第9話 日常2
「ちびちゃん、これは、どうしたんだ?」
練習を終えると、ヴォルフがリィナの青く染まった指先を不思議そうに手に取った。どうやら練習中から気になっていたらしい。
舞の練習ではふれあうことも多いが、こうして練習以外で触れられることはあまりない。
うわ……ヴォルフ様の手が……。
「え、あ、その……」
ヴォルフの大きくて温かな手の上にリィナの指先が乗せられ、親指が青く染まった指先につまむように触れてくる。いじられながらまじまじと観察されている自分の手を見て、気恥ずかしさにたまらなくなる。
「これはお仕事で付いちゃいました! なんと高貴な紫泉染の指ですよ」
リィナは照れをごまかすように、大げさに指先を自慢げに見せびらかした。
「ほう。ちびちゃんはどこで働いているんだ」
「染物屋さんです。アヴェルタさんトコの」
「なるほど。しかし、それにしては薄いな。今までそんな色になったことないだろ」
指先をつまんで持ち上げられ、さらに近くで観察される。
「そのっ、普段は染め付けはしていないのでっ」
恥ずかしくて離してほしいのに、ヴォルフはリィナの染まった指先をもてあそぶように触って、手放す様子がない。
リィナの普段の仕事はレースや刺繍など小物の針子が主なものだ。けれど、今回の姫巫女役のベールはリィナが作ったものに決まり、それならいっそのこと染め付けまで自分でやってみるか、という話になったのだ。
「今回だけ特別なんですっ、姫巫女のベールを最初から染め付けまで自分で手作りで、それを使う姫巫女役だなんて、きっと、私だけですよね」
何でもない話をするときにこんなに近すぎるところにいて、顔まで真っ赤になってきている気がする。もう、自分で何を言ってるのかわからない。
すごいでしょ! とばかりに青く染まった指をヴォルフに見せながらリィナが顔を真っ赤に染めながら笑う。
「……真っ赤になったおちびちゃんは、熟れた果物みたいだな」
そう言って見つめてくるのは、今度は指先ではなく、リィナの赤く染まった頬だ。
「ま、またからかって……!!」
「からかってなんかないさ。かわいいから食べてみたら甘そうだと思っただけで」
「絶対、からかってますー!!」
クックと楽しそうに笑うヴォルフから、リィナは自分の指をひったくるように取り返す。
神殿の巫女はベールを纏う。生成のベールは一般の巫女、藍のベールは高位の巫女、そして姫巫女だけが纏うことが許される、紫のベール。姫巫女が纏う色はグレンタールでしか生み出せない、最も高貴な色だ。
舞で使われた紫泉染のベールは後に首都にあるエルヴァルド神殿の姫巫女へと献上される。
故に、ベールのレースと刺繍は、村でも選りすぐりの技術を持つ女性に託される栄誉とも言える仕事なのだ。今年は、その技術を大きく評価されているリィナをアヴェルタが推し、そして選ばれた。そのリィナがさらに姫巫女にまで選ばれたことは、アヴェルタにとってうれしい驚きだった。いっそのこと染めも……という話になったのも当然の流れだった。
紫のベールが作られるのはグレンタールしかない。
三百年前、グレンタールを興した時渡りの姫巫女が伝えたとされる染色法がグレンタールでしか行えないというのが主な理由だ。それまでは、姫巫女の纏うベールの色は紫紺であったと言われている。
紫泉染は染色後にグレンタールでわき出る温泉の底にある泥につけることでその発色を鮮やかにさせるのだ。
グレンタールほど鮮やかな紫色を作ることが出来る土地は今のところ他にない。
しかも最後の時渡りの姫巫女が伝えた色である紫泉染である。よって一般の人間が纏うことは許されていない。しかし、お守りとして紫色に染められた小物を持つことは許される。ただし、神殿に納める物より薄い色でなければならないのだが。
リィナの仕事には、そういった小物を作ることもあった。
今回は、リィナが舞で使う紫泉染のベールということもあり、カルストがリィナにも染色をさせてくれた。
本来は決してやらせてもらえないことだったが、今回ばかりは特別ということだろう。リィナが頻繁に染めの行程を興味深くのぞいて、素人にしては行程を熟知し、カルストに大いに気に入られているということも大きかった。無知な者であればさすがにカルストも踏み入れることさえ許さなかっただろうがリィナはそうではない。リィナからすればいつも近くで見ていたあこがれの仕事でもあった。それをカルストは知っていたのだ。
