第43話 旅立ち7

 その部屋では、紫泉染を纏った神官と男女の守人が、テーブルを挟んで向き合っていた。紫泉染を纏う神官が、守人たちと対等に向き合っている時点で、不自然とも言える状況であった。しかし、当の守人二人は、堂々と神官に向き合っている。

「で、あなた方は何も知らない、と?」

 溜息を漏らすエンカルトに、コンラートは白々しく肯く。

「さっきから、そう言っているだろう」

 リィナが家を出て丸一日以上が経っていた。コンラートとラウラは明け方の姫巫女脱走騒動でも、確かに捜索に加わっていた。

 エンカルトは、呆れたように溜息をついた。それは先日までとの様子と違い、いくぶん気安さのような何かががこもっている。

 この場に、三人しかいないという、旧知の仲であるが故の気のゆるみもあれば、問題となっている本人がいない気楽さがコンラートにあったからかもしれない。

「私がそんな事を信じるとでも。リィナ様が、あなた方を頼らないわけがないでしょう」

「リィナが神殿を抜け出した時刻、私もラウラも、他の守人と共にいた。娘が親を頼ったとて何の不思議もないが、現実的に私達は、何の関与もしてないのは、明白だろう」

 何でもないように言い放ったコンラートに、神官が鼻で笑った。

「そう、あなた方は、その時刻、確実な関与否定が出来る状態にあった。意図的とも思えるほどに、確実な証言がされている。けれど、それは時渡りをしたリィナ様と会っていなかった証明には、ならないのですよ」

 神官の言葉に、コンラートは大げさなほどに困ったような声を上げた。

「それこそ、言いがかりだ。そんな事を言うのならば、誰もが、リィナを助ける関与が出来る。もっとも、仮に関与していたとして、だ。私達をどうする? 牢にでもぶち込むかい? それとも処刑を? そんな事をすれば、リィナは絶対に、神殿に与することはなくなるよ。分かっているだろう?」

 にこにこと笑ったコンラートに、神官は、深く息を吐いた。

「……それが、狙いですか」

「私達は、身の安全が保証されれば、それでいい。出来るだろう?」

 コンラートの口調は、神官がその言葉を飲むと信じて疑っていない。神官もまた、それを感じ取り、そして結局は溜息と共に肯いた。

「……多少の拘束は免れません」

「なに。ラウラに乱暴なことさえしなければ、私は妥協しよう」

 エンカルトは腹立たしそうに溜息をつき、コンラートの隣に座るラウラを見た。彼女は動じた様子もなく、微笑むと「よろしくお願いします」と軽く頭を下げた。

「……全く、あなたといい、姫巫女様といい、何故その女に……」

 思わず、というように言葉を漏らした神官に、コンラートが楽しげに笑った。

「ほぅ。彼女も、ラウラの安全を君に約束させたのか。それは良い。心強い限りだ。なら、後は好きにするがいいさ」

「……全く、あなたは……」

 この期に及んで、私をあごで使うのかと、溜息混じりに、それでも受け入れようと頷きかけた時であった。

 いくぶん乱暴に扉がノックされた。

 入室を許可したとたん、兵士が慌てた様子でエンカルトの側まで駆け寄った。

「エンカルト様!!」

 慌ただしい様子に、エンカルトが眉をひそめる。

「騒がしい」

「申し訳ありません。早急にお耳に入れたいことが」

 兵士はちらりとコンラートらに目をやる。

「なんだ」

 耳打ちされた内容に、エンカルトが固まる。そして、その視線がコンラートをとらえたことで、彼は察した。

「……リィナのことか」

 コンラートの視線を受けて、エンカルトはわずかに躊躇い、そして覚悟を決めたように肯いた。

「……リィナ様が、崖から落ちて、行方不明だと……」

 その場の空気が張り詰めた。

「どういう事だ」

 立ち上がったコンラートが神官と兵士に向けて問いかけるその顔は、表情が抜け落ちたように感情がうかがえず、声も限りなく静かで冷静にも見える。

「何があったんだ」

 返ってこない返事に、コンラートがもう一度静かに、けれど念を押すようにゆっくりと言葉を向ける。

 そして兵士から詳しい話を聞くに従って、コンラートの眉間の皺が深くなってゆく。拳が白くなるほど強く握りしめられていた。

 ヤンセンの鉱山を抜けた先の崖際に二人を追い詰めた後、説得中、姫巫女が誤って崖を落ち、直後一緒にいた男も後を追うように崖を飛び降りたというのだ。断崖絶壁のそこは、落ちたらまず命はない。ただ、上から見た限りでは、落ちた二人の姿は確認できなかったという。詳しく捜索されるということだが、現時点ではまだ何も分かっていないのだと兵士は言った。

