第21話 三百年祭4

「コンラート殿……!!」

 ヴォルフはようやく見つけたコンラートの肩をつかんだ。

「……ヴォルフ殿」

 驚いたように彼が振り返ったが、ヴォルフは何の前置きも、挨拶すらもなく、コンラートに詰め寄った。

「今、リィナに別れを告げられました。あの様子は普通じゃない。しかもあの神官も。何があったんです?」

 唐突に向けられたヴォルフの剣幕に、コンラートはわずか目を見開いたが、すぐに気を取り直すと周りに一度軽く目を配った。そしてヴォルフの非礼をとがめることなく、ただ、ふっと息を吐いた。

「リィナは、姫巫女になる。――本物の、ね」

「……本物?」

「そう、それだけのことだよ」

 そう言うと困ったように微笑みを浮かべたコンラートに、ヴォルフは彼が話を打ち切ろうとしているのを感じとる。

 それだけのことの筈がない。リィナから感じる悲壮感は、そんな言葉で済まされるような物ではなかった。コンラートは何かを隠そうとしている。ヴォルフは彼をこのまま逃すまいと詰め寄った。

「行きたくない、とリィナが言いました。なぜ、あなたは止めないんですか」

 非難めいた言葉がついて出たヴォルフに、コンラートが驚いた様子で彼を見た。

「リィナが、君にそう言ったのか?」

 コンラートの探るような視線に頷くと、コンラートは諦めたように息をついた。

「ちょっと、場所を移そうか」

 人気の少ないところにまで来ると、コンラートはヴォルフを見た。

「……気付いているかい?」

 コンラートが苦く笑いかけると、ヴォルフは視線だけをちらりと周りに配らせ、そして小さく頷いた。

 周りで兵士がさりげなくコンラートを囲んでいる。

「あまり良い環境とは言えないが、リィナに近づいたり逃げさえしなければ直接関わってくることはない。ここで話そう」

「……お願いします」

 ヴォルフが頷くと、コンラートは、仕方なさそうに話し始めた。

「神殿の修行に行ったときのことだ。そこでリィナには、姫巫女になれるほどの力があることが分かったのだよ。現エドヴァルド神殿の姫巫女を凌駕するほどの強すぎる力だ。制御の方は全くだから、力がなければ利用価値も認められなかったのだろうが……。君の言うとおり、リィナは望んでいな。だが神殿は強制的に連れていこうとしている。……私たちが足枷になって、リィナは断れずにいるんだよ。ここまで見張られると、たまったもんじゃないね」

 溜息をついたコンラートに、ヴォルフは周りの兵士の存在を感じながら頷いた。

「あなた方が、人質、ですか」

「私たちがいくら覚悟をしていても、私たちを犠牲にしてまで自由を望む子ではないからね」

 消極的な肯定の後、コンラートが溜息混じりに静かに続ける。

「巫女になるということは、世俗を捨てるということだ。望まぬ者にとっては牢獄に等しい。望む者にはのどから手が出るほど欲しい地位であっても。どんなに名誉で誇らしいことであっても、望まぬ者にはどんな地位も名誉もただの重荷だろうよ。あんな人生を閉ざされた場所に閉じ込めたくはないのだけどね」

 溜息をついたコンラートに、何を悠長なことを、とヴォルフはいらだちを覚えていた。しばらくリィナに会っていないからそんな事が言えるのだ。

「俺が、助けます」

 決意を込めてコンラートを見た。けれど彼はとんでもないというようにヴォルフを諭し始めた。

「何を馬鹿なことを。軽々しくそんな事を言ってはいけない。君には背負っている物がある。君が何か行動を起こせば必ず累が及ぶ。一人の問題ではすまない。分かっているだろう?」

「しかし望まぬ者を無理矢理神殿に上げるなど、暴挙です。それなりに争う手立てはあるはずでは」

 聞いた以上、このままにして置いて良い問題ではないと分かった以上、ヴォルフは自分の出来ることを考えた。

 許されて良いはずがない。

 リィナにあんな顔のまま神殿に行かせて良いはずがない。

 けれどヴォルフの決意に、コンラートが水を差す。

「だとしても君が口出しをすることではない。君は無関係な人間だ。今手出しをしたとして、その後の責任をあの子に対して負えるのかい?」

 なぜ、とヴォルフはいらだちを覚えた。コンラートは娘を助けたくはないのかと。リィナが嫌がっているのを知っているというのに、彼女を助けることには消極的な姿勢が腹立たしかった。

 この後の責任だと? リィナを助けるためなら、何だってしてやろうじゃないか。

 コンラートのどこか淡々とした物言いに、ヴォルフの決意は風にあおられた炎のように強くなる。

「……負います」

 低い声で頷いたヴォルフに、コンラートがわざとらしいほど仕方なさそうに溜息をついた。まるで愚かな若輩者に呆れたように。

「さっきも言っただろう、軽々しくそんな事を安請け合いする物ではないよ」

 なぜだかは分からないが、コンラートはヴォルフのいらだちをあおっているようにも見えた。

 このまま俺を怒らせて、話をそらそうとしている?

