第7話 ハル

 図書室の前に辿り着く。開放時間は過ぎており、図書室の中は閑散としている。図書室が開いていないからなのか、図書室近くのソファにもハルの姿は無かった。どこかで待っているかもしれない。その可能性に賭けて探すことにする。


 1階の売店、食堂、喫茶店、受付を探すが見当たらない。2階の外来フロアも見当たらない。3階、4階、6階、7階の病棟も見当たらない。それ以外となると、もう行く場所は1つだけだ。


 階段を上って鉄の重い扉を開くと、そこは広い屋上。高いコンクリートが四方を囲っている。所々に腰かけられる程度のコンクリートの柱があり、奥に行ったところに洗濯物を干しているエリアがある。洗濯物が風にはためいている。


 夏だから夕方を迎えても昼のように明るい。洗濯物も良く乾いている。ハルの姿は見当たらないが、真夏ながらも涼しい風が吹き抜ける屋上で少し休憩することにした。日焼けも構わずコンクリートに腰かける。


 思い返してみると、夏休みはハルと出会ったことから始まった。図書館の椅子に座って文字を読まずに絵を眺めていると、ハルが声をかけてきた。同い年くらいに見えるけど大人びた女の子だな、という印象だったように思う。穏やかさを感じさせるのに明るく活発な姿を見せるハルを可愛くて面白いと思った。ゴムを取って「ワンピースにはこっちの方が良い」と言ってニカッと笑う姿を思い出して、その日から下ろしている髪を手でいじる。


 ハルと一緒にいると、今までの友達と一緒にいるのとは違う安心感があった。友達と一緒の時も楽しいが、楽しいだけでなくホッとする。図書室という同じ空間にずっと一緒にいて、ずっと何も話さなくても平気だった友達は、今までいたことが無い。まるで家族のようだと思う。そういうのを親友というのだろうか。友達はたくさんいても、親友はたくさんいないと聞いたことがある。もしかしたらハルは舞にとって親友と呼べる存在なのかもしれない。


「舞ちゃん!」


 声をかけられた。後ろを振り返ると、白いワンピース姿の少女が立っている。


「ハル!」


 ハルが駆け寄ってきてどちらからともなく手を取り合った。ハルが舞の横に腰かける。


「探したよ、こんなところにいたなんてねー」


 階段を上がって疲れたのか、少し息を切らしている。


「うん、ごめんね。風が涼しくて」


 ハルの姿を見て、そういえば、と思いだす。舞がプールに行った帰り道にハルにそっくりな人を見かけた気がしたことを思い出した。


「あのさ、違ったら気にしないでほしいんだけど、今月の8日にどっか出かけてた?」


「8日?確か、その日は……舞ちゃんの家の近くにいたよ」


「えっ……?」


「舞ちゃんの姿を見たくなったから、見に行ったんだよ」


 聞き間違えたかと思ったが、やっぱり聞き間違いではなかった。ではあの日見た人影はハルで間違いないのだろうか。慌てて戻った時にはもう姿は無かったけど、確かにそこにハルがいたということなのだろう。でもそれ以前に、舞はハルを家に招いたことも無ければ家を教えたことも無い。なぜ舞の家の近くを知っているのだろうか。


「私は舞ちゃんの事なら何でも分かるんだよ」


 舞の考えを見透かすかのように、心に思ったことに対する返答が返ってきた。


「なんで分かるの?」


 そう問うと、上目遣いで不敵な笑みを浮かべる。


「実は私、………魔法使いなの」


 ――魔法使いなの――


(魔法使いって、あの魔法使い?)


