第8話 舞いの練習4

「あら、仲が良いのね」

 笑いながら手を振るラーニャに、リィナは駆けよって抱きつく。

「私、絶対にラーニャさんみたいな女性になります!」

 打倒ヴォルフとみなぎる闘志は、ラーニャの豊かな胸の感触に触れて、あっけなくしぼみかける。

 このボリュームが本当に自分の胸に付くのか。……やっぱり、無理かも。

 真剣な顔をして悩むリィナの頭の上で、くすりとラーニャが笑った。

「ヴォルフがまた何か言ったのね」

 その言葉に「そうだ、ラーニャさんに叱ってもらおう!」とひらめき、リィナは、ラーニャにくっついたまま大きくうなずいて、ゆっくりやってくるヴォルフを振り返った。

「あなたの大事な姫巫女の機嫌を損ねてどうするの。ダメでしょ、からかっちゃ」

 ラーニャがからかうようにヴォルフに声をかける。その隣で、リィナは力強く頷く。

「まさか! 俺のかわいい姫巫女だからな。がんばって奮起して美しい女性に成長してもらわないといけないだろ? ちょっと発破をかけただけさ」

 絶対嘘だ!!

 大げさな身振りで、心外だというようにヴォルフが笑う。

「だそうだけど、許してあげる?」

 笑いながらリィナを見つめるラーニャに、リィナは拳を作って、力を込めて断言した。

「絶対に! 許しません!」

 笑うヴォルフとラーニャを見ながら、ふんっとラーニャにしがみついて怒っているフリを通した。

 そして、自分を抜きに話を始めたラーニャとヴォルフの様子をちらっと見る。

 いつまでもこんな態度をとってヴォルフは怒ってないだろうか、ラーニャあきれてないだろうかと、こみ上げた不安は、目が合うとふっと表情を緩めてくれたヴォルフの様子と、笑顔を返してくれたラーニャの表情に、あっという間に消え去る。

 リィナの心の中は、あっという間に、うれしさと幸せであふれる。

 何の幸運だか、自分は姫巫女に選ばれた。たぶん、髪の色と瞳の色が伝説の姫巫女と同じ事も由来にあるのだろう。

 ラーニャも、ヴォルフもこの村では有名すぎて、知り合えるような人ではなかった。それが、こんな風に親しく関わってもらえる。ヴォルフはいつもからかってばかりだけどでも実は結構気を使ってくれてたりもするし、ラーニャはとにかく優しい。

 これが幸運でなくてなんだというのか。

 そんな二人にあきれられないように、舞いも必死で練習した。帰ってからも、時間があれば練習していた。最初はリィナに姫巫女がつとまるのかと心配そうにしていた父と母も、最近は笑って応援してくれるようになっていたし、練習を見てくれるようにもなって助かっている。あっという間の半月だった。


 初めて舞う、二人での通し稽古。

 今まで通しで二人で舞ったことはない。所々合わせる物の、とにかく、舞いの流れを覚えるのが先立ったためだ。

 一度簡単に合わせてから、まずは舞台の雰囲気をつかもうと集会所の中に仮組みした舞台へ、ヴォルフとリィナは上がった。

「さて、俺の姫巫女? 初めての共同作業だな」

「またそんな変な言い方して」

 にやにやと笑うヴォルフに、初めて舞台で合わせる緊張が解ける。

 いつも力が入りすぎているときに、ヴォルフはこうやってからかってくる。それに気づいたのはつい最近の事だ。

 リィナはヴォルフを見上げて、へにゃっと笑った。それを見てヴォルフが優しい顔をして、その頬に触れる。

 大きな手は、ごつごつしているのに、とても優しい感触がするから不思議だ。

 その時、パン! と、音がした。ラーニャの手をたたく音だ。周りの準備も整ったらしい。

「さあ、始めようか」

 ヴォルフの声に、リィナは気を引き締めた。

 中央に姫巫女が立ち、隣に控えるように剣士が片膝をついて構える。

 ドン、と太鼓が鳴った。

 うつむいていた顔を上げ姫巫女は手首につけた鈴をシャンと鳴らし、剣士は片膝をついたまま剣を捧げるように両手を差し出し掲げる。

 笛の音が流れ太鼓の音が響き、それを合図に二人は舞を合わせてゆく。

 初めて合わせる緊張にはじめはぎくしゃくしていたリィナも、ヴォルフの舞に引っ張られるように動きを導かれ、思わぬ踊りやすさに、一人で練習するよりもずっと楽に、そして楽しく舞えた。

 合わせ終わると、ほっと力が抜ける。美しく繊細な笛の音と、太鼓の低く重厚な音の緊張感から解き放たれたような軽さと、そして物足りないような脱力感。

 間違わずに、そして思ったよりもうまく合わせられたことが嬉しかった。

 奏者二人も満足そうにうなずき、ラーニャは笑顔でリィナを抱きしめた。

「初めて合わせたとは思えないぐらい見事だったわ! いくつか気になるところはあったけれど、追々直していけば十分間に合うわね。これからもっとうまくなることを思えば、祭りが楽しみだわ! これだけ上手くやられると去年まで姫巫女をさせてもらってた私としては悔しいくらいだけど、今回は私が教えたのよって自慢することにするわ」

