第6話 舞いの練習2

 からかうような青灰色の瞳がリィナを見下ろしていた。

「さて。ラーニャの評価がどれほどの物か、お手並み拝見といこうか、おちびちゃん」

「明日はヴォルフ様が驚くぐらい、完璧に踊っちゃいますからね!」

 決意をみなぎらしての応えに、ヴォルフが目を細めて「ほう?」と笑みを浮かべてくる。

 あ、なんか、火を付けちゃったっぽい。……大見得切るんじゃなかった。

 でも、意地悪されそうな感じ満々なのに、ヴォルフの笑みに目を奪われて、心臓がどくんとはねる。

 舞の練習からの帰り道、偶然見かけたヴォルフに、明日からの合わせ練習の前にと挨拶をしにきただけなのに。話が出来るのはうれしいけど、もう少し普通に優しく……。

 優しいヴォルフを想像して、なんかそれも違う、なんて思って、……だってそれだと今以上に緊張しちゃうし、十分に今だって優しいし……とまで考えたところで、こらえきれず、リィナは目をそらした。

 悔しいけど、ヴォルフは優しい。意地悪だけど。

 ずっと憧れてたこの人と踊るんだという緊張がじわじわと這い上がってくる。

 だめ、ほんと、恥ずかしいかもしれない。

 舞の中には、剣士に抱き寄せられるようにして体を支え合いながら舞う場面が所々にあるのだ。

 そんなことまで不意に思いだしたせいで、緊張は高まるばかりで、力んだままちらりとヴォルフに目をやる。

「楽しみだな」

 緊張しているリィナの心情など、把握済みなのだろう。ニヤニヤとしたからかいを含んだ笑みに、ギリギリと歯を食いしばる。

 優しいなんて、撤回! ヴォルフ様の意地悪なんかに負けるもんか。

 ぎっとにらみつけると、「くっ」と、いつものように吹き出された。

「ほんっと、ちびちゃんは可愛いな」

 ぐちゃぐしゃっと頭を撫でられる。最近、ヴォルフはリィナの髪をぐしゃぐしゃにするのにはまっているらしく、わざとかき混ぜるように撫でてくる。

「またぐしゃぐしゃにしようとしてる……!!」

 やめてって何度も言ってるのに。

「ちびちゃんの髪はさらさらだから、簡単に直るだろ?」

 だから問題ないと、今度は両手で髪をもつれさせようとしてくる手を、悲鳴を上げながら掴んで阻止する。

 うわ、手、おっきい。

 自分の手より二回りぐらい大きく見える手は、父親の物よりも大きくて、そして骨ばってて堅い。

 思わずまじまじと掴んだ手を見ていると、今度はヴォルフがリィナの手を取る。

「さすが、ちびちゃんの手は小さいな……握りつぶさないように、気をつけないとな」

 後半、真顔でぼそりとつぶやかれ、慌てて自分の手を取り返す。

「ヴォルフ様、なんかこわい、その悪そうな顔、こわいです!」

 途端に声をあげて笑われた。

 またからかわれた……!!

「~~明日はよろしくお願いします!」

 リィナは逃げるように立ち去った。

 ヴォルフ様なんて、ヴォルフ様なんて………かっこよすぎてむかつく―!


 練習を始めて半月、明日からついにヴォルフと初めての通し稽古をすることが決まった。

 ラーニャからもようやく及第点をもらえるようになり「こっから完成度を上げていくのよ?」と、迫力のある美女の笑顔をもらっているのだが、責任がやたらと重い。

 ラーニャとは出会って間もないとは思えないほど急速に親しくなっていた。練習以外でも一緒に過ごす日も増え、姉のように慕えば、彼女も応えて付き合ってくれた。

 舞の方はといえば、まだ本格的には舞を合わせることはしていない物の、姫巫女と剣士の動きが密接に絡む部分では、ヴォルフからも舞を教わったりもしていたため、彼とも自然と一緒にいる機会が増えている。

 そして相変わらず、ヴォルフはリィナをからかうことを楽しんでいるようなのが、目下の悩みだ。

 リィナが怒り出すのを今か今かと待ち構えているのが許しがたい。しかも、緊張している時ほどそんなことをしてくるのだから、タチが悪い。

 緊張ほぐしてくれるのはうれしいけど、もっと優しさを前面に押し出してくれればいいのに。

 初めての通し稽古に、緊張しているのを見抜かれている。

 恥ずかしいような、うれしいような、悔しいような。

 失敗をしたら、しっかり叱られるのか、それとも全力でからかわれるのかはまだ分からない。なんとしてでもちゃんと舞を踊りきらなければならないというのが、今リィナに突きつけられている課題だ。


