第27話 神殿2
もしリィナが姫巫女の娘であることが周知されていたのなら、神殿内での風当たりはまた少し状況が変わっていたかもしれない。少なくとも表向きは、リィナを悪しきざまに言う巫女はもっと少なくなっていただろう。
しかしそれは、過去の醜聞を知られたくない神殿側も、そしてリィナ自身も望むところではなかった。
姫巫女の娘という名の下でもたらされる恩恵を受けてしまえば、リィナの逃げ道は更に狭まってしまう。リィナは姫巫女となる覚悟を決めてはいるものの、決して神殿から逃れることを諦めていたわけでもなかった。機会があればいつでもその地位を降りるつもりであり、村に戻れる物ならば戻りたいと思っていた。そしてその想いは、更に強くなっている。
それはコンラートとラウラも分かっており、リィナが修行に励んでいる間も、リィナが神殿から逃れる術を何か探してくれているはずであった。
心が折れかけた今、リィナはそれが見つかることを願うしかなくなっていた。
しかし現状ではコンラートとラウラにさえ、会うことが許されない状況である。本来なら守人であるコンラートとラウラになら会うこともあるはずだった。けれど、巫女になったばかりの者は世俗との断絶が課せられる。一人前になるまで親族、近親者、友人などに会うことは許されないのだ。リィナも例外ではなかった。
おそらく上層部からの意向が強く働いていたのだろう、全くもって融通が利かなかった。
とは言っても、今回のリィナの姫巫女騒動に関して、リィナに力が秘められている以上の理由は語られることなく、秘されたままなのである。リィナの出自について知る者は、グレンタール神殿の中でも上層部のごく一部。突然の姫巫女台頭に何か裏があると噂されることはあっても、それが明確に人の口に上ることはなかった。
それ故に、自分の意志で神殿に上がったことになっているリィナと、守人の両親とであるからして、監視の目がそれほど厳しいわけでもなく、会うための手段は、無理をするのならばいくつか残されていた。
しかし、リィナは両親と会うことはしなかった。どこにエンカルトらの諜報がいるか分からないからだ。
神殿に上がる際、いずれ何か行動を起こすにしても、しばらくは素直に規則のままに会うことを控えて置いた方が良いというのがコンラートの考えだった。
リィナはそれに同意した。
今は耐えながら両親のことを思う。
大丈夫、きっと私の事を見捨てたりしない。お父さんとお母さんは、私の事を考えてくれてる。
神殿に上がるとき、リィナはようやく会えた両親に抱えた不安をぶつけるように尋ねたのだ。
「お父さんとお母さんは元々私が姫巫女様の子供だから育ててくれたのよね。私が姫巫女として上がる事を、姫巫女様はどう思ってるのかな。お父さん、お母さん、もし、姫巫女様が私を神殿に上げなさいって言ったら、どうする?」
ホントにそれでも助けてくれる? 姫巫女様より私を選んで。
そんな無意識のリィナの甘えに、ラウラが答えた。
「例え姫巫女様が相手でも、私はリィナの味方よ。リィナが、世界で一番の宝物だもの」
迷わずにそう言ってリィナを抱きしめた。
「……でもお母さんは、姫巫女様に頼まれて、私を育てたんでしょう?」
「そうよ。私はね姫巫女様と約束したの。姫巫女様の分も、私があなたのお母さんになるって。世界中の誰を敵に回しても、それが例え姫巫女様だとしても、私がリィナを守るって。あ、でもリィナの味方になるのは、約束したからじゃないのよ。私が、リィナを大好きだから。私が、リィナの幸せを誰よりも願っているからよ」
あなたが世界で一番大切。そう言ってラウラはリィナを抱きしめた。
「だって私は、リィナのお母さんだもの」
躊躇う事のないその言葉に、リィナは安堵する。
「わたし、お父さんと、お母さんの子供でいい?」
「他に、誰がいるの」
ラウラがそう言って笑った。その目には涙がたまっている。
黙って側にいたコンラートもラウラの言葉に重ねるように頷いた。
「ごめんね、守ってあげられなくて、ごめんね」
ラウラの声が震えて、涙がこぼれた。
リィナは首を横に振る。
死んでしまうよりずっといい。命をかけられるより、ずっといい。だから謝らないで。
そう、リィナはラウラを抱きしめて言葉を絞り出した。
そしてコンラートは、別れ際に「必ず助ける」とリィナに約束をした。
言葉を交わせたのは、それが最後。
あれから数ヶ月が過ぎている。けれどリィナはそれを信じていた。
あの日の会話は、リィナの両親に対する不安をぬぐい去った。信じていい事を肌で感じたのだから。故に会えないことを不満には思ってはいなかった。
けれど、寂しかった。
そして、恐かった。
コンラートとラウラは実の両親ではないと知ってしまった以上、自分を助けるために無理をさせているのではないかという不安があった。巻き込んで良いのだろうかと。
それでもリィナにとって唯一、頼っても無条件で許される存在であった。もう、そこにすがるよりほかなかった。
けれど会うことも出来ない最中、寂しさと悲しみと苦しみに押しつぶされそうになる。
