第35話 逃避4
二人は足早に森を下り、人目につかぬようにコンラートの家へと向かった。
その合間に、ヴォルフからこれからの計画についての話を聞かされる。
ひとまずはグレンタールを離れること。時渡りが出来ることが判明した以上、尚更神殿がリィナを手放すことはないだろう事を踏まえると、現状ではおそらくグレンタールというよりも、コルネアを出るしかないだろうということ。
コンラートの判断も仰ぐことになるが、元々の計画は使えなくなったのだ。元の計画では、リィナが力を具現できないこと、そして何より姫巫女になることを拒むことで、何とか名目を付けて神殿を出させるつもりであった。それならコンラートとラウラの立場は危うくなるが、リィナは最悪でも神殿の影響が強いグレンタールを離れれば、元の生活に戻ることが出来る可能性が高い。ラウラとコンラートも神殿から離れる覚悟はしてあった。
ところが、もう、その手はきかないのだ。ついに現れたとき渡りの姫巫女を神殿はなんとしてでも手に入れ様とするだろう。
最悪の場合を想定しての計画は、リィナを国外に逃がすことだった。コンラートとラウラと共に逃げる計画になっているが、現状では追っ手を振り払いながらのかなりの強行の旅になりかねない。つまり肉体労働には向いていないコンラートとラウラだけではその逃亡は心許ない。
ヴォルフは考え込むと、ややあってリィナをじっと見つめた。
「……ちびちゃん、俺と一緒に、駆け落ちでもするか」
ヴォルフがにやりと笑った。
「……はい?!」
慌てふためくリィナを見て、ヴォルフが楽しそうに笑う。
「俺と一緒に、国外逃亡するぞ」
夜が明ける前に二人はリィナの家にたどり着いた。明け方前の人気のない村で、確かに人の目がないことを確認し、無言で静かに扉を叩くと、すぐにかんぬきを外す音がして、コンラートが顔を出す。
「……リィナ、か?!」
ヴォルフの帰りを待っていたコンラートは、共に帰ってきた娘に言葉を失った。
「あ、の。ただいま」
すぐさま家の中に引きずり込まれるように招き入れられる。躊躇うリィナに駆け寄ってきたのはラウラだった。
「リィナ!」
目に涙を溜めて、ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる母の姿に、リィナも涙をこぼしながら抱きしめ返す。
リィナとラウラが再会を喜ぶその横で、ヴォルフとコンラートが現状とこれからについてを話し始めた。
「……なるほど。先読みの姫巫女がグレンタールを出るのが今日。 そうすると……」
コンラートの呟きによれば、リィナは逃亡日の前日に時渡りをしたことになる。
ややあって、コンラートは考え込んだ様子でヴォルフを見た。
「猶予は一日だ。私たちはここに残っていた方が良いかもしれない」
「なぜです。出来れば二手に分かれて、落ち合った方が」
ヴォルフの問いかけに、コンラートが首を横に振る。
「いや、リィナは自分で抜け出した。となると私たちは何の関わりもないと言うことになる。今私達がグレンタールを離れたら目に付く。私達はここに残って、今神殿にいるリィナが抜け出すまでの一日という猶予を確実に君たちが逃げる時間に回した方が安全だ。国外に出るまでの時間稼ぎぐらいにはなるだろう。何より君が守ってくれるのなら、私たちは足手まといだ。ここは君に頼らせて欲しい。リィナを守る為にもそれが最善だ。私たちは、ここに残ろう」
「何で……!!」
静かに耳を傾けていたリィナは叫んだ。
「お父さん、一緒に逃げようよ!」
訴えるリィナをラウラがぎゅうっと抱きしめ、そして首を横に振る。
「お父さんの言うとおりだわ。確かに、今の私達はあなたたちの足手まといになる」
「そんな事ない!」
「大丈夫。お父さんも言ったでしょう。本来のあなたは今、神殿にいる。私達とは無関係だから大丈夫よ。」
そう言うと、ラウラはコンラートに目を向け、小さく頷く。
「何はともあれ、今すぐにでる準備をした方が良いわね。いらっしゃい、最低限今できる準備をしましょう」
