第28話 神殿3
自室に戻ったリィナは、ただ呆然として、どこに目を向けるともなく室内を瞳に映していた。
何の為に、姫巫女になったんだろう。
それは決して自分の望んだことではなかった。けれど希望があった。力が使えるようになれば、コルネアを、ひいてはヴォルフを助けることも出来るかもしれないと。両親を守る力を持てるかもしれないと。
妾妃になれば、もしかすると「権力」を手に入れることも出来るかもしれない。けれど、それでなくても傀儡の姫巫女。むしろリィナの枷がただ増えて、悪い事を引き込んでしまうように思えた。
絶望に心が囚われ、いつものように、前向きに事態をとらえることが出来ない。全てが悪い方に引き込まれていくような感覚があり、それに引きずられるように、よくないことばかりが思い浮かぶ。
ふふっと、リィナから嘲るように笑いが漏れた。
「姫巫女と、お姫様……」
クスクスとリィナは笑う。
女の子のあこがれるその二つに、自分はなろうとしている。
おかしかった。
夢に見るほどにあこがれていたのに、あこがれの姫巫女も、あこがれのお姫様も、夢に見たものと違い、現実はあまりにも残酷だった。全てが他人の欲望の道具でしかなく、リィナはそれの道具として好き勝手に扱われているだけなのだ。
けれどどんなにそれをイヤだと嘆こうとも、妾妃として城に上がれと神殿に求められた事実は変わらない。
許容量を今にも超えそうな苦しみに、リィナの心は、重く、重く沈んで行く。
なれるはずがない。
姫巫女という立場でさえ、もはや自分では支えきれないほどに大きな重荷となっているというのに。この上、妾妃などと。
思い浮かぶのは、漠然とした恐怖。明確ではないが為に、よりそれは大きな質感を持ってリィナを押しつぶす。
得体の知れない恐怖を感じ、震えが襲う。歯を食いしばろうにもかみ合うことなく、カチカチと、奥歯がなった。
リィナは自分を守るように、震える自分の体を抱きしめた。
コンコン、と、扉を叩く音がした。
リィナの部屋を訪れるのは守人ぐらいだ。
先ほど重大な命令を聞かされたばかりのリィナは、まだ何かあるのかと、びくりと体を震わせた。
リィナの見つめる先で、もう一度、コンコンと、扉の向こう側から叩く音がする。
「……はい」
震える声で返事をすると、「失礼します」と低く穏やかな声がして男が一人顔をのぞかせた。
その顔を見てリィナは息が止まるような衝撃を覚える。噛み締める奥歯がぎりぎりと音を立てた。
「お久しぶりですね」
そうリィナに向けて優しげに微笑んだのは、神殿に上がって以来会う事のなかったエドヴァルド神殿の神官、エンカルトだった。
「……また、あなたですか」
うめくようにリィナが低い声を出す。
この気分が落ち込んでいるときに見たい顔ではなかった。
彼女らしくもない嫌味な物言いに、エンカルトは動じた様子もなく頷く。
「ええ、また、私ですよ。ひとまず、ご挨拶に参りました。」
クスクスと穏やかな笑顔を浮かべるその神官が、額面通り穏やかでも優しくもないことをリィナは知っている。
しかもこのタイミングということは。
絶望に押しやられそうになっていたリィナに、一度は萎えた反抗心や怒りが沸々とわき上がってくる。
「今回のこと、あなたの企んだことですか」
「今回のこととは、リィナ様のご結婚のことですか?」
おめでとうございますと、にこやかに言われ、リィナは怒りにまかせて睨み付ける。
「……やっぱり、あなたが……!!」
「ええ、私がご提案して差し上げました。にしても、企んだとは心外ですね。現在グレンタール神殿に居場所のない姫巫女様に、新たな居場所を提示して差し上げたというのに」
「居場所がない……? あなたが無理矢理ここに連れてきたからじゃないですか。こんな所に居場所なんていりません。それが王宮だとしても、私が……リィナ・アレントが求められない場所なんかいりません。だいたい後宮に入ったところで、私の存在価値なんか認められるはずがないです。自分の居場所も作れないほど役に立たない私なんか、神殿から放り捨てれば良いんです」
