第五章

情報部の一件は無事に幕を下ろしたらしく、今では通常に戻っている。とは言ったものの、暇なのは変わらないし、あれから始末の指令も来なかった。どうなっているのか知る者もいない、情報部員は口を堅く閉ざす、状況は情報部とおそらく幹部以外は誰も知らない。引っかかるものは多いが、咲が普通にしているだけで俺は十分だった。

昨日も一緒に寝たし、もう少しすれば休みがとれるそうだ。そこで、少し遠くへ旅行に行くという約束をした。一泊二日のデートプラン、詳しくは未定。空いた時に話そうと決めていた。

俺は執行部の机に戦術指南書と旅行雑誌を開き、交互にそれらを読んでいた。

白黒のイラストと文字ばかりを読んでは、きれいな風景やおいしそうな料理の載った色鮮やかな見出しを読んで、次第に指南書よりも雑誌のほうを読むようになっていた。

一緒に出掛けるのはもうどれくらいになるか、遠い昔のように思えてくる。今回は奮発して遠くなんて言ったけれども、実際どういったところがいいものか。誰かに相談したくとも、あまり気が乗らない。そもそも相談したところでこたえられる奴らがどれほどいるものか。悩める頭を抱えた末に、結局俺は全部任せようと決め雑誌を閉じた。

「誰か空いてるか? 仕事だ」

閉じたのとほぼ同時に、部長が入ってきた。手には書類、おそらくは依頼書だろう。

「三つ、潜入一つとあとは随時だ。誰か」

その声に引き寄せられるように周りの数人が集まっていく。俺はあまり乗り気ではない。これから大切な話があるっていうのに、今から仕事を入れるなんてしたくない。

この部署のありがたいところは、仕事は申告制だというところだ。逆を言えば給料に直結してくるんだが、あくまで基本給は変わらんから数回やればさして問題ではない。俺はもう何回か出ていることだし、このままだんまりを決め込もうとしていた。

「あれ、これ木之元がいいんじゃないですか?」

その時、同僚の一人が発した言葉を、俺が聞き逃すはずがなかった。

「え!?」

「木之元か、確かにな。やってもらえるか?」

部長がそういいながら一枚の依頼書を持ってきた。こうなったら断るわけにはいかない。

「わかりました、やってきます」

「よろしく頼むよ、それが終わったら休暇だろ? 休み前の一仕事だ」

そう励まして部長は部屋を出て行った。俺は、ただただ苦笑いしながら書類を見た。

担当員の箇所に署名をして、ロッカーで準備をする。必要物品は特になし、歩いていける距離にいるようなので乗り物もなしだ。

ネクタイを締めなおし、黒いジャケットを正してからいつものスーツケースを持って出る。

管理部に署名した書類を提出してから社を出る。空は曇天、少し風が冷たい。俺は目標のいる場所へ向かって歩いた。

あとはいつもの通り、近くのビルの屋上から射撃。命中したのを確認してすぐに戻る。戻ってからはすぐに報告書類を部長に提出。ロッカーへ行って片づけ。

ここまでで三時間強、咲はもう空いているのか、それとももう仕事に戻っていったか。俺は恐る恐る情報部へ向かった。覗いてみると、咲は机に向かいながら作業をしていた。

「お、木之元じゃん」

声をかけてきたのは藤崎だった。

「おお、藤崎」

「なに翠川?」

黙って首を縦に振る。

「さっきまで休んでたんだけどね、急に仕事入ってあの状態」

「そうか、ありがとうな」

俺はそう言って藤崎と別れ、執行部の机へ戻ってきた。

背もたれに寄りかかり、大きくため息をつく。早く仕事を終わらせたとはいえ、向こうに仕事が入ってしまったら仕方がない。俺はしばらく咲を待つことにした。

それから数時間後、咲も一段落したようで執行部まで来た。そのまま旅行会議。やっぱり俺の旅行計画など数時間で考えられるわけがなく、咲にすべて丸投げしてしまった。

そう、俺は咲と行くのがいいんだ、行先など関係ない。行先は咲の行きたいところだったらそれでいい。

楽しそうに旅行先の話をする笑顔の咲を、俺はただ眺めていた。

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