納得の行かないリィナだったが、すぐに出せる結論でもない。ひとまず、リィナも頭の中を整理する意味も込めて、準備をする為にその場を離れた。
コンラートと二人になったヴォルフは、彼に詰め寄った。
「一緒に行きましょう」
ヴォルフは言うが、コンラートは首を横に振る。
「いや、私達はここに残るよ。これでも神に、そして神殿に捧げた命だ。もしもの時は背いた罪はうける、それだけだ。だが、娘は神殿に関わらせたことなどない。あの子に背負わせるつもりのない罪だ」
「しかし、背負うと言っても皇太子の妾妃候補の姫巫女を逃したとなれば、その罪は……」
「分かっているだろうが、娘には言うてくれるな。姫巫女が自ら逃げたのだから、血のつながりのない私達は何も知らず、関係なくなるから無罪放免、だ。万が一にも私達が関わっていることが発覚することはない」
いいね、と念を押すような視線に、ヴォルフはのどを鳴らす。リィナを最優先するのなら「そういうこと」にしておいて、コンラートの言うとおり二人で逃げるのが最善だとヴォルフにも分かっている。
「……承知しております」
ヴォルフは深く息をついた。
「私達のことより、ヴォルフ殿。君だ。君は当事者ではない。だがそれをあえて背負うとしている……迷いは、ないか」
厳しく見つめるコンラートに、ヴォルフはうなずいた。
「俺がリィナを守ります」
「その代償は、大きいぞ」
ヴォルフはわずか苦しげにゆがんだが、けれど確かにうなずく。
神殿にたてつくのだ。どんな罪を背負うことになるのか。残してゆく家族にも心配は残る。だが、仮にもグレンタールの領主。この土地を納める以上は、神殿の利権を巡り、それなりの力と才覚がなければつとまらない。いくつか手札もあるはずだ。
ヴォルフはにやりとコンラートに笑う。
「父がいますから。不肖の息子の不始末が発覚したところで、いいようになんとでもするでしょう。それに、俺にとっては彼女を見捨てる方が、悔いが大きい。それはこの前のことで身にしみています。今回エドヴァルドを出たときから覚悟は決まっています」
コンラートが苦しげに笑みを浮かべた。
「不始末、か。すまない。しかしなぜ、君はそれほどまでにリィナに肩入れをする? 君は、リィナをそういう意味で好いているわけではないだろう」
ヴォルフはその問いには苦笑した。
「そうですね。今のところは、その、恋を楽しむ相手としては見ておりませんが……。けれど、なぜか守りたいと、思ってしまいます。今まで楽しんできたどんな恋の相手よりも、どんな焦がれる想いよりも、彼女の笑顔を守る方が、大切に思えるのです」
「恋うてもいない女性のために、命をかけるか」
コンラートは笑った。
「女性と子供のために戦うのは、騎士の使命ですから」
ヴォルフは肩をすくめて嘯くと、コンラートがその若さを愛おしむようにつぶやいた。
「……君は、恋をしたことが、ないようだ」
「……は?」
「いや、何でもない。……私は、君に娘を託して良いのか? 悔いぬ覚悟はあるか? ……いや、悔いてもいい、進めば必ず悔いる日も来るだろう。ただ、その悔いを受け止める覚悟は、あるのか?」
射貫くような視線に、ヴォルフは迷いなく答える。
「はい」
その返事に、コンラートが笑みを深くした。
「娘を頼む」
コンラートは膝をつき、頭を床にこすりつけるようにして礼をした。
「コンラート殿、やめて下さい!」
たまらず、頭を上げてもらおうとその前に跪いたヴォルフに、コンラートは真剣な顔をして首を横に振る。
「何を言う。娘を頼むのだ。君に全てを捨てさせ、命までかけさせて。こんなことでは到底足りぬよ。ありがとう、ヴォルフ殿。私たちはいくら君に礼をしても足りない。いくら君にわびても足りることがない。君に頼るしかない私達を許してくれとは言わない。だがリィナを、どうか頼む」」
コンラートは切なげに微笑んだ。
「……コンラート殿……」
ヴォルフは頷くことしかできなかった。
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