名もなき
この国では偶像が禁じられている。写し取ることは御姿を固定し、その場に縛り付けることと同義である。そも、遍く世に満ちあらゆる姿でありいかなる姿でもないものを表すことはできず、表したとしてはならない。
偶名もまた禁じられている。名付けてはならない。名に代わるもので呼んでもならない。名もまた縛り付け固定するためのものであるから。
然して我ら
厳格な法であるが故に、その解釈は慎重に議論されねばならず、法解釈を専門とする法学が極めて重要視された。
ある時、ひとりの法学者が、今日では逆説思想として知られるひとつの思い付きを口にした:即ち、「いかなる名でもなくいかなる姿でもない故に、あらゆる名とあらゆる姿をすべて記し、そのいずれであることも否定することによって示すことが可能ではないか」。
その日から、あらゆるものを写し取りあらゆる名を列記する試みが始まった。模写の技術と命名分類の規則を確立し、万物を記録分類する事業はいつしか博物学と呼ばれ、様々な学問へと分岐発展していった。膨大な記録を収める図書館は収蔵に限界を生じる度に上へ上へと増築されたが、やがてその構造を支え切れなくなり崩壊し、名は散り散りになってしまった。それ故、世界中で同じものに違う名が与えられているのだという。
言葉の違いについては伝説であるにせよ、この国の中心に今も崩れた塔の遺構が残っているのは確かである。
黄昏国異聞 芹沢文書 @DocSeri
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