これからどうなるのかという不安、助けると言ったその時がいつ来るのかという不安。いつまで、この針の筵で過ごさなければいけないのかという、苦しみと、未来への漠然とした恐怖。
そんな中にあって、身近にいた三人の巫女達の存在が支えだったのに。彼女たちはとうにリィナを見限っていたのだ。力を出せない日々の間に、じわりじわりと置かれる距離と同じように、心も離れていっていたのだ。
ああ駄目だ、とリィナは頭を振る。イヤな事ばかり考えて囚われていると、心がすさんで行く。
もっと前を見て。
リィナは自分を叱咤した。
今できる事を考えよう。今できる事をしよう。
そうしてリィナはいつものようにヴォルフの名前を心の中でつぶやく。
心の中に灯る、宝物のような記憶。それを振り切った痛みや苦しみを心の奥底に押し隠して、幸せな思いだけを取り出して自分を支える。
いつまで続くか分からない絶望の先を見て、心が折れそうになりながら、それでもどこかに何かの道があると信じて。
それからも、針の筵と味気ないただ修行ばかりの毎日は変わりなく続いていた。もはや、三人の姫巫女達との関係も断絶していた。
リィナが姫巫女として迎えられ、早半年が過ぎようとしていた。
一人きりで過ごす、発狂しそうにも思える日常が、ゆっくり、ゆっくりと過ぎて、それは永遠にも続くのではないかと思えていたある日、思いがけない知らせがリィナに伝えられた。
それは、全身から血の気が引くような知らせだった。
「私が、皇太子殿下の……?」
目の前の神官長を、まじまじと見つめる。その表情に偽りを探そうとするが、至極真面目な顔でリィナを見つめている。
「後宮とは、どういう事ですか……?」
震える声を抑えながら、リィナは慎重に言われた意味を探る。そんなわけがない、と、聞き間違いであると確かめたかったのかもしれない。
「将来的には、正妃として迎えられるようにいたしますが、まずは、皇太子殿下の妾妃として後宮に上がっていただくことになります」
皇太子の後宮に入るよう求められていると言う事実に、リィナは言葉を失った。
コルネア王家で妻を複数名召し抱えるのは珍しいことではない。正式な后は一人となるが、公的に認められた女性は后に準ずる妾妃として、城に一室を与えられる。
しかし皇太子というと、まだリィナよりも若い十二才の少年である。后はもとより、妾妃などを迎えてはいない。
最初の妾妃として、将来的には后となるよう決定づけられて、リィナに城へ上がれと言うのだ。
そんな事が受け入れられるはずがなかった。
考えただけで背筋に寒気が走った。
リィナは、何とか気を取り直して神官長に言葉を返す。
「待って下さい。なぜ、私が、王家から求められるんですか」
けれどその返事はリィナを絶望に落とすだけであった。
「あなたが、姫巫女だからです」
姫巫女、ただその名が付く、それだけで。
頭がくらくらした。
王家と姫巫女との婚姻は、そう珍しい物ではなかった。神殿と王家とのつながりを強固な物として引き留めておくためだ。
巫女というのはそれだけで価値がある。王家の者が巫女として神殿で巫女の修行することもあるほどだ。巫女の力を操れる姫は、嫁ぐのにも有益に働くのだ。それほどに神殿と王家のつながりは深い。
ましてや巫女の力が弱まる傾向にある今、神殿が出来うる限り、王家とのつながりを強固な物にしておこうとするのも必然とも言えた。
しかしリィナは力も操れない名ばかりの姫巫女である。秘めた力があるという事だけは分かっているが、現国王の寵姫となっているエドヴァルドの姫巫女との血縁は明らかにはされておらず、リィナなど完全な飾りのような物だ。
ましてや神殿に上がって間もなく、姫巫女としての立ち振る舞いさえたどたどしいリィナは、王家の人間と顔を合わせられるほどの教養など皆無に等しいというのに。
それを神殿の誰もが分かっているはずなのに、なぜそんな要求がまかり通るのだ。
リィナは震えながら神官長を見た。
「……名ばかりの姫巫女ではないですか……!」
神官長は全ての事情を知っている。リィナが望んでここへ来たわけでもないことも、そして、出生の秘密も。
神官長がリィナに対して、同情的に見てくれていることを知っている。
そして、この決定を彼が好んで下したわけでもないことも分かる。
これが神殿の総意であり、いくら彼が同情しようとも、一神殿が反発できるような物でもないこともおぼろながらに、想像が付く。
それでも、行き場のない思いは絶望となってリィナの叫びとなる。
「そんなの、出来るわけがないです……!!」
「……それでも、それが、姫巫女となったあなたに求められる、義務です。時渡りの神殿の頂点に立つ巫女として、神殿の為に尽くすことが」
神官長の声が、重く響く。
「無理矢理据えておいて、そんなの……!!」
それ以上声にならず、リィナの声を殺した嗚咽が、静かに響いた。
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