第3話 剣士との出会い
緊張してどきどきする胸を押さえながら集会所をのぞけば 舞の音合わせをしている奏者たちの顔が見えた。そして、彼らと話をしていると美女も。
「こんにちは! リィナです、今日からよろしくお願いします!」
見知った顔に会釈し、舞の関係者の集まるもとへと駆け寄る。
その女性が立ち話をやめて振り返った。
「早かったわね、あなたがリィナね。私はラーニャよ。よろしくね」
歩み寄ってきてにっこりと笑うその姿にみとれ、一瞬ぼうっとなる。
なんて綺麗な人だろうと思った。遠くで見るよりも、ずっと綺麗。華やかな……大輪の花を思わせる笑顔。
それはずっとあこがれていた人だった。
今日から、この人に習うんだ。
どきどきしているとラーニャがが笑顔のまま首をかしげる。
そうだ、何か言わなきゃ……!
ようやく我に返ったリィナは慌てて頭を下げた。
「はい! よろしくお願いします!」
「クッ……」
声を張り上げた途端、後ろから低い笑い声が聞こえてきた。
なんか、馬鹿にされた気がする……!!
むっとして振り返ると、背の高い黒髪の青年が一人、こちらを見て笑っている。
文句を言ってやろうと思っていたのに、言葉が出てこない。
可を見た瞬間に、どくんと心臓がはね手、今、顔がきっと真っ赤になっている。
どうして、この人が……。
だって、今日は、あの人は来る予定じゃなかったはずなのに。
リィナはその青年を、よく知っていた。それも、一方的に。
初めて見た時以来、ずっとずっとあこがれていた人。五年前、ラーニャと彼の舞を見た。名前を覚えて以来、ずっと、村のどこかで、そして祭りで舞う姿を見る度に、憧れで胸をときめかせてきた。
「……ヴォルフさま……?」
本物だ。こんな近くで、初めて見た。
ぽかんと見ほれてしまったのは、もう不可抗力だ。
青灰色の瞳がリィナに向けられている。
視線が合った……と思った途端、ずくんと不思議な痛みを伴って胸が締め付けられた。
え? なに?
訳の分からない感情が、苦しいほどの圧迫感を持ってこみ上げる。
苦しい。
初めて顔を合わせた緊張や気恥ずかしさではない、今まで感じたことのない感情の揺れが苦しさとなってリィナをおそっていた。
なんで? なんか、私へん……っ
戸惑うほどに衝撃を受けているリィナだったが、誰もそれに気付くことはなかったようだ。
「ヴォルフ。お嬢ちゃんが驚いてるわ」
青年をたしなめるようにラーニャが笑顔で歩み寄る。
ヴォルフ・クロイツァ。グレンタール領主の息子であり、将来を期待される後継者。彼こそがリィナの相手役である今年の剣士だ。
しかも今年で五度目の剣士役となる。彼はこれまで四年間ラーニャと組んで剣士と姫巫女の舞をやってきた。
そんなグレンタール中の関心を集める二人はやはり美男美女で、しかも幼馴染みだという。二人並んだ姿は、華やかとしか言いようがない。ついつい目で追ってしまう。しかも二人の恋仲もささやかれるほど仲も良い。しかしヴォルフは浮き名も多いが実際は騎士として首都エルヴァルドにいることが多いらしく実際のところはどうなのかよく分からない。
彼の噂話はことさらに多い。それだけ村中の少女が彼を気にしている。
彼は、村一番の夢見る理想の恋人像なのだ。
身近だけど手の届かない存在で、遠くから見てあこがれる人、それがヴォルフだ。
リィナが姫巫女役に決まったとき、ヴォルフが剣士役であることも決まっていた。あの時の喜びと興奮は言葉にできない。
ずっとずっと憧れていた。その人が、今、目の前にいる。
「こ、こんにちは!!」
ようやくうわずった声を絞り出す。ラーニャと言葉を交わすヴォルフを見つめながら、息が詰まるような苦しさを押さえるように、リィナは胸の前に両手を押し当てた。
緊張なのか、まだ変な感覚が消えない。
胸が苦しい。子供の頃に初めてヴォルフとラーニャの舞を見たときのことが脳裏をよぎる。
そうだ、これ、初めてヴォルフ様の舞を見たときの感じ。どうしようもなく胸が苦しくて、涙が出そうなほどに苦しくて、悲しいような、けれどとてつもなく幸せなような、体を突き抜けるような衝撃。
彼は、ただ、そこにいるだけで心を揺さぶる存在だ。
子供のときからずっとあこがれ続けている姫巫女の剣士。その人が目の前にいる。
ヴォルフがおもしろそうにこちらへ目を向けている。
この人が、今年は私の剣士……。
と思った瞬間、ヴォルフが口端をゆがめるように笑った。
「今年の姫巫女は、ずいぶんと可愛らしくなったな」
あれ? なんか、違う。
からかうような口調に、先ほどまでの感動をくじかれ、リィナは少しむっとしてヴォルフに向けて口をとがらせた。
確かに私はラーニャさんみたいに美人じゃないけどっ ちょっと失礼じゃないかな?!
