第40話 旅立ち4

「じゃあ、今日はこの辺りで宿を取るか」

 ヴォルフは何軒めかの宿を見上げてリィナに声をかける。

 宿場町だけあって、何軒も宿屋があったが、ヴォルフがどういう基準で選んだのか分からないままリィナは頷く。

 ヴォルフが宿屋で主人に前金を払いながら話をしているのを横目に、リィナは周りを見渡した。

 二階が宿屋で、一階部分は食事処になっているようだ。結構な賑わいである。

「ちびちゃん、念のため、建物の構造は覚えておけ」

 こそっとヴォルフが耳打ちをしてくる。

 リィナは頷いて、今見える範囲の間取りに気をつけて見渡す。

 二人で部屋に入ると、寝台が一つだけある小さな部屋に案内された。

 まさか二人でここに寝るのだろうか?

 振り返ると、ヴォルフが笑った。

「ベッドはおちびちゃんが使うんだ。俺は椅子で寝る」

「ダメです!!」

 リィナが首を横に振ると、ヴォルフもまた、真剣な顔をして首を横に振った。

「ダメだ、ちびちゃんはしっかり休むんだ。これから先何が起こるか分からない。旅に慣れてないちびちゃんは、出来るだけしっかりと休まないと体が持たない。それに今夜にはちびちゃんがいなくなったことを神殿が知るんだ。念のため警戒はしておきたい。俺まで横になって眠って、何かあっても気付かなかったのでは困るからな。とにかく、俺に負担をかけたくないと思うのなら、一番助かるのがちびちゃんがしっかり休むことだ。良いな」

「……はい」

 リィナが唇を噛み締めて頷くと、ヴォルフが困ったように笑って頭をぽんぽんと叩く。

「俺は慣れているし、まだ体も疲れているわけでもない。宿で眠れるだけ楽な物だ。よくあることだからちびちゃんが気に病む事じゃない」

 リィナはヴォルフを見上げる。

「……ヴォルフ様?」

「なんだ?」

 見つめ返してくるその視線は以前と変わらず優しい物で。

「ありがとうございます」

 心の中で、ごめんなさいと言ってしまいたい気持ちを堪える。今、リィナにできる事は明日に備えて休むこと。罪悪感で本末転倒なことをしたらいけない。

「しっかり休んで、明日は万全になっておきます」

「……それでいい」

 ヴォルフがほっとしたように笑った。これで良い。リィナ笑顔で応えることで一人だけ休む罪悪感から目をそらした。

 食事が終わる頃には、慣れない一日の緊張が眠気と疲れになってどっと押し寄せてくる。動くのも億劫だった。

 一人ベッドで寝ることに申し訳なさはあったが、疲れと眠気を前にすると、リィナはそれを気にかける余裕もなく、あっという間に眠りに落ちたのだった。


「……リィナ、……リィナ、起きられるか?」

 眠りの意識の向こうで声がする。

 リィナは眠りを貪ろうとするが、揺すってくる手と声に、疑問を感じ、意識を覚醒させてゆく。

「リィナ? 起きるんだ」

 ヴォルフ様……?

「……ヴォルフ様!」

 リィナは一気に覚醒し、状況を把握し切れていないままにがばっと体を起こす。

 そうだ、昨日はヴォルフ様とグレンタールを出て。

 リィナは厳しい顔をしたヴォルフを見つめる。

「外が騒がしい。見つかるには早いが、念のために早く出立しよう」

 わずかに開いている窓の向こうは、まだ闇に包まれている。夜明けまでにはまだしばらくあるかもしれない。しかし、確かに窓の向こうから響く足音があり、それは旅人や住民の生活の足音にしてはおかしかった。リィナにも分かる、何か目的を持って集団が動いているような足音。

 リィナは頷くと、すぐさまベッドから降りて何をしたらいいのか周りを見渡す。

「中は全てそろえてある」

 そう言って差し出されたのは、昨日ヴォルフが準備をしてくれたカバンだ。中にはもう旅の準備ができているらしく、昨日肩にかけた感触と違い、なじむような重量感がある。

「すぐに出る。宿の正面から出ると目に付くからな。一番人目に付きにくい出口が調理場の裏口だ。覚えているか?」

 リィナはとっさに、昨夜部屋までの通路を歩きながらヴォルフが示した場所を思い出し、しっかりと頷く。

「出来るだけ音を立てないようにな。行くぞ」

 ヴォルフの後をついて行きながら、今はまだ静まっている宿を出る。裏口から出ると、宿の中から人の足音が複数しはじめた。この宿に入っているらしい。リィナはヴォルフの顔を見上げる。

