第5話 日常
「舞の練習はうまくいってる?」
ラウラの心配そうな声色に、リィナはまっていたとばかりに顔を輝かせた。
母のラウラがリィナが姫巫女役になったのを未だに心配しているのは知っている。だから聞かれた時には、たくさん楽しかった話を聞かせようと思っていたのだ。
今日は父の帰りが遅い日で、それまでは母と二人だ。
家は両親とリィナの三人暮らし。リィナは村で働いているが、両親は元々首都エドヴァルド出身の神殿の守人ということもあり、このグレンタールでもなにやら高い地位に就いているらしく、たまに泊まり込みの時がある。
普段は舞について心配そうにしててもそれを口にすることはないのに、父がいないと、不安で口が滑ってしまうのかもしれない。
もう十五にもなって大人の仲間入りをしているというのに、いつまでも子供扱いなんだから。
けれど、その不満を口にすることなく、リィナは楽しい気持ちのまま、心配しなくてもいいよと、満面の笑顔を浮かべる。
「大変だけど、楽しいよ」
話したくてたまらない、そんな娘の様子にラウラがうなずきながら先を促す。
リィナはラーニャがどんなに優しいかを、ご飯食べる手を止めて話し始めた。厳しいけどわかりやすくて、いつも気を使ってくれること、美人だけど気取りすぎたりもしてなくて憧れること、話したいことがたくさんあって、止まらない。
「今日はね、だいぶ覚えたって褒めてくれたのよ。もうすぐ剣士の舞とも合わせるって。 剣士の舞といえば今日もヴォルフ様が顔を出してらしてね、舞を合わせる日の約束もしたの。ヴォルフ様、背が高いし、大人って感じだし、私と合わせて、舞がちぐはぐにならないかなぁ。あのね、ヴォルフ様ってね、近くで見ると思ったより大きいのよ。お父さんよりだいぶ大きいんじゃないかなぁ」
食事のことなどすっかり忘れたかのようにしゃべり続ける娘の姿に、ラウラは思わずというように、頬を緩めた。
あ、ちょっとは安心してくれたかな。
ようやくリィナもほっとする。
「でね、ヴォルフ様ってばひどいのよ。私の事、いっつも子供だってからかって。前に祭りで見たときは、本当に優しそうに見えたのに!」
リィナの話す内容は、舞の練習のことよりもヴォルフとラーニャの話ばかりだ。安心させようさせていたことなどすっかり忘れているのだろう。文句を言う時でさえ、いかにも楽しそうだ。
それをクスクスと笑いながら聞いていたラウラは、ふと、目の端に映った「それ」を見て、わずかに笑顔が固まった。しかしすぐにそれをリィナに気付かれないように隠すと、彼女はリィナの話を聞き終えた後、ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。
「でもねぇ……。やっぱりお母さん、心配だわ。リィナが舞を奉納するだなんて、しかも三百年祭よ?」
「もう! お母さんったら、その話はもうおしまいだって言ったじゃない」
リィナが口をとがらせた。
姫巫女役に決まったとき、両親は二人してリィナが姫巫女役を受けることに反対をした。
グレンタール神殿で守人をしている両親は、この祭りの時期は特に忙しそうにしているのだが、今年は三百年祭とあって忙しさもひとしおだった。それ故に大変さを心得ているのだろう。
最終的には、役を受けた以上、もう反対をしないことを家族で決めた。けれど、ラウラは納得していないのだ。
「もうお受けしたんだし練習も始まったんだから、応援してよね」
頬をふくらませて言うリィナに、ラウラは「そうね」と笑顔を浮かべたのだが、その顔はわずかに浮かない。
「お母さん、心配しすぎ」
ラウラはもう一度「そうね」と笑った。
そしてリィナが目を背けた先で、ラウラはそっと目の端に守石をとらえた。
時渡りの神殿でも祀られている、守石と呼ばれる水晶。
ある人から、ラウラがもらい受けた、大切なものだ。
ラウラは、リィナが舞の練習の話をしている間にそれが淡く光のを見た。守人として神殿に仕えるラウラは、その意味を知っていた。
