第4話 舞いの練習

 グレンタールは首都エドヴァルドから離れた山間の小さな村だが、時渡りの祭りは決して小さな祭りではない。

 グレンタールはエドヴァルドから港町カルコシュカをつなぐ主要街道の中継宿泊地である。更に山間部の温泉の出る湯治場としての需要もあり、国の重要拠点の一つとなる。

 なによりグレンタールにある時渡りの神殿は他の神殿とは一線を画していた。

 時渡りの神殿の持つ力は王家を支える最も大きな勢力であり、また王家の婚姻の際には神殿の姫巫女を迎えることもあるほど、王家そして国に対する影響力がある。

 その時渡りの神殿の聖地は首都エドヴァルドにある。そしてその次に大きな神殿はこの小さな村、グレンタールにあるのだ。

 時渡りの神殿の歴史は長い。その歴史の中で、三百年前のグレンタールの発祥こそが神殿の大きな転換期でもあった。

 時渡りの神殿はその名の通り、時を渡る力を持つ神を奉っている。現在ではその力を持つ者はいないが、それでも過去や未来の時の流れを読む者が輩出され、巫女として存在している。数百年前には事実、その身を過去へ、未来へと時を渡らせていた巫女達もいたという。だが、その力は途絶えていた。

 ところが三百年前に、その身でもって時を渡ることの出来る姫巫女が再来した。彼女は彼女を守る剣士と共にこの地に移り住み、神殿を建て、グレンタールという村そのものを一から興したのだ。

 その大きな力を持った姫巫女により、村は小さいながらも、発展していった。

 以降、神殿の巫女は必ず一度グレンタールの神殿での修行を終えなければならず、グレンタールにある神殿の影響力は非常に大きな物となった。

 グレンタールは山間の小さな村であるが、神殿からの加護の大きい特殊な村でもあった。


 今年、姫巫女と剣士によって作られたグレンタールは、三百年目を迎える。




「そろそろ今日は終わりにしたらどうだ?」

 突然かけられた声に、リィナは、驚いてびくんと身体が震えた。

 ヴォルフがまた舞の練習を見に顔を見せに来たらしい。

 まだ剣士は練習に入らないのだから来る必要はないのに、時折きてはリィナをからかってゆくのだ。

 会えるのはうれしいけど、からかわれるのは納得いかない。もっと、こう、憧れの剣士からはやさしくされたいっていうか……。

 振り返ってヴォルフを見ると、にやりと笑いかけられる。ようやく舞の流れを掴めはじめたが、まだまだラーニャには及ばない。

 いつからそこにいたんだろう……。また、からかわれるんじゃ……。

 むぅっと悩んでいるうちに、ふっと目の前に影が差した。顔を上げると、思ったよりも近くにヴォルフの顔があった。

「うひゃっ」

 思わず後ろに下がると、「色気のない声だな!」と、声をあげて笑われた。

 ぎっとにらみつけると、ヴォルフがおもしろそうに見下ろしてくる。

 目を背けたら負けだ。

「ヴォルフ、来てたの」

 楽しげな声が二人の微妙な緊張を破る。

 ラーニャの笑顔は今日もあでやかだ。

 今日も美男美女。

 並んだ二人の姿は目の保養である。睨むのも忘れつい見惚れてしまうほどだ。けれど割り込みにくい空気かと言えば、そうでもない。むしろヴォルフは今にもちょっかいをかけんとばかりに、からかいを含んだ表情でリィナを見ているのだから。

「……こんにちは」

「よお、ちびすけ。頑張ってるようだな」

 リィナが警戒をあらわに挨拶をすれば、ヴォルフはそれさえも楽しんで、更にからかってくる。

 リィナが嫌がるのをわかっていてわざと「ちびすけ」と呼んでいるのだ。

 言い返したい。でも更にからかわれそうな気がして身を引けば、それを見たヴォルフが更に意地の悪そうな笑顔を浮かべた。

 リィナはさっとラーニャの後ろに隠れた。ラーニャは笑いながらヴォルフから庇ってくれた。

 いつもからかわれているけど、まだちょっと慣れない。緊張してしまう。遠目でしか見れないあこがれていた人が、すぐ側にいて話も出来るというのは、何とも不思議な気分だった。

 ヴォルフの言葉通り、ラーニャの指導は厳しかった。けれど、練習は大変さよりも楽しさのほうが大きい。

 だって舞うのは楽しい。

 ラーニャと練習するのも楽しいし、合間合間に「ここで剣士が」と今はまだ隣にいないヴォルフがいるのを想像しながら舞うのも楽しい。

 ラーニャとヴォルフの舞は記憶に強く残っているから、想像するのはたやすかった。

 ヴォルフは姫巫女と舞を合わせるようになるまでは祭りの準備を中心にしているらしく、練習以外にやることがたくさんあるらしい。けれど、リィナのこともだいぶ気にかけてくれているらしく、時間があると、たびたびのぞきに来てくれる。

 舞の心配をしているのか、からかいにきているのかは、非常に悩ましいところではあったが。


「俺が入ってきたのに気づかないとは、ずいぶん気合いが入っているようだな」

「そうね。思った以上にこの子、勘が良いのよ。おもしろくてつい力が入っちゃったわ。予定より進んでいるし、そうね、ちょうど良い区切りね。ヴォルフ、楽しみにしておくといいわ。早くに舞を合わせることが出来そうよ」

 ラーニャの言葉にヴォルフがにやりと笑った。

「それは楽しみだな。おまえのお墨付きとは珍しい」

「あら、どういう意味かしら」

 にやにやとからかうヴォルフに、ラーニャが心外そうに眉をひそめた。

「おまえは厳しいからな……おまえが褒めるのを初めて聞いた気がする」

「あら、人を鬼みたいに言わないでくれる? でも……そうね。私、この子が気に入ったもの。可愛いわ」

 ラーニャが後ろに縋りついていたリィナを引き寄せて抱きしめてきたかと思うと、頭をなでた。

 ラーニャはいつも優しい。けれどここまで親愛を込められたのは初めてで、勝手に顔が熱くなってきた。

 ヴォルフが、おやと目を見張る。

 挙動不審になりながら、ヴォルフとラーニャに交互で目を走らせると、にっこりと笑ったラーニャと目と出会った。

 うっわぁ……。

 間近で見る美女の笑顔は非常に美しかった。

 しかもかわいいと言って抱きしめられて。リィナの顔が更に真っ赤に染まる。

「私も、ラーニャさんが大好きです!!」

 興奮気味に叫ぶと、きゅぅっと抱きしめ返し、練習時に積み重なった好意を力一杯に示した。

「やだ、リィナったら」

 楽しそうに笑うラーニャの声がして、更に重なるようにクックとヴォルフが低い笑いを漏らした。

「愛の告白は結構だが……せっかく目の前にいい男がいるのに女同士とは不毛なことだな」

 笑いを納め肩をすくめると、いかにも嘆かわしいとでもいうようなヴォルフの様子に、リィナは猛然として言い返す。

「いいえ、ラーニャさんは私たちの間ではあこがれなんです。こうして一緒に過ごして本当に素敵な人だって実感したんです。だから……」

 顔を真っ赤にしたまま力説を始めたリィナに、ヴォルフがついにこらえきれなくなった様子で笑い出した。

「そう真に受けるなよ、おちびちゃん。……もっとも真に受けて不毛な女同士をやめて、有意義さを求めて俺に抱きついてくれても良いけどな」

 それはそれで役得だ。

 そう言ってヴォルフが両手を広げる。「どうだ?」とのぞき込まれ、開かれた両手の間に挟まれ、頭がパンクしそうになった。

 え?! ここ、なんて天国?! 美男美女が両脇に! 近い、顔が近いです、ヴルフ様!

 目の前にはのぞき込んでくる憧れの男性(意地悪だけど)。両脇は逞しい腕が広げられて逃げ場なし。後ずさればラーニャの身体に当たって阻まれた。

 絶対からかわれてる!!

「ら、ラーニャさん……!!」

 からかわれているとわかるのに、うまく応えることができなくて、必死にぶち当たったラーニャにしがみつくことでしか対応できない。

「あら、今まで特定の相手を作らなかったと思えば……リィナはよほどあなたの好みのようね?」

 ラーニャがクスクスと笑いながらリィナを抱きしめてヴォルフをからかう。

 ラーニャさん、思ってもみないことを言わないで! それ、絶対私にとばっちりが来るやつ!

 ふむ……、とヴォルフがリィナをじっと見つめた。

 真剣な顔であるほどことさらにあやしい。あやしいけれど、かっこいいのが悔しい。

「な、なんですか……っ」

 絶対、からかわれる気がする。気がするけど、何を言われるのか想像もつかない。

 絶対、言い返してやる。

 気合いを入れてにらみ返すが、目力のある精悍な男前と見つめ合っていると言うだけで、神経がごりごりと削られる。

 もう耐えられないと目をそらしかけたとき。

「そうだな……そのあたりがもう少し成長していれば、何とか範囲内なんだがな……」

 と、眉間に皺を入れながらしみじみと胸を指さされた。

「ヴォルフ様!!」

 思わず悲鳴を上げるような声が飛び出す。さっきより顔が赤くなっているのが分かる。

 リィナの反応に、ヴォルフがこらえきれないというように声をあげて笑い出した。

「ちびちゃんは可愛いな! 二、三年後を楽しみにしているから、気合いを入れて成長してくれよ? おちびちゃん」

「ちびって言わないで下さい! ……胸も指さないで!!」

 リィナが怒鳴り返すとヴォルフは声をあげて笑っている。しかもしばらく止まりそうにない勢いだ。

 ほんとにこの人意地悪だ!!

 悔しくて、ぎゅうぎゅうとラーニャにしがみつけば、

「そんなところはすぐ大きくなるわ、気にしなくても大丈夫よ」

 と、ラーニャまで笑いを含んだ声で言う。

「ラーニャさんまで……! 気にしてるのにぃ……!」

 リィナのぼやきに、年長者の二人がさらに声を合わせて笑う。

「ひどいです……」

 ラーニャにしがみついたまま二人を交互に下からにらみつける。

 でも、意地悪だけれど、大好きだ。……しかも、すごく楽しい。悔しい。

 むくれながら、リィナは心の中で、そっとつぶやいた。


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