 興奮混じりのラーニャの言葉に、リィナは自分が思っていた以上にうまく舞えてていたことを知る。

「ラーニャさんにそう言ってもらえるのが、一番嬉しいです……!」

 安堵とうれしさで胸がいっぱいになっていると、ラーニャがいたずらっぽく笑いかける。

「あら? 姫巫女が一番気にするのは、剣士の言葉じゃなくって? ねえ、ヴォルフ?」

 ラーニャの視線に合わせて、リィナも思わず隣のヴォルフを見上げる形になった。

 ラーニャがこんなに褒めてくれたと言うことは、自信を持って良いはずだ。それに、自分でもとても良い感じに合わせられたと感じた。これならからかえないだろうと、胸をはってヴォルフを見た。

 そこには、思った以上に穏やかな表情のヴォルフがいて、心臓が大きく胸を打った。

 もしかして、ヴォルフ様も、私が感じたように、踊ってくれたのかな。

 ヴォルフの表情があまりに優しくて、急に緊張感がこみ上げてくる。どきどきしながら返事を待つリィナの前で、ヴォルフが鷹揚にうなずいた。

「そうだな。今年の姫巫女は、色気はちょっと足りないが、元気もいいし新鮮味があって良いんじゃないか?」

 言い終わったヴォルフが、にやりと笑う。

 さっきまでの暖かな表情はどこへ行ったのか。

 そしてとってつけたように「かわいいしな」と、付け加えた。

 やっぱり意地悪!! やっぱり楽しんでるだけかも!! 緊張ほぐすとか関係なかったかも!!

「ぜったい、それ、褒めてないです!!」

「ヴォルフ! また、からかって!」

 女性二人からの攻撃をヴォルフは笑って躱した。


 からかう素振りをしたヴォルフだが、実際は彼自身驚くほど彼女との舞は踊りやすかった。ラーニャの舞は美しくそつがないが、それとは全く違った。まだつたないリィナの踊りに魅せられるようにヴォルフ自身の踊りは触発された。剣士の舞いは、姫巫女を愛し、護る舞いだ。その意味が全身に染み渡るような感覚がした。リィナとの舞いは、姫巫女と剣士の想いを伝えるようなそんな感覚に陥る。愛しい者を守れ、想いよとどけ、この幸せを次へと伝えてゆけ……とばかりに。

 つたなく、かわいらしく元気に軽やかに舞うリィナ。それはヴォルフの中の愛しさと、庇護欲とが刺激された。

 リィナの年なら、早い子は結婚している。だが、年の割に幼さが際だつリィナでは、ヴォルフとしてはリィナを女性として意識するのは難しい。それでなくても、ヴォルフは話の分かる落ちついた女性との付き合いを好んでいた。リィナへの感情は家族的な親しみだ。

 恋愛に関してはそれなりに経験のあるヴォルフの目から見る限り、リィナ自身にヴォルフに対して持っている感情に恋愛めいた物を感じない。向けられるのは純粋でまっすぐな好意だけだ。

 恋だ愛だと見返りを求めてこない好意は心地よい。ヴォルフとしても勘違いされる心配なく好意を向けられる気安さもある。かわいくて、つい構いたくなる。

 妹がいればこんな感じなのだろうか。きっと自分は、リィナに何かあれば心底守ってやりたいと思うだろう。知り合って間もないというのに、そう思うぐらいにリィナを気に入っていた。

 リィナは人の心に入り込むのがうまい。自然に人をなごませる。

 首都エドヴァルドで大半を暮らすヴォルフには、グレンタールの人間がいかに善良であるかを知っている。その中でも、リィナは極めて善良な部類と言って良いだろう。

 長い付き合いでヴォルフは気付いていたのだが、ラーニャは当初、三百年祭という区切りの年に姫巫女を外されたことを悔しがっていた。それを表に出すような女ではないのだが、それでも新しい姫巫女と会うときは、かなり歯がゆい思いをしたはずだ。

 だが、そのラーニャでさえも今ではすっかりリィナの姉気分だ。

 初めの顔合わせの後、ほっとしたような笑顔で「あの子、かわいいわね」と呟いたラーニャにヴォルフもまた安堵した。ラーニャは、自分の悪意を嫌悪するところがある。ラーニャのそうした性質をヴォルフは尊敬し、好んでいたが、時にそれはとても辛そうにも見えた。それゆえ彼女にとって新しい姫巫女が、優しい姉のように振る舞える相手であったことは幸運だったと思う。

 ラーニャのそうした新しい姫巫女をかわいがりたいという気持ちと、リィナのラーニャに憧れ尊敬する気持ちは、相乗効果で二人を近づけたように見える。

 今となっては、祭りが終わっても二人の関係は近しいまま変わらないだろうと思えるほどに信頼関係が出来上がっているように思えた。

 意外と侮れないちびちゃんだよなあ?

 ヴォルフは楽しげにリィナを見つめる。

 俺の姫巫女は、一緒にいるだけで何気なく気を許してしまう空気を纏ってる。

 それは、なぜか我が事のように誇らしく思えた。

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