 頭を過ぎるのは、先日の部分練習。

 あそこ、うまくできるかな……。

 ヴォルフの腕の中にすっぽりはまってしまうところがある。わかっていても、体がこわばるのだ。

 ヴォルフと触れ合う舞の練習に、真っ赤になってからかわれ続けたことは、記憶に新しい。


「抱き寄せただけでこんなに真っ赤になる初々しい姫巫女とは、俺も役得だな」

 などと、練習の帰り、ずっとその話をされてた。あの日のヴォルフはかつてないほどに意地悪だった。

「あんな近くにヴォルフ様の顔があると、誰だって緊張します!」

 と、うっかり叫んだ自分は悪くないと今でも思う。なのにヴォルフは吹き出した。

「そこまで直接的にはっきりと、そんな事を言われたのは初めてだな。よし、そうだな。ちびちゃん、もう少し俺に慣れようか?」

 その言葉に思わずリィナは体を引いた。

「ヴォルフ様が言うと、なんだかいかがわしいです」

「失礼だな。ちょっと抱きしめる練習をするだけじゃないか」

「そ、それをいかがわしいと言うんじゃないかと……うひゃあ!」

 動揺している間にリィナの腕が引っ張られ、そのまま逞しい腕に捕まえられる。頭と肩が、コツンとヴォルフの胸元に当たった。そこへ楽しげな声が頭の上から降ってきた。

「ふむ、やっぱり、ちびちゃんは小さいな。ついでに色気もないじゃないか。もう少しかわいい叫び声を聞きたかったんだがなぁ? 俺の姫巫女?」

 にやにやと笑うヴォルフに背中から抱きしめられ……というより、捕まえられた格好で、リィナは腕から逃れようと慌てた。それをヴォルフが押さえると、わしゃわしゃと髪を撫でる。

「そんなに嫌がるなよ、ちびすけ」

 どう見ても、子供を捕まえてからかっている大人のようで、甘い感情はどこにも見えない。

 ところが、そうも行かないのはリィナである。いくらいつもからかう意地悪な人という認識とはいえ、仮にもあこがれていたヴォルフの腕が体に巻き付いているのである。骨張った手は無骨で節が太く、こうしてみると腕は端から見るよりも太く、鍛えられて無駄がないのがわかる。自分とは違うその腕に、恥ずかしさも増した。

「照れちゃうから、いやですー!」

「それを克服するためにやってるんだろうが」

 声が完全におもしろがっているのを感じ、リィナの逃れようとする動きにも力が入る。

「く……はっ……えいっ」

 腕をどかせようとしたり、すり抜けようと座ろうとしてみたり、体をよじってみたりするが、その動きに合わせたようにヴォルフがリィナを捕まえる。普段から鍛えているヴォルフに、リィナの中途半端な本気など通用するはずもなく、軽くあしらわれてゆく。そこへ追い打ちをかけるようにヴォルフの高笑いが響いた。

「どうした、そんな動きじゃ逃げられないぞ?」

「絶対に、逃げて見せます!」

 目的が変わってしまっていたことは、最後まで気付かなかった。




 そのとき、それを呆れた様子でラーニャ達は見ていた。

「まったく、子供みたいな事をして……」

 リィナを楽しげにからかう幼なじみの男に苦笑いしていると、笛の奏者が隣に並んで楽しげに笑う。

「ヴォルフ殿が、子供好きとは知りませんでした」

 色気も何もないじゃれ合いに、彼がそう思うのも無理もない。ラーニャはクスッと笑う。

「失礼ね、リィナは子供じゃないわよ?」

「ヴォルフ殿からしたら、似たような物でしょう」

 奏者は笑った。

 だが、リィナは確かに子供ではない。無邪気に笑う姿は子供のようにしか見えないが、もう十五才の成人した立派な大人だ。少ないとはいえ、この年で結婚している女性は決して珍しくはないのだから。そんな年齢だ。でなければ姫巫女役になど選ばれない。……恋物語の主役には。

 確かに二人の関係に色めいた物は何も感じられないが、ラーニャは一抹の寂しさのような物を感じていた。リィナのヴォルフへの態度はラーニャに向ける物と大差なく、またヴォルフの態度も、確かに子供に向けているような物に見える。

 けれど、何か違って見えるのは、ヴォルフに思いを寄せる女の勘か、それとも不安か。

 出会って間もないのに、二人の距離はあっという間に近くなった。ヴォルフのリィナに対するかわいがり方が普通ではない。普段のヴォルフではあり得ないほどにリィナを気に入っている。何気ない二人のやりとりの中のそれが、ラーニャには見えてしまうのだ。

 いっそリィナを嫌えたら、こんな気持ちにならずにすんだのだろうか。

 そう考えて、ラーニャは笑みを深くする。

 出来ないと思った。リィナはとてもかわいらしい少女だ。心からの信頼とあこがれを笑顔にのせてくるあの少女をどうして嫌えるというのか。

 結局は、私もヴォルフと同じなのかしらね。

 出会って間もないのに、どうしようもなくリィナがかわいいのは、ラーニャもまた同じだった。

 けれど、男と女では、抱く思いも多かれ少なかれ変わってくる。

 その意味を考えながら、じゃれ合う二人の攻防を見つめる。

 そしてどこか寂しく思ってしまう気持ちを抑え込み、ラーニャは笑顔でじゃれ合う二人を止めに入った。




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