怒りによる震えを押さえながら、リィナはエンカルトの目を見据えて言うが、エンカルトは、微笑んだまま、軽く肩をすくめた。
「何をおっしゃいますか。せっかく高貴なお血筋であられるのに。そんなもったいないことをすると思っておいでなのですか?」
「血筋が良くても、力のない巫女なんて……」
「力はございます。王家の者は、巫女の血を引かれることも多く、あなた様なら、力のある御子をもうけることも出来ましょう」
エンカルトの言いざまに、堪えきれない怒りがこぼれる。
「……人を道具のように……」
「ええ、道具になっていただきます。今、あなたの母君は現国王陛下の寵姫として神殿を支える一つの勢力になっております。あなたは、母君の元で、その地盤を固めていただきます」
リィナは表情をゆがめるようにして笑った。
姫巫女が母親だなんて、認めるつもりはなかった。ラウラからは、「本当のお母様」として姫巫女の話をされたし、二人がエドヴァルドの姫巫女を心酔している事もよく分かった。すばらしい人だと、そしてリィナを手放したくて手放したわけではないと聞かされた。
それでも、育ててくれたのはラウラとコンラートだ。
私のお母さんは、お母さんしかいない。
「母君? 私の母はここに、グレンタール神殿の守人としています」
しかし、そんなリィナの怒りは、エンカルトにあっけなく躱される。
「あなたがどう思おうと、事実は何も代わりはしませんよ」
「あなたの思い通りになんか……!」
「やっていただきます。いいですね。巫女として力も出せないあなたには、過分なほどの良い話ではないですか。愛妾ともなれば今よりも好きに振る舞え、通常では考えられないほどの恵まれた生活が約束されるのですから。しかも、あなたには正妃の座が約束されている」
話が通じない。リィナの意志など、この男には欠片ほども関係ないのだと思い知らされる。
だったら、この人相手に、ともに話をする意味なんてない。
リィナは心の中で吐き捨てるように思った。
「……断ることは、出来ないのですね」
リィナは手のひらを握りしめる。強く握りすぎて、その手が膝の上で震えた。
「……あなたは、私の事を嫌っておいででしょうが、私は、あなたのような賢い方が好きですよ」
都合の良い、の、間違いでしょう。
リィナはその言葉を飲み込んだ。
問いかけたいことも、ぶつけたい言葉も、山のようにあった。けれど、それは言葉として出てこなかった。おそらくどんな問いかけも、どんな思いも、きっとこの男には届かない。怒りをぶつけるだけ労力の無駄に思えた。今以上の不快感を覚えるだけだろうと言うことも想像できた。
神殿の礎のための道具になれと、いとも簡単に言うこの男。
もしこの言葉を向けられる先に居る人物がリィナでなければ、そう例えば巫女として誇りを持ち、神殿の未来を憂い、それを望む者であれば、納得も出来ただろう。しかしリィナはそうではない。リィナにとって神殿は敬う物であり、願うところであって、自分が支えるべき物ではない。そのように育てられなかった。リィナの両親は神殿の守人でありながら、リィナを神殿から遠ざけようとするあまり、その信仰心は一般人と変わらぬほどしか育たなかった。故に、それほどまでに強い信仰心を持たないリィナは、男の理念を押しつけられているに過ぎなかった。
「……私に何の発言力もないのなら、私には何も言うことはありません。聞く気もないのなら、せめてその不快な顔を見せないで下さい。私の視界に入らないで」
嫌悪感をこれ以上ないほど込めて出ていくように示唆すると、エンカルトはあっさりと退室を受け入れた。
「それでは、また、詳しいお話は後ほど」
エンカルトは向けられた悪意に、むしろ楽しそうに微笑むと、部屋を出ていった。
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