 ハルは顔を赤くしてはにかんでいる。


「魔法使い!? ってあの魔法使い!? ビビディバビディブー的なあれ!?本当に本物なの!?」


 興奮して矢継ぎ早に質問をする。魔法使いがいたら、とか魔法使いになってみたい、とか憧れたことがある舞としては、自分が魔法使いだというハルに興味津々だった。不思議な魅力を持った子だとは思っていたけど、魔法使いだったなんて。ハルは舞の反応に驚いている。


「魔法って何ができるの!? 綺麗な姿に変身したり、大人になったり、アイドルになって人気者になったりできるの!?」


「えっ、舞ちゃんはアイドルになりたいの?」


 言われてハッとなる。思いついたものを並べてみると、つい数日前に見た魔法使いが出てくる映画の主人公のお願い事だったことを思い出す。


「あー違う違う、それテレビの話だった。――ねぇ、どんな魔法使えるのか見せて!」


 目の前で魔法が見られる。そう思うとわくわくして気持ちが高揚してくる。何が出るのか期待している舞を見て、ハルは顎に人差し指を添えて考え事をする。


「うーん、私が使える魔法は、私がやりたいと願うことを何でも叶えることができるんだ。だから、他の誰かのために何かをすることはできないの」


 言っていることが分かるような、分からないような気分になる。


「私もまだなりたてだからよく分からないんだけど、私がこうしたい、なりたいと思ったことをすることは叶っても、他の誰かがこうしたい、なりたいって思うことを叶えてあげることはできないみたいなんだ」


「そうなんだ……。じゃあ、ハルがしたいこと叶えて見せて!」


「私がしたいこと?」


 ハルはまた顎に人差し指を添えて考えている。


「これ教えて良いのか分かんないけど、分かりやすいから教えてあげる。私のこの姿も魔法なんだよ」


「えっ、魔法なの!?」


 ハルはにっこりと屈託なく笑って見せる。


「うん! なろうと思ったら成長することもできるんだよ」


 証拠としてか、3枚の写真を舞に見せる。1枚目は今より少し成長した顔立ちのハル、2枚目は中学生のようで、3枚目は高校生のようなハルが写っている。


「子供だけじゃなくて大人になることもできるよ」


 4枚目の写真を差し出してくる。お化粧をしている大人なハルだった。写真に写っている顔をじっと見ていると、気のせいだろうか、誰かに似ている気がする。頭の隅に誰かの面影がちらついた気がするが、お化粧をした大人はみんな同じ顔に見えるのだろうという考えに至る。


「凄い! 凄いよハル! ……でも、なんで子供の姿に?」


「舞ちゃんとお友達になりたかったから」


 初めて会った時に最初に話しかけてくれたのはハルだったが、それまでハルとの接点は無かった。舞のどこを見て友達になりたいと思ったのか、心当たりが無い。


「何で?」


「舞ちゃんが、大好きだから」


 ぶしつけな質問にも関わらず、ハルは迷いの無い口調で答えた。


「え? ハルと私ってどこかで会ったことあるの?」


「それは、内緒っ」


 唇に人差し指を添えて、片目をパチッと閉じてウィンクをして見せる。その仕草からは小学生らしさを感じさせない。


 これまでの写真に写るハルの変わり様に、舞は呆気にとられてしまう。


「これが私の魔法。今まで騙してるような気分になったこともあったんだ。けど、それでも舞ちゃんと仲良くなりたかったの。怒った?」


 驚きが消えずに目をぱちくりしながらも、舞は首を横に振って見せる。


「ううん! ……確かにビックリした!ハルは魔法で姿を変えることができるんだって知ってビックリしたけど、でもハルはハルだもん、騙されたなんて思わない!ハルが大人でも、子供でも、私にとっては大切な友達だよ!」


 ハルが朗らかに微笑むと、瞳から一粒の涙が頬を伝う。


「ありがとう。そう言ってくれてとても嬉しいよ」


 一粒の涙がこぼれると同時に涙が次から次へとハルの頬を濡らし、コンクリートの地面に大きな水玉を作っていく。涙を流しているのにしゃくり上げる様子は無く、言葉一つ一つがしっかりしている。