 感情的になれば本筋を見失う。ヴォルフはコンラートを見つめて静かに息を吐いた。

 落ち着け。

 話を逸らされないようにしなくては。

 いらだちを押さえ、言葉を選びながらコンラートを見据える。

「軽々しく考えているつもりはありません。リィナが安心できるまで責任を負います」

 しかしコンラートが続けざまにヴォルフの弱みを突いてくる。

「どうやって? 君はエドヴァルドにすぐに戻るだろう。グレンタールに住むリィナを、君がどうやって守るというのだ」

「落ち着くまではとどまります」

「騎士団がそんな事を許すとでも?」

「……それは俺の問題です。現時点の優先順位は、俺の騎士団での立場ではなく、リィナの行く末です。ずっと何でもないフリをして笑っていたあの子が漏らした一言を、俺は切り捨てる気はありません」

 こんな緊張を騎士団以外で強いられたのは初めてだった。何か一つ言い詰まったり弱みを見せれば、そこを追求されて道を閉ざされる、そんな緊張があった。

 ヴォルフは目をそらさないように、出来る限りの強い決意でもってコンラートを見つめた。コンラートがヴォフルを排除しようとしているのが分かった。リィナに関わらせたくないのだと。

 ならばヴォルフはそんな事を受け入れるつもりは毛頭ないとコンラートに示さなければならない。

 しばらくのにらみ合いの後、ややあってコンラートが溜息をついた。

 諦めたように、そのくせ、どこかほっとしたように。

 ヴォルフもまた、内心ほっとする。コンラートからの拒絶する空気が解かれていた。

「なぜ、君がそこまでリィナに肩入れする。あの子とは舞で出会っただけの顔見知り程度の子だろう。それとも君はウチの娘を好いているのか?」

 まさかの問いかけに、ヴォルフは、虚を突かれて動揺する。

 コンラートの攻撃はまだ終わっていなかったのか。などと思いながら、ヴォルフは必死に動揺を抑えて、何とか答えた。

「え、いや、そういうわけでは。かわいいとは思っていますが、妹のような……。ただ、あの子が困っていたり悲しんでいたりするのなら、俺の出来る範囲で守りたいとは、思っています、が……」

 そのヴォルフの様子に、コンラートが楽しげに笑った。

「ははっ、ずいぶんとウチの娘も気に入られたものだね。親としては、こんなに心強い男が目をかけてくれていることを喜ぶべきかな?」

 コンラートのからかうような問いかけに、話を誤魔化されているような気がしつつも「ですから、そういう意味では……」と戸惑う。

 大概この手の会話には慣れているつもりだったが、相手がまさかのリィナであることと、父親を前に「子供過ぎて相手にならない」などと言うのもどうかという思いと、このコンラートにからかわれると思っていなかったということと、何とも反応しづらい状況に陥っていた。

 そんな微妙な状況でコンラートの意図がつかめなかったが、彼の視線は、確かに先ほどに比べて柔らかくなっていた。

「いや、しかし、本当にありがたいことだ。君の気持ちは本当にうれしく思うよ。だから君にはあの子も弱音を吐けたのだろう。少し驚いたよ。あの子は我慢強いからね」

 コンラートは噛み締めるようにつぶやくと、ヴォルフをまっすぐに見据えた。

「ヴォルフ殿。君は、リィナを本当に助けたいというのだね。私が止めても?」

 彼の真摯な瞳にヴォルフは気を引き締めた。どうやら本当にからかっただけで話を誤魔化そうとしているわけではないらしいと安堵を覚えながら、ヴォルフは迷うことなく肯いた。

「リィナが望むのなら、俺は自分の出来る限りのことをします」

 睨み付けるようなヴォルフの視線を受けて、コンラートが「そうか」と重く肯いた。

「……ならば、私は君を全力で止めようか」

 それは思いもよらない、静かな、コンラートの宣言だった。

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