 話を聞き終えた直後、静かに話を聞いていたラウラがゆっくりと立ち上がった。

 ひどくこわばった顔で、堪えきれない怒りがその表情から見て取れた。

「どうして」

 震える低い声で彼女は呟いた。

「どうして、あの子が」

 浅い息を繰り返し、今にも泣き出してしまいそうなほどに目を赤くして、体を震わせていた。

 そして、エンカルトの側まで歩み寄ると、紫泉染の衣を無造作につかんだ。

 兵士がそれを止めに入ろうとしたが、エンカルトが、無言でそれを遮る。

 ラウラは、その顔を見上げて、顔をゆがませた。

 その神官の顔は無表情だった。そこに、何の感情も読み取れなかった。

 怒りに心の中が塗りつぶされていくのを彼女は感じていた。

 リィナが死んだかもしれないというのに。この男は、何も。

 そう思うと、ラウラは、荒れ狂う感情があふれ出すのを押さえられなかった。

「………あなたが!!」

 ラウラが叫んだ。

「あなたがリィナを殺した!」

 彼女のやりきれない苦しさが、怒りと悲しみとなって悲鳴になった。

「リィナを返して!! リィナを返しなさい……!!」

 愛しい娘を失った苦しみがあふれ出す。

 こぼれる涙をぬぐいもせずにラウラはエンカルトにつかみかかる。それでも無表情にラウラを見下ろすその顔に、ラウラの苦しみは更にあふれ出した。

 この男を今すぐにでも嬲り殺したいような感情が渦巻いていた。なじり、罵倒し、自尊心をも踏み躙り苦しめたいと、悲しみが怒りに変わってあふれる。

「どうして、あの子を追い詰めるようなことをしたの! 姫巫女というのなら、無理矢理連れていくのなら、相応のやり方があるでしょう!! あなたはそれを怠った! 何が神殿のため! あなたはただ私情をあの子に背負わせただけじゃない! あなたのおごりが、あの子を殺したのよ! 殺すぐらいなら、なぜあの子を連れて行ったの! 殺すぐらいなら、なぜそっとして置いてくれなかったの! 何が神殿のため! 自分の欲望をあの子に押しつけただけのくせに! コンラートに見捨てられた悔しさをあの子にぶつけるような愚か者が! 逃げ出すほどに追い詰めておいて、なにが恥知らずにも神殿のためなどと! あの子が駒だというのなら、あなたは駒すらもまともに扱えない無能の癖して! あの子が姫巫女なら、あなたが死んであの子を守るべきでしょう! なぜあなたが生きているの! 姫巫女を一人殺しておいて! 死んで償いなさい!! 死んであの子にわびなさい!! あなたが死になさい!!」

「……ラウラ」

 狂ったように罵声を浴びせかけるラウラを、コンラートが抱きしめると、彼女はそのまま娘の名前を叫びながら泣き崩れた。

 もう一度止めに入ろうとした兵士をエンカルトが下がらせると、それと入れ替わるように、一人室内に入ってきた者がいた。

 娘の名を呼びながら室内に響くラウラの嗚咽に、歩み寄るその人物の足音はかき消された。けれど、静かにその人は彼女に向かっていた。

 それに気付いたエンカルトはすぐに礼を取り、コンラートはまっすぐにその人物を見据えた。

「ラウラ」

 その人物は静かな声で、泣き崩れた彼女に呼びかけた。さほど大きな声ではなかったが、人の気を引きつける、深みのある穏やかな声だった。

 ラウラがぴくりと震え、のろのろと顔を上げ、初めて他に人がいることに気付いたように、その人物を見た。

 涙に濡れたその顔が驚きに固まる。

「……エリノア様……!!」

 ラウラは、その人の名を呼んだ。何年も会う事のなかった、最も敬愛する人の姿だった。

 彼女の姿をとらえたラウラの目から新たな涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。

 そこにいたのはエドヴァルドに戻ったはずの、先読みの姫巫女であった。

「も、申し、申しわ、け……ありま、せん……!!」

 ラウラは駆け寄ると、その足下に彼女は頭をこすりつけた。こぼれた涙が床に染みを作る。

「あなたからお預かりした、御子を……!! 命をかけてお守りすると誓った御子を……!」

 姫巫女は、ラウラが床に頭をこすりつけてわびるのを切なげに見つめ、そして、膝をつき、その体を抱きしめた。

「……ラウラ」

 優しく切なく響くその声が、そして抱きしめる腕が、ラウラをゆっくりと落ち着かせる。

「エ、エリノア、様、姫巫女様が、膝などをついては……!!」

 我に返ったラウラが、慌てて、自分を抱きしめる女性を気遣う。

「私達以外、誰もいない間くらい、友達を抱きしめても、良いでしょう……?」

 微笑んだその顔は、慈愛にあふれていた。

 けれど、ラウラは、首を横に振る。

「あなたの信を受けてお預かりしたのに、私がのうのうと生きて……」

「……子供は親の元から、いつかは飛び立ってゆく物。大丈夫。あの子は、あなたの庇護から飛び立っただけ。……今まで、本当にありがとう。私では決して与えることのできなかった物を、あなたが全てあの子に与えてくれた。あなただったからできた。……感謝しています」

 ただの慰めには聞こえなかった。窺うように姫巫女を見つめると、彼女はラウラを見つめて、切なげに微笑んだ。

「あの子は、さだめられた子。私達の……いえ、あなた達の元を飛び立つよう、さだめられた子だったのです……」

 姫巫女は、静かにつぶやく。

「私は、全てが回り始めるその時まで、何者にも秘して語らず、己の裁量であの子を導くのが宿命さだめ。全ては、時の流れにさだめられたままに」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る