第20話 三百年祭3
ドンと最後に太鼓が鳴り響き、姫巫女と剣士の舞いが終わる。
盛大な拍手と歓声が沸き上がった。
リィナとヴォルフは、顔を見合わせて微笑むと、舞台を降りた。
「すごい迫力だったな俺の姫巫女は。いつの間にこれほど綺麗に成長したんだ」
ヴォルフが笑いながらリィナの髪をくしゃっと撫でる。
それを感じながら、こんなふうにヴォルフ様に撫でられるのも最後なのだと、リィナは切なく微笑んだ。
「リィナ!! すばらしかったわ! 今までで最高の出来だったわ!」
ラーニャが駆け寄ってきて、リィナを抱きしめた。
「ラーニャさん……!!」
リィナはその背に腕を回し、力一杯抱きしめた。ラーニャともこれが別れになるのだ。
「ラーニャさんのおかげです。ラーニャさんにお会いできて、本当に幸せでした」
「なぁに、まるでお別れでもするみたいな言い方をして。大げさよ」
興奮気味なラーニャが、笑いながらリィナの頬を撫でる。
リィナは切なくそれに笑いかけると、小さく首を横に振った。
「……最後、なんです。お別れ、です」
覚悟を決めて、そっとつぶやいた。
「……え? どういう、事?」
驚いた様子のラーニャに、リィナは、精一杯の笑顔で笑いかける。そして、ヴォルフを見た。
「ヴォルフ様、一緒に舞の練習をした日々は、楽しかったです。ヴォルフ様と出会えて、うれしかった。今まで、ありがとうございました」
「……ちびちゃん……?」
何があった、と、ヴォルフが尋ねようと詰め寄ろうとしたその時。
「リィナ様」
静かな声が割り込み、リィナに触れようとしたヴォルフの手が止まる。
「まもなくお披露目をいたしますので、こちらへお願いします」
リィナはエンカルトを見てわずかに顔をゆがませ、不快感に唇を噛んだ。
まともに別れすらさせてもらえないらしい。
リィナはヴォルフとラーニャ、そして周りにいた舞いの関係者に向けて、一度大きく頭を下げた。込められる感謝を、精一杯込めて。そして、出来るだけがんばって笑顔を張り付かせた。
「皆さん、ありがとうございました」
そのままエンカルトに促されるまま足を進めていたが、リィナはこらえきれずにヴォルフを振り返った。
「ヴォルフ様」
名前を呼ぶと、エンカルトをにらむように見つめていたヴォルフの視線がリィナをとらえ、問いかけるように見つめてくる。その瞳がとても心配をしているように見えた。
ヴォルフだけは、リィナの笑顔の裏にある気持ちを感じ取ってくれていた。それがどれほどうれしかっただろう。どれだけ救われただろう。溢れそうになる感情をこらえ、リィナは笑顔を作る。
「さようなら」
本当は泣きたかった。泣き叫んで、行きたくない、助けてとすがりたかった。
けれどヴォルフはただの知り合いでしかない。そしてグレンタールにとって、とても大切な人だった。どんなにリィナが慕おうとも、どんなに彼が優しく接してくれようと、それを願っていい人ではなかった。
それでも、もし「助けて」と一言願えば、彼は叶えてくれるだろうか。約束したように、助けてくれるのだろうか。
けれど、リィナはそれを確かめることも問いかけることもしないまま、笑顔で別れを告げる。もう一度、ヴォルフにだけ頭を軽く下げた。目を閉じると、こらえていた涙がこぼれた。
そしてヴォルフには涙が見えないように、下を向いたまま進行方向に体を向ける。
これが別れなのだと、リィナはぼんやりと感じる。背中を向け、一歩、一歩と、ヴォルフから遠ざかってゆく。
舞っているときは、あんなにも近かったのに。肩を抱かれた手の大きさも、力も、包み込むような安心感も、こんなにも鮮明に思い出せるのに。
けれど、それは舞の中だけのこと。ヴォルフ様は舞台の上だけの私の剣士。舞台を降りた私に、それを求める権利などないのだ。
二人は伝説の姫巫女の舞台を降り、ヴォルフは、姫巫女(リィナ)の剣士ではなくなったのだから。
ヴォルフは呆然として、立ち去るリィナの背中を見つめた。
さよならとは、どういう意味なのか。それは隣にいるあの男のためか。
まさか結婚でもするのかとも考えたが、結婚をするにはあの男は年が行き過ぎている。リィナの父親と言っても良いような年齢だろう。それに、あの男は見たことがあった。三百年祭でエドヴァルドからやってきた神官だ。
何が起こっている。
お披露目とはどういう意味だ。
ヴォルフの脳裏に、リィナがたった今浮かべた笑顔がよぎる。まるでうれしいといわんばかりの表情を装っていたが、ヴォルフには悲しげな笑顔にしか見えなかった。今にも泣き出しそうな表情に見えた。
リィナは望んでいないのだ。
ヴォルフは確信する。リィナは望んでいないのに何かを成そうとしている。
「お別れって、どういう事かしらね?」
話しかけてくるラーニャに、「少し考えたいことがあるから」と、ろくな返事もせずにヴォルフは一人足を速める。
ヴォルフは、リィナが神殿から帰ってきてからの不可解な様子について思い返していた。
そして祭りの前、かすかに聞こえた吐息のようなリィナの声。
あれは「行きたくない」ではなかったか。あの瞬間ははっきり聞き取れなかったが、あのかすかに耳に残る音が、ヴォルフの中で、今、はっきりと意味を持った。
小さな、小さな、心情の吐露。あれがリィナのできる、精一杯の助けを求める声だったのだ。
助けてやりたいと思った。
あんなふうに笑うリィナは見たくなかった。
あの愛らしい少女にあんな苦しげな笑顔をさせて良いはずがなかった。
ヴォルフはリィナの向かった先を一度振り返り、そして決意を込めて人混みの中へと足早に進んでいった。
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