大丈夫……。大丈夫。あの程度なら、きっと……。
リィナは、母親が何を恐れているのかを、まだ知らなかった。
姫巫女役が決まって、リィナは毎日の仕事も今までとは、ほんの少し違うことをやらせてもらっている。
「どうだい、舞の方は」
店主のアヴェルタに声をかけられ、リィナは手を止めた。
今日は午前中まで仕事で、午後からは店番をしながら祭り用のレースを編んでいた。この後もう少ししたら舞の練習のために早く抜けることになっている。
最近、アヴェルタと話すのはいつも祭りの話ばかりだ。
「とっても楽しいです!」
にこにこと話し始めたリィナに、アヴェルタもうれしそうに、うんうんと頷く。
「そうかい。リィナは、さぞかしかわいい姫巫女になるだろうねぇ。ちゃんと衣装に使う刺繍もしているんだろうね。今編んでいるのは、ベールに使うレースかい?」
「はい、見てもらえますか?」
リィナは得意げに、姫巫女の舞に使うベールをアヴェルタに見せた。
「へぇ、良いじゃないか。リィナらしい、かわいい花のモチーフだね。これなら、姫巫女様に献上しても恥ずかしくない仕上がりになりそうだ。祭りが今から楽しみになるよ」
「がんばります!」
満面の笑顔でうなずくリィナを、アヴェルタが目を細めて見つめる。
リィナは店の看板娘だ。染物屋をしているアヴェルタの店では、神殿でしか使うことを許されない紫泉染(しせんぞめ)の布を作っている。村の産業の一つだ。その中でもこの店は、最もその技術を評価され、最も神殿からも信頼の厚い染物屋として注文を受けていた。
染め物をするのは、アヴェルタの夫のカルストだが、職人肌の彼は店に顔を出すことはほとんどない。店を一手に引き受けるのは、それらを使って針子をするアヴェルタだ。そのアヴェルタと共に店の一角で、リィナが仕事を始めて三年。
神殿の守人を両親に持つ彼女が、まさか村の中で仕事を持ちたいと思っていると知らなくて、声をかけられたときはアヴェルタも驚いた物だった。
神殿の守人は、神殿での雑事から政まで、仕事内容は多岐にわたる。その中でもリィナの両親は地位が高い事が知られていた。その割に気さくで人当たりが良く、住民からの信頼も厚い。当然リィナも神殿の守人になるだろうと、親しい人は誰もが思っていたのだ。守人は、コルネア国内のどこへ行っても必要とされるため、あこがれの仕事でもあるのだから。
なのにリィナは守人になろうとせず、アヴェルタの店で働いている。両親が反対したからだと聞いていたが、リィナ自身も村の中で仕事を持つことを望んでいたらしい。
なぜ染物屋にしたのかと聞くと、「手に職をつけたかったの」と、リィナは言っていた。が、当時十二才の子供が安定した守人よりも針子を選ぶからには、だいぶ幼い頃から両親がそうし向けていたのではないかとアヴェルタは思っている。あの両親の元で育って守人に興味がないのは、信頼する大人の入れ知恵なしにはあり得ない。
こんな田舎とはいえ仮にも国内で二番目に大きな神殿である。子どもを入れたくなくなるような権力争いや、黒い事情もそれなりにあるのだろうと、勝手に想像した物だった。
ともあれ、それが今ではアヴェルタの技術をしっかり引き継いで、立派なお針子として良い仕事をするようになっている。
リィナの刺繍もレースも繊細でとてもかわいらしく、若い女性から特に好まれていた。
「さて、そろそろ練習の方に行くかい?」
「はい、きりの良いところまで来たので、上がらせてもらいます」
リィナは言うと、裏の染め物小屋の方にも足を向ける。
「カルストさん、お疲れ様でした!」
仕事をしているカルストに手を振ると、無愛想な染物屋の主人はリィナを見て優しく目を細めてうなずく。リィナはペコリと頭を下げると、アヴェルタにも「お疲れ様でした」と頭を下げ、店を出た。
「がんばっておいで」
手を振る店主に、リィナも手を振って練習場へ向かった。
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