第19話 三百年祭2
間もなく舞いが始まる。
舞台裏、剣士姿で隣に立ったヴォルフに得も言えぬ懐かしさを覚える。全てが変わる前であったなら、どんなに胸を弾ませただろう。憧れの姫巫女として隣に立てる喜びに浸っていたかもしれない。
けれど今は、これが二人で舞う最後の舞なのだと、突きつけられているようだ。
舞台の前には貴賓席までもうけられ、そこには王族らしき人物も見えて、普段の祭り以上に盛大な大舞台なのだと実感する。それらに対する重圧も、緊張感も、不安もある。けれどリィナにとっては最後の幸せな時間になるのだ。
舞いを終えればリィナは日常生活と別れることとなる。この三百年祭の大舞台で、姫巫女としてお披露目がされるのだから。だから今日は、舞いも他のどんなこともめいいっぱい楽しみ心に焼き付けておこうと決めていた。
この舞いをヴォルフとの大切な思い出にするのだ。
神殿の修行から戻ったあと何度かエンカルトが訪ねてきた。彼がリィナのもとを訪れる一番の目的は逃げないように釘を刺すためだろう。そして、姫巫女として神殿に上がるための準備を進めるためでもあった。
いろんな事がリィナの望まぬところで、勝手に決まっていた。
今リィナが身につけている衣装もそうだ。これは毎年の舞いで着ける衣装ではない。本物の姫巫女が着ける礼装用のものだ。
三百年祭で新しくあつらえたと誰もが勘違いしているが、違うのだ。これはリィナのためにあつらえられた、本物の姫巫女の衣。エドヴァルドの姫巫女に送られるはずだったリィナの作った紫泉染のベールもまた、リィナ本人が使うことになる。
「ずいぶん緊張しているようだな」
沈黙するリィナをからかうようにヴォルフが笑いかけてくる。それにむっとした表情を作り、口をとがらせた。
「ヴォルフ様は平気なんですか?」
「緊張はするが、こういう緊張感は、嫌いじゃないな」
「じゃあ、私が失敗しちゃったときは助けて下さいね」
冗談めかして言いながら、自分の言ったその言葉に反応して、一瞬、閉じ込めた感情が溢れそうになる。
助けて、ヴォルフ様。
口から溢れそうになる言葉を必死に押し込めれば、ヴォルフがにやりと笑って
「いくらでも助けてやるから、安心して臨むといい」
などと言うから、今度はまぶたが熱くなる。
だめ、こらえろ、こらえろ。言ってはだめ。泣いてはだめ。
何とかほほえみを作り、高ぶりそうな感情を抑える。
「……たよりに、しています、ね」
身じろぎした瞬間、シャランと鈴が鳴る。真新しくリィナのために作られたその鈴の音が、逃げられると思うなと、釘を刺してくる。
リィナはヴォルフににっこりと微笑んだ。
重い、重い、枷のような衣装を纏い、けれど幸せな最後の舞をヴォルフと舞う。
ドン、ドン、と、低く響く太鼓の音が、まもなく舞が始まることを知らせる。
「行こうか」
ヴォルフが手を伸ばした。
リィナはそれにそっと手を重ね、ヴォルフを見上げた。
夢見た私の剣士。望んではいけない人。
しゃらん、と身につけた鈴が鳴る。
リィナは微笑みを纏った。
さあ、最後の舞台を華やかに彩ろう。幸せな生活の終わりに。
舞いが始まった。
どんと鳴り響く太鼓の音。
しんと静まって息を潜めて見守られている舞台の上で、姫巫女がしなやかに腕を上げ、シャンっと鈴を鳴らす。
普段のリィナを知る者には想像も付かないほどに、どこかピンと張り詰めた空気を纏い、ただそこにいるだけで魅入られるような壮絶な迫力をもって彼女は舞っていた。本物の姫巫女とはこのような存在だろうかと彷彿させる気高さのような物があった。
ヴォルフと共に舞っているのは、無邪気で愛らしいだけの少女ではなかった。
どこか愁いを秘めたようなその瞳と、剣士を恋い慕う表情。剣士を愛し導く、尊く高貴な姫巫女の姿そのもののようだった。
『……ちびちゃん?』
舞いながら、リィナはヴォルフにそう呼びかけられた気がした。まるで心が通じ合っているかのような感覚があった。ヴォルフがリィナの瞳を、問いかけるように見つめていた。
その瞳を受けて、リィナは一層切なげに微笑んだ。
『さようなら』
リィナは、心の中で別れを告げる。
姫巫女も、そうだったのだろうか。時の流れに翻弄され、剣士と別れるその時。こんな切なさを抱いたのだろうか。
けれど姫巫女は良い。剣士とまた出会えるのだから。
私とは違う。私はきっと、もう二度とヴォルフ様には会えないのだから。
だって、ヴォルフ様は私の剣士ではないのだから。
……さようなら、ヴォルフ様。
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