第8話 夏の日の思い出

 急いで病室に戻ると、おばあちゃんはベッドの上で眠っている。始めに来た時は何も繋がっていなかったおばあちゃんに、心電図が繋がっている。定期的に無機質な音を鳴らし続けている。


お母さんがベッドの横の丸椅子に座っている。ドアを開けて入った舞を振り返るその顔は、目が腫れていて元の顔と違った顔になっている。だが僅かに残った面影を見て予想が確信へと変わる。


(大人の姿のハルは、お母さんによく似ているんだ)


 お母さんはおばあちゃんの若い頃によく似ていると聞いたことがある。その確信を得たことで認めなければならないと思う。



 ハ ル は お ば あ ち ゃ ん だ っ た ん だ 。



 舞はベッドに横になって眠るおばあちゃんに近づく。


「おばあちゃん。おばあちゃんがハルだったの?私がここでできたお友達はおばあちゃんだったの?」


 返事は無い。


「おばあちゃん……ううん、ハル。……私、ハルと友達になれて嬉しかったよ。一緒にゲームしたのも楽しかったし、嫌いな読書もハルと一緒なら楽しかった。ハルと一緒に小学校に通って、中学校、高校、できたら大学も……一緒に行けたら良いなって思ってる」


 頬を熱い何かが伝っているが、それが涙だと理解できない。


「ハル、まだこれからお家に誘おうと思ってるんだよ。一緒にお外に遊びに行こうとも思ってるんだよ。まだやってほしいDSのソフトだってあるんだよ」


 涙の滴が布団を濡らす。


「今まで学校の友達はみんな大好きだったけど、学校にいるみんなの大好きよりも大好きなのはハルだけだよ。ハルの事親友だって思えたんだよ」


 鼻水がこぼれないように鼻をすする。


「学校の友達にっ…ハルの事っ……自慢したく…て……萌に…紹介したんだよ。……そしたら……ハルに会いたいって…っ……言ってたよ。ハルなら…みんなと仲良くなれるよ!」


 喉の奥の方が痛い。言葉を紡ぐことが困難になる。けど、どうしても言いたいことを言うために力を振り絞る。


「私もハルの事大好きだよ!! ハルと同じくらい……ううん!それ以上に!!もっともーっと好きだよ!!!」


 全身の力を使って叫んだことによって、全身から力が抜けてその場に崩れ落ちる。舞が崩れ落ちる前にお母さんが抱きとめる。お母さんの胸で抑えきれない感情を吐き出すように慟哭する。


 お母さんが舞を抱きとめる直前にノートが落ちるような音を聞いた。一瞬見えたそのノートは、夏休み初日におばあちゃんの引き出しから見つけたノートだった。青空の下に若葉の生い茂る樹木を背景にタイトルが大きく書いてある、大きな教科書サイズの本。


 タイトルは、終活ノート。


 舞がひとしきり泣いて落ち着いたのを確認してから、お母さんは舞に言葉をかける。


「おかあさんから聞いたわよ、病院でお友達ができたって。舞には知らないままでいてほしかったけど、……もう分かってしまってるのね」


 お母さんは、今まで黙っていたことと舞が病室から出て行った後の事を舞に教えてくれた。


 おばあちゃんは入院の始めの頃からもう長くないと病院の先生に言われていた。おばあちゃんもそのことは知っていて、お母さんとお父さんも先生に宣告を受けていた。けど舞に言うと悲しませると思い、言えずにいた。


 今日の夕方にかかってきた電話で、おばあちゃんが一切の治療を受けないと言ったと聞いて、慌てて病院へ駆けつけた。舞が病室から出て行った後で、治療をやめると聞いたことを問い詰めると、突然舞の友達の事を話し始めたと言う。


 おかあさんも半信半疑な事だが、おばあちゃんはある時から魔法が使えるようになったそうだ。病院食に筑前煮が食べたいと願うとその日の夕食に筑前煮が出てきた。今日は和菓子を食べたいと思ったら、ご近所さんが菓子折りを持ってお見舞いに来た。魔法を使うと何でも願いが叶うことが嬉しくてたまらなくなり、今度は叶わないと思って諦めていたことを魔法で叶えようと思った。それは、孫娘の舞と友達になってみたいというものだった。


 魔法で叶うからと言って、孫と友達になりたいと願うおばあちゃんが他にいるだろうか、と思わずにいられなかったが、おばあちゃんは魔法で叶えてみせたのだ。小学生の姿を手に入れたおばあちゃんは、図書室にいる舞の前に現れて仲良くなったのだから。しかし、おばあちゃんの体が若返って小学生の姿になっているのではないらしい。実際に舞とハルが一緒にいる間に、お母さんが病室でおばあちゃんを見ているのだから。ではどうやって舞の前に現れているかと言うと、「思念体」というものを作っているかららしい。おばあちゃんが眠っている間だけ、小学生の姿をした思念体を作って自由に動き回ることができているということだ。つまりはハルが存在している間はおばあちゃんが眠っているし、おばあちゃんが起きている間はハルが存在できないということらしい。どうやって思念体とやらを作り出しているのかは魔法に頼っているため、おばあちゃんにも分からないそうだ。