指をヴォルフからかくし、熱くなった耳に当てながら、ふくれっ面のリィナが染めの行程をさせてもらうことになったここ数日の経緯を話す。
「数日前からベールを染める前に何度も練習して、やっと今日許しが出て染めてきたんです。素人でも失敗しづらい簡単な染めの工程だけですけど。結構上手に出来たって、カルストさんにも褒めてもらえたんです。これなら、舞の後に、姫巫女様に献上しても恥ずかしくないって」
怒りながらも、まじめに説明をする様子がさらにおかしかったらしく、ヴォルフがリィナに隠れてこっそりと笑いをかみ殺した。
「ほう。それは大きく出たな。おちびちゃんの晴れの舞台を楽しみにさせてもらおうか」
「はい、ぜひ!」
からかったつもりが、リィナの笑顔が満面に花咲いて、ヴォルフはまぶしそうに目を細めた。
どれだけそんな立ち話をしていただろうか。
「リィナ!」
名前を呼ぶ声に振り返れば、コンラートが歩み寄ってきていた。
「お父さん!」
リィナが手を振って応えた。
「ヴォルフ様、父です」
「……コンラート殿?」
驚いた顔でリィナとコンラートを見比べるヴォルフに、リィナも驚く。
「父をご存じでしたか?」
「ああ、以前、騎士団の仕事でグレンタール神殿に駐在したことがある。その時にコンラート殿には世話になったんだ」
「そうなんですか。父はそんな話、全然してくれなかったのに」
リィナは口をとがらせて、側に来た父親を責めるように見た。
顔見知りぐらい親しいのなら、会ったときの話ぐらい聞きたかったのに、と。
対するコンラートはリィナのそんな視線など素知らぬふりでにこやかに肩をすくめた。
「するわけないだろう、ヴォルフ殿はおまえのあこがれの……」
「お父さん、仕事は終わったの?!」
慌てたのはリィナだ。思わぬ反撃をくらい、コンラートの言葉を遮るように声を張り上げてごまかしにかかった。
しかし、せっかく声を遮ったのに、ヴォルフには聞こえていたらしい。
振り返ると、ヴォルフがにやにやと笑いながらリィナを見つめている。せっかく熱を冷ましたのに、また勝手に顔が赤くなっていく。
何でもないフリしたいのに、顔が熱い。ばれる、これはばれちゃう。
「ほう。おちびちゃんは、コンラート殿が話すのを躊躇うぐらい、俺にあこがれてくれていたのか? そこまで気に入られていたとは、知らなかったな」
「ヴォルフ様じゃなくって、剣士様にあこがれていたんです……!!」
「つれないことを言うなよ」
もう、それ以上言葉にならない。リィナはこの状況を招いたコンラートを振り返りにらんだが、やはり何事もないように父親はにこにこと笑うばかりで、怒ったところで何の効き目もなさそうだ。
動揺もあらわなリィナの様子に笑いながら、ヴォルフもコンラートへと改めて向き合った。
「コンラート殿、お久しぶりです。まさか彼女がコンラート殿のお嬢さんとは」
リィナにいつも見せる顔とは違う、落ち着きのある少し形式張った様子は、まるで知らない人……そう、舞台の上で見たヴォルフそのものに見えた。
「ああ、久しぶりだね。ヴォルフ殿もお元気そうで何よりだ。娘から話は聞いているが、いつも世話になっているようだね。まだまだ至らないところがあるだろうが、鍛えてやって欲しい」
にこやかなコンラートの言葉に、ヴォルフがわずかに表情を和らげて、ちらりとリィナを見た。
「ええ、なかなか鍛えがいのあるお嬢さんです。祭りの日を、私も楽しみにしております。それにしても今まで気付かなかったのが不思議です。顔立ちはコンラート殿によく似ておいでですね。髪も」
「そうかね。娘はよく妻に似ていると言われるのだが……。並んでいると、立ち振る舞いから何から、本当に雰囲気がそっくりなのだよ」
いつも見るヴォルフ様の顔じゃないな、などと思いながら、リィナはコンラートと話すヴォルフの横顔を見る。柔らかい表情をしているが、それでもまじめな大人の顔。
いつもとは違う精悍で礼儀正しいヴォルフの姿が、リィナにはとてもかっこよく見えた。コンラートと話すヴォルフは以前あこがれていたヴォルフ像そのものだったからだ。
けれど、ほんの少しだけ、やっぱり一緒にいて話をするのなら、いつもの少し意地悪なヴォルフ様がいいな、と思う。かっこよすぎるヴォルフは少し緊張するから。一緒にいるならすぐにからかってくる、優しくて頼りになるけど、ちょっと意地悪なヴォルフの方が好きだな、なんて、誰にも言えないことをこっそり思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます