第41話 旅立ち5

 ヤンセンとグレンタールをつなぐ道を引き返すように進んでいたが、すれ違うのは地元の人間と思わしき物ばかりだ。夜も明けて、日も高くなりつつある。そろそろ山越えの為に入る道が見えてきた。しばらくは鉱山へ向かう道と同じくする為に、まだ道はそれなりになれた物だ。

 その時、グレンタールの方面に、遠く、馬を駆ける兵士の集団が見えた。

 リィナに外套を目深にかぶせると、ヴォルフは、心持ち馬の足を速め、脇道に入る。

 この辺りは鉱山とヤンセンを繋ぐ道の為、治安がしっかりしている土地だ。突発的に兵士を出さなければ行けないような事情が何かあったということだ。

 しかしこれが姫巫女の探索だとするのならあまりにも対応が早すぎる。やはり、巫女の先読みがあったという事か。

 幸いにも木々が、脇道に入ったヴォルフ達の姿を隠す。と、同時に、ヴォルフは馬を駆けた。

「しっかり捕まっていろ」

 あまり平坦とは言えない道を急に駆け出したその不安定さに、リィナの体がこわばるが、振り落とされないように鞍にしがみつく。

 山道を進みながら、しばらくすると、遠くで何かを叫ぶ声と、遠くに馬の足音が響いた。いくつか分かれ道があったが、やはり二人を追っているようであった。

「本当に追っ手なのか?……では、気付かれたか」

 リィナはその言葉に覚悟を決めるように唇を噛み締める。

 ヴォルフは巧みに馬を操るが、二人乗りをしている馬の足では限界があった。

 このまま鉱山へ続く道を進むだけでは逃げ切ることが出来ないが、この辺りは獣道のような脇道が多くある。馬を捨てて獣道の方に入るしかない。ヴォルフは一つの小さな横道に当たりをつけ、最低限の荷物を持つと馬を放ち、走らせた。

 横から覆い被さるように茂っている草を分けながら二人は山を登ってゆく。

「しばらく無理をしてでも進むぞ。この先に吊り橋がある。それを渡ればいくらでも休ませてやる」

「はい」

 リィナが言葉少なく、けれどしっかりとうなずく。

 道なき道を上っていくのは、久しぶりの感覚だった。神殿から逃れたときの走っていけるようななだらかな下りとはわけが違う。

 一応道がついているのだが、普段あまり使われていないことがわかる。足場も悪く、これが続くのであれば、かなりの厳しい道のりとなる。けれど、柔な足腰はしてない。子供の頃に培った感覚もさほど衰えていない。あの頃より大きくなった体は、以前よりも簡単に進んで行くことができる。

 だから、大丈夫。

 完全に息が上がっていたが、ヴォルフに後れを取らないように、リィナは必死で足を進める。吊り橋があると言うことは、もうしばらく進まなければ行けない。周りが木々に囲まれているこの場には、わたれるような谷間や川は見えない。


 ヴォルフは時折リィナに手を貸しながら進む。馬を先に走らせたとはいえ、おそらくたいした時間稼ぎにはなっていないだろう。この道に上がる前にも、いくつか獣道に上がったと見せかける偽の足跡を付けてあるが、ヤンセンでの宿屋の検めといい、この早さでの追跡といい、先読みの姫巫女は、かなり正確に自分たちの行動を把握していると考えた方が良さそうだった。