言い返そうと口を開きかけたとき、先にラーニャが一歩踏み出した。そしてリィナに笑みを向けてから、ヴォルフにからかうような目を向ける。
「あら、それはどういう意味? 年増の姫巫女とさよなら出来てうれしいって事かしら?」
「そういうひがみは可愛くないな。俺がおまえのことどう思ってるか知ってるくせに」
にやりと笑って、挑発するようにヴォルフが軽口をたたく。
なんだか、大人の会話……。
割り込めない雰囲気に、出鼻をくじかれる。
どこか冷たささえ感じる色素の薄い冴え冴えとした青灰色の瞳が、ラーニャに向けて優しく笑っていた。ずっと憧れていた二人の親しげな雰囲気に、その近くにいられるうれしさや誇らしさとは別に、わずかな疎外感を感じる。
すると、それを払拭するかのように親しげに話していたラーニャが振り返った。
「リィナ、知ってるでしょうけど、今日からあなたの剣士となるヴォルフよ。時々口は悪いけど、根はそれほど悪くないから。何かあったら私に相談してくれたらいいわ」
その笑顔にほっとする。
「ありがとうございます」
ラーニャの気遣いがうれしい。
うん、ちょっとずつ親しくなれていけば、いいな。
そう思うと、肩の力が抜けた。
目の前の二人は憧れの姫巫女と剣士じゃなくて、ラーニャさんとヴォルフさま。
ずっと憧れていたヴォルフは、なんだか思ってたのと違う。けれど、違っててあたりまえ。
近くで見る彼は、舞台の上の剣士とは違う生身の男の人だった。
彼はまだ年若いとはいえ、村人からの信頼も厚い。そんなヴォルフが相手となれば、気後れしてしまうかもしれないと思っていたが、さっきの思いがけない一言が、リィナの張り詰めていた緊張を解いてくれた気がした。
改めて気持ちを入れ直し、ヴォルフに挨拶をする。
「姫巫女役をいただいたリィナです、よろしくお願いします、ヴォルフ様」
「ああ、よろしくな、おちびちゃん?」
やっぱり、この人、意地悪だ! 絶対、私のことガキだって思ってる!! 今、絶対からかう気満々な気がする!!
さっき、なんだか想像と印象が違うと思ったけれど、なんだかじゃなくて全然違う!
にやにや笑ってこちらを見ているのが、さらに意地悪だ!
「ちびちゃんなんて呼ばれるほど子供じゃありませんっ」
「ほう。じゃあ、いくつだ、おちびちゃん」
「十五才です! ヴォルフ様が初めて剣士したのと同じ年です!」
確かに背も高くない。でも低くもない! 年だって五歳も年上のヴォルフ様から見たら子供に見えるのも分かっている。
でも、でもっ、あこがれの人に、そんな呼ばれかたされたくないものっ
真っ赤になって叫び返したリィナを見て、ヴォルフとラーニャが二人して顔を見合わせて吹き出した。
「やだ、この子、かわいい……!」
「ラーニャさんまで……っ」
ひどい……!
リィナは何と言い返そうかと意気込んで笑っている二人を見ていたが、にらんだリィナを見てさらに笑われる始末。
子供にするように頭をなでてきたラーニャに、リィナは口をとがらせていると、今度はヴォルフがそれをまねて頭をなでてこようとする。リィナはヴォルフの大きな手を丁重に払いのける。
「……撫でるのもだめか!」
ヴォルフが声を上げて笑い出した。
何がおかしいのか、全くわからない。けれどヴォルフの笑いのつぼはラーニャとも同じだったらしく、二人の止まらない笑いにリィナは途方に暮れる。
けれど笑いは伝染するものだ。しかも、なんだかとても楽しそうだ。そして、可愛いと思われているらしいことは、悔しいけどわかってしまう。
納得がいかない。すっごくいかない。
けど、見ているうちにリィナもなぜかおかしくなってきて、ついに思わずつられて顔が笑ってしまった。
憧れていた二人が、優しく迎え入れてくれたのがわかる。
「よろしく、リィナ」
ようやく笑いを納めたヴォルフが頭をくしゃっとなでた。
「やっぱり子供扱いしてる……」
小さく文句を言ってみたけど、うつむき加減ににらみ上げた先でヴォルフがとても優しい笑顔を浮かべているから。
さっきは丁重にお断りした頭を撫でる大きな手が、思った以上に気持ちよくて。
……こんな風なのも悪くないなぁ。
なんてついうっかり思ってしまった。
ラーニャもすぐそばでほほえましいといった様子で目を細めている。
あこがれの二人から完全に子供扱いをされている悲哀は、この際見ないことにしようと思った。
大人で華やかな二人を見ていると自分には少し場違いな気持ちもある。でも、この二人は確かにリィナを受け入れてくれたのだ。
優しい視線を受けて、ほっこりと表情が緩んだそのとき。
「じゃあ、これからしごくから、覚悟しておいてね」
まるで見計らったかのように、淡い喜びを打ち砕くようなラーニャの声がにこやかに降ってくる。
「……え」
「俺の姫巫女がへばらない程度に頼むぞ」
たたみかけるように、ヴォルフがにやにやとからかってくるのに、リィナはばっと振り返って二人の顔を見比べる。
「こう見えて、こいつは厳しいぞ」
にやにやと笑いながら脅してくるヴォルフは、やっぱり意地悪だ。
「が……がんばります!!」
泣き笑いになりながら、うれしさと重圧を背負っての返事となった。
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