 厳しい顔をしていた彼はふっとリィナに目を移し、人差し指を立てて「シィ」と唇に当てると、「だいじょうぶ」と声を出さずに唇を動かす。

 リィナの手を引き、少し離れた馬小屋にたどり着く。この辺りにはまだ誰も来ておらず、宿を改めることが優先されているのがうかがえた。

 ヴォルフは手早く荷物を載せ、リィナと共に馬にまたがった。今出たばかりの宿の方で声がした。

「まさか、本当に追っ手か?」

 ヴォルフのつぶやきにリィナはドキリとする。

「すぐに町を出るぞ」

 ヴォルフは巧みに馬を操り、裏道を駆け抜けてゆく。走って行く道を見ながら、リィナは、アレ? と、思う。

「こっちは……」

 来た道を戻っていることに気付いたリィナに、ヴォルフが「山の方に戻る」と耳打ちをする。

 今いるヤンセンから港町のカルコシュカまでは、ほぼ一本道であることと、ヴォルフ自身の地の利がなかった。しかし、ヤンセンからグレンタールまでの山間の道は、鉱山もあることから道が複雑に入り組んでおり、獣道も含め、退路をいくつか取ることが出来る。多少はヴォルフの知る土地である事を考えると、ひとまず安全を確保することをヴォルフは優先した。

 山道に入ると、辺りが静けさを取り戻したことに気付く。

「見つからずに出られたたようだな」

 ヴォルフはつぶやくと、離れた先の町の様子を眺める。

「……あれは、私を探しに来たのでしょうか……」

 不安げにつぶやくリィナに、ヴォルフが「分からない」と、首を横に振る。

「違うと言うにしても、そうと言うにしても確証に欠ける。時間的にあり得ないが、相手は神殿だ。先読みの巫女の宣託という事も考えられる」

「それはあり得ません。過去見は詳しいことを見ることが出来るそうですが、先読みは大抵曖昧な事柄を示すだけらしいですし、そんなに詳しいことを占えるような巫女は……」

 言いかけて口ごもったリィナに、ヴォルフが静かに告げる。

「一人いるだろう。エドヴァルドに最高の先読みの巫女が」

「……姫巫女様が、関わっていると……。でも、姫巫女様が先読みをされるのは国と神殿の有事のみです」

「可能性の話だ。だが、姫巫女がおちびちゃんを望んだところで、何ら不思議なことはない」

「……関わり合いのない人です」

「おちびちゃんがそう思っていたとしても、向こうからするとそう言うわけにはいくまいよ。何より、時渡りが出来る姫巫女の『駆け落ち』ともなると、神殿の有事だ。そうはおもわないか?」

「駆け落ち」を強調してからかう口調のヴォルフに、リィナが耳まで赤く染めて「思いませんよ!」と、軽口を返す。

 ヴォフルが笑い、リィナの緊張がわずかにほぐれる。

「しかし、あれが神殿の追っ手だとしたら、カルコシュカにこのまま向かうと危険かもしれないな」

 ヴォルフは今ある可能性を考える。かといって、違うのならば、ここで留まっていると出国時期を逃しかねない。

 ヴォルフ一人であったなら強行でカルコシュカまで行き、出国する船に乗る方を選ぶのだが、リィナを連れていては、万が一のことを考えると決断できない。

「……山を越えるか」

 リィナの体力的に厳しいところはあるが、女性ならまず選ばないであろう経路となるため、見つかる可能性は低い。

 しかし……。

 ヴォルフは前に座るリィナを見下ろす。小さくて華奢な体の少女である。山を越えるとなると体力的に厳しい旅となることは間違いない。耐えられるかという不安がよぎる。

 もし、動きが読まれているのなら、どのくらい読まれているのか。

 姫巫女の力といっても、そう容易く操れる物ではないとは聞いている。

 しかし考えたところで、その答えは出ない。今できる最善を考えなければならない。リィナをより確実に、コルネアから出国させるのが最優先だ。

「鉱山の方から国を出る。辛いと思うが、できるな?」

 リィナは力強く頷いた。山の中を遊び場にして育っている。だからヴォルフの言葉が辛くて時には危険だということを、リィナは身をもって知っている。けれど、ヴォルフが一緒なら、迷いはない。

「よし、じゃあちびすけ。愛の逃避行としゃれ込もうか」

「な、なに言ってるんですかっ」

「確かに、愛の逃避行をする相手としては、もう少し成長して欲しいところが、いろいろとあるんだがな……」

 と言った見下ろしてくる視線を見上げ、リィナは胸元を押さえながら叫ぶ。

「どこ見てるんですか!」

「……がんばれよ?」

「何をですかっ 何でそんな哀れんだ目で見るんですかっ」

 わざとらしく切なげに笑いながら胸元を見たヴォルフに、リィナがくってかかる。

 子供扱いして!

 そんなふうに憤っている姿が、ヴォルフの目には更に幼さの抜けない愛らしさを感じさせているとは知らず、リィナはむくれていた。

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