 だが、この先の吊り橋を渡って橋を落としてしまえば、いくら先を読んだところで簡単には追いつけないだろう。

 必死に足を進めるリィナを励ましながら、ヴォルフは後方に追いついてきたらしい追っ手の気配を感じる。

 あと少しだ。何とか間に合うはずだ。

「辛いだろうが、もう少し急ごう」

 リィナの手を引くと、もう既に相当辛い筈だが彼女は荒く息をしながらも、しっかりした顔で肯く。

 あと少しだった。

 こっから先は吊り橋に向けて、わずかに足場が慣らされている。ヴォルフはリィナの手をつかむと、引っ張るように橋に向かって駆け出した。

 覆われている木々が、橋に向けて岩肌を増やし、視界が開けてくる。

 すぐ先に吊り橋があるはずだった。

 後方の追っ手の気配も更に近づきリィナの荒い息づかいが限界を伝えてくる。

 視界が開けた。

 これを抜ければと安堵したのは、つかの間だった。

 断崖絶壁の山と山をつなぐ小さな吊り橋は、無情にも落ちていた。

 ヴォルフは駆け寄ると切れていた縄の端をつかむ。

「………くそっ」

 声にならない怒りを漏らし、人為的に切られた縄を投げ捨てた。

 荒い呼吸を繰り返し、膝に両手をつきながら、リィナがヴォルフを心配そうに見上げた。

 この先に道はない。来た道か、断崖絶壁か、どこに続くかも分からぬ道なき岩肌か。

 完全に、袋小路に追い詰められた結果となる。戻る道以外、逃げ道などない。

 用意周到に作られたこの結末に、ヴォルフはいいようのない怒りを覚える。守るどころか、ただリィナを苦痛に追い込んだだけではないか、と。

「……すまない」

 ヴォルフは覚悟を決めたように見つめてくるリィナを抱きしめると、少しでも安心させようとぽんぽんとその小さな背中を叩く。腕の中で、リィナが首を横に振るのをヴォルフは苦しくなりながら感じ取る。

 ヴォルフはコツンと、リィナの額に、自分の額を合わせた。

「必ず、守るから、俺の姫巫女の加護でももらっておくか」

 そういって額に口付けると、リィナが泣き笑いのような顔をして笑った。そして、リィナの細い指がヴォルフの両頬をとらえ、そっと、ヴォルフの左の頬にリィナがキスをする。

「役得だな」

 ヴォルフが笑うと、リィナが手の甲で目元をぬぐいながら笑った。リィナは何も言わなかった。ありがとうも、ごめんなさいも、いつものリィナなら言っただろう言葉を何も言わず、ただ、全ての信頼を預けるように、ヴォルフの背中に手を回し、ぎゅっと力を入れた。

 追っ手の気配はすぐそこまで来ていた。

 ヴォルフはリィナを背後にかくまうようにして吊り橋のあったところを背に剣を構えた。

 身を隠すことさえできないその小さな足場では、それが精一杯であった。


 リィナの目の前で、追っ手とヴォルフの攻防が繰り広げられていた。

 リィナにできることは何もなく、ただ、祈りながら見つめていることしかできない。

 せめて逃げ道でもあればと思うが、逃げ場はどこにもない。吊り橋の下は、岩肌がむき出しになっている深い断崖絶壁。伝って降りることさえできない。落ちたら間違いなく下の岩場に叩きつけられて死ぬだろう。

 結局はヴォルフに頼るしかないのだ。もしかしたら、ヴォルフ一人なら、ここから逃げられるだろうか。リィナは、ひたすらに自分が足手まといでしかないことに恐怖を覚える。自分がいるから、ヴォルフは決して逃げないだろう。

 ヴォルフの剣を前に倒れていく兵士達から目を背け、どうか、と、リィナはヴォルフの無事を祈る。どれだけの犠牲の上に、自分は逃げようとしているのだろう。けれど、もはや引き返せないところまで来ているのだと、倒れゆく兵士を見ながら漠然と理解していた。

 争い事さえもまともに見たこともなかったが、リィナの目にも明らかに分かるほど、ヴォルフは強かった。数十人いると思われる兵士だったが、細い道を上がってくるという地形上、一対一で戦えるのは、ヴォルフにとって有利であったようだ。

 それでもヴォルフ一人で戦うのに限界があるのだと、リィナは思った。

 先ほどまで軽くあしらうように兵士を倒していたヴォルフが、次の兵士を前に、風向きが少し変わったのだ。その兵士は、先ほどまでの兵士とは違い、騎士団の制服を纏っていた。それでもリィナの目には互角にやっているように見えたのだが、わずかにヴォルフが押されたことで、後方に控える兵士が隙を突くように前に出てきた。

「……やっ」

 剣を持ってリィナに向かってくる兵士を前に、リィナの足がすくむ。

 騎士との攻防を繰り広げていたヴォルフがとっさにリィナを守る形でその兵士の行く手を遮り、切り捨てた。

 しかし、そこでリィナを守る為に後方に下がったことで、わずかな足場に騎士と数人の兵士がなだれ込むようにヴォルフとリィナを取り囲んだ。

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