのスタッフに楽屋の場所を尋ねた。

あらかじめ予定していた行動だ。

教えられたとおりに外に出て、劇場に併設した立体駐車場と資材搬入口を横切る。

そうして、[関係者口]と表示された扉に手をかけた。



(8/8へ続く)

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