 ハルがなぜ泣いているのか分からずに戸惑うが、まるで磁石と磁石がくっつくかのように舞は自然とハルに歩み寄って抱きしめていた。それに応えるかのようにハルが両手を舞の腰にまわしてギュッと力を入れる。


「私の願いは十分叶った。これでもう思い残すことは無い」


 独り言のように小さく呟く。その言葉は舞の耳にしっかりと届いていた。


「え?」


 体を離してハルの顔を真正面から見つめると、涙を流している顔に明るい笑顔を浮かべる。


「私もう行かないと」


 舞が一瞬抱きしめる手の力を緩めた瞬間、ハルは舞から離れて階段ホールの方へ走って行く。舞が後を追いかけると「来ちゃダメ!」と強い口調で言われて、足を止めてしまった。


「ありがとうね! バイバイ……舞ちゃん!」


 すかさず玄関ホールへ入り、姿が見えなくなった。


 舞はその場に立ち尽くしている。来ちゃダメ!と言われたからでは無い。舞ならばダメと言われても追いかけていけるが、今は舞の中でも予想のできない衝撃によってその場から動けずにいた。


   ×  ×  ×


 過去の記憶へとさかのぼる。おばあちゃんの家に遊びに行くと、帰る時に舞はいつも泣いて駄々をこねる。大好きなおばあちゃんと一緒にいられる時間はあっという間で、おばあちゃんと離れたくないと泣いて暴れていた。お父さんとお母さんはそんな舞にいつも困らされている。するとおばあちゃんが頭を撫でて舞をなだめてくれる。


「バイバイしたらしばらく会えなくて寂しいかもしれないね。けどね、バイバイっていうのは『また会えますように』っていうおまじないなんだよ。だから次に会えることを願いながらバイバイってしたら、寂しくなくなるよ」


「バイバイがおまじない?」


 おばあちゃんがにっこり笑って首をゆっくりと縦に振る。


「ほら、笑顔でおまじない、やってごらん」


「うん」


 泣き顔を笑顔に変えて、手をおばあちゃんに振る。


「……バイバイ、また会えますように」


 おばあちゃんは嬉しそうに笑顔で何度も頷いて見せた。


「ありがとうね。バイバイ、舞ちゃん」




 今もあの頃も、「ま」の発音が苦手で「め」に聞こえるのは相変わらずだ。けど時間がたつにつれて、おばあちゃんに「メイちゃん」と呼ばれているように聞こえるのが好きになってきて、そう呼ばれるとおばあちゃんを身近に感じることができるようで嬉しくなる。


 ハルが最後に残した言葉が、過去のおばあちゃんの言葉を思い起こさせた。聞き間違いではなくハッキリと耳に残っている。


「ありがとうね! バイバイ……メイちゃん!」


 そう聞こえたのだ。これだけは聞き間違えたりしない。でもそれが何を意味しているのか、頭では分かっているが感情がそのことに追いつかないでいる。


 なぜ今まで気付かなかったのだろう?




 ハルは何回、舞の名前を呼んだ?


 語尾を伸ばす癖。


 人を安心させる笑顔。


 考える時に顎に人差し指を添える癖。


 家族のような居心地の良さ。


 大人になった時の面影。


   ×  ×  ×


 お母さんから、おばあちゃんは負けず嫌いな性格で子供のころから苦労していた、と教えられたことがある。DSをやっている時、クリアするまでコンティニューを繰り返していたハルは負けず嫌いそのものだった。


 ――物語は楽しむものだよ――それは文学好きのおばあちゃんがよく言っていた言葉だった。おばあちゃんが読んでいる本を覗きこんで、「こんな難しい本読めない」と言うと、決まってそう返していた。




 なぜ今まで気付かなかったのだろう?おばあちゃんとハルの多すぎる共通点。それが意味することは――。


 舞は重い足に力を入れて、太陽を背に階段ホールの階段を駆け降りる。太陽は沈み、西の空で茜色に輝いている。

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