 舞には難しくて理解が追いつかないが、ハルがおばあちゃんだったということは理解と確信が得られた。


「お母さん、話し終えた後に『舞ちゃんが待ってるから』と言って眠り始めたの。しばらくしてからお医者さまが問診に来られて、神妙な顔をされて、……次に目を覚ます可能性は低いです、覚悟して下さいって言われたの」


 お母さんが唇をかみしめて涙をこらえている。その手には終活ノートを抱えている。


「お母さん、しゅーかつってなあに?」


「終活っていうのはね、もうすぐ死ぬ人が死ぬまでにやることをすることよ。私の気も知らずに死ぬ準備なんてして……本当に私の気持ちを考えない人!」


 舞はノートの中身を読んでみる。開いてみるとどのページもぎっしりと文字が書き込まれていて、読むことを拒否したくなる。パラパラとめくっていくと、一カ所シンプルに書かれているページを見つける。


 内容を確認してみると、『人生の終わりを迎える前に、叶えたい夢』という見出しがあり、回答を書き込むところに簡潔に文字が書いてある。


 ――舞ちゃんとお友達になる。


 バイバイと言ってお別れをする


 また生まれ変わって会えますように――




 数日眠り続けたおばあちゃんは、5日後に息を引き取った。享年88歳。


 お通夜とお葬式がしめやかに執り行われ、遺骨はおじいちゃんの眠るお墓に一緒に入れられた。


 後ほど知ったことだが、おばあちゃんの名前は『春子―はるこ―』というそうだ。春子だからとっさにハルと名乗ったのだろうということだった。


   ×  ×  ×


 夏休みも終わりを迎え、登校日から帰ってきた日の昼下がり。じりじりと容赦ない太陽が窓から差し込んでくる。2階の子供部屋のベッドに、学校から持って帰ってきたランドセルをドサッと下ろす。普段より軽い荷物を受けてもベッドはビクともしない。


 荷物の整理もそこそこに、制服を脱いでハンガーに掛けて私服に着替え始める。Tシャツにジーンズ生地の短パンという格好をよくしていたが、最近ではクローゼットに入っているワンピースがお気に入り。頭から被るだけで着られるのが楽でいいと思うようになったからだ。


 着替えが終わったところで、ポシェットの中に制服のポケットの中のハンカチとティッシュを入れて肩にかけた。準備が整ったのを、全身を映す細長い鏡(姿見というらしい)で確認してから、部屋を出て玄関へと向かう。玄関から外にでると、お母さんが待っている。


「お待たせ」


「早かったわね、ハル。じゃあ行きましょう」


 お母さんがにっこりと笑って運転席に乗り込む。お母さんの運転する車の助手席に乗りこんだ。今日はこれから少し遠出したところへお墓参りに行く。


 菊の花束を手に墓地へと入る。お墓の周りの草むしりをし、菊をお供えして、お線香を立てて、墓前に手を合わせる。お墓参りを終えて、お母さんの後に続いて出口に向かう。


「ハル?」


 声をかけられた。声のした方を振り返ると、おしゃれなワンピースを着たセミロングヘアの少女がそこに立っている。名前を呼ばれたけど、そこに立っている少女は知らない人物だ。怪訝な顔でじっと見つめていると、少女がばつの悪そうな顔をする。


「あ、ごめん……。私の親友によく似てたから、つい声をかけちゃった。こんなところで会えるわけないのにね」


 少女は恥ずかしそうにはにかむ。


「そうなの? でも奇遇ね。私がその親友に似てて、名前まで一緒だなんて」


「え!?」


 あからさまに驚いた顔をしている。


「私も晴留っていうの。あなたは?」


「あ…ま、舞だよ! 凄い…バイバイのおまじないは本物だったんだ…!」


「おまじない?」


「うん! あのね、バイバイっていうのは『また会えますように』っていうおまじないなんだって。だから次に会えることを願いながらバイバイってするんだって、おばあちゃんに教えてもらったんだ!」


 バイバイがおまじない? ――不思議なことを言う子だ、と思った。そんなの学校の友達みんなが使っていることになる。そのうち何人が「また会えますように」なんて思うだろうか。


 墓地の一角から、お母さんらしき人が舞を呼ぶ声が聞こえる。


「あ、もう行かないと。お話聞いてくれてありがとう、バイバイ、晴留!」


 ごく自然に呼び捨てられる。親友と同じ名前だと言っていたから、親友を呼ぶ感覚で出てきたのだろう。自然とこぼれる笑みを舞に向けて手を振る。


「ふふっ! バイバイ、舞」


 呼び捨て返す。舞は少しポカンとしていたが、やがて嬉しそうに満面の笑顔を浮かべて母のもとへ走り去っていった。


「晴留、さっきの子、お友達?」


 お友達、と聞かれて一瞬答えに困る。今日会ったばかりだと言おうとしてその答えを飲み込む。


「うん、友達」




 それから5年後、舞と晴留は同じ高校に入学し、再開することとなる。2人が唯一無二の親友同士となるのは、これから先のお話。

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夏の日の思い出 沙羅双樹 @FantasyHorizon

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