第三章

今日は近郊にある山へと来ている。これが休暇で山登り、だったらどれほどいいか。山を登る手に持っているのは、カメラや弁当などではなく、ちょっとした登山用具と愛銃の入ったスーツケース、服も迷彩柄だ。

内容は簡単、目標のいる別荘で始末。今は道路から外れ、別荘の窓を狙える場所へと移動していた。

今回は情報部との通信で行うため、狙撃位置に着いて通信機を手にもつ。

「こちら木之元、到着」

『了解、じゃあそのまま構えておいて。あと5分だよ』

通信相手はもちろん咲だ。

「にしても、向こうから指示とかおかしな客もいるもんだね」

『ほんと、映画とかみたい。まぁでもその分多く請求いってるみたいだし、いいんじゃない?』

「……もし今回の依頼主への依頼があったら真っ先に俺が行くわ」

そんな話をしながらセッティングを進める。土の匂いを感じながらいつもの通り照準器を覗く。いつものように左に双眼鏡の視界、右にスコープの視界が広がる。

左で別荘全体が見える。本当に映画に出てきそうな、大きな窓ガラスのある別荘。そこから部屋の中が丸見えだ。

右で大方の場所へ照準を合わせる。風は無視できるほどの弱々しい風、距離はおよそ2000m、こちらのほうが600mほど高い。どの位置へ来ても、すぐに対応できる。

そうしているうちに時間が来たようだ。咲から指示がくる。

『始まったみたい、用意しておいて』

俺は無言で構え続ける。今回は、依頼主が相手に電話をかけ、窓ガラスへ誘導したところを俺が撃つというものだ。まさに映画のよう。信じられないが、今目の前で繰り広げられているのだから疑いようがない。さらに言えば、俺はその当事者でもある。

そんなことを考えていると、左の視界に人が現れた。携帯を耳に当てている様子で目標だとわかる。右の視界をすぐさま目標に合わせる。後は咲の指示待ちだ。

『――撃て』

その合図とともに、俺は引き金を引く。体と山に轟音が響くと同時に、銃口から発せられた弾丸は狂うことなく目標をとらえた。左の視界には、その様子がリアルタイムで流れていた。

「目標命中、これより離脱する。報告書はよろしく」

『了解、お疲れさま。気を付けて帰ってきてね』

そう、今日は土曜だ。無事に帰れば咲が待っている。

俺は駆け足で山を下ると、急いで車に乗り込みそそくさと社に帰った。

情報部に向かうと、咲の姿は無く報告書の提出に行っていると聞いた。俺はそのまま執行部のロッカーへ向かい、自分の荷物を置いた後、借りていた車の鍵や登山装備、迷彩柄の服や登山靴を備品部へ返却する。

丁度返却から戻ってきたとき、執行部の机に咲がいた。

「おかえりなさーい!」

そういいながら駆け寄り抱き着いてきた。咲はだいたいいつもこんな感じだ。そして俺はいつもそれでふらつく。

「うぉっと! はいはい、ただいま」

時間は丁度、午後六時。俺と咲はそのまま社を出た。

外にある店で夕飯を済ませ、俺の家へ向かう。社から少し離れた、閑静な住宅街。その一角にあるアパートの607号室、そこが俺の家だ。道路と反対側の最上階奥の部屋、意外と住み心地は良い。

咲はたまにこうして俺の家へ遊びに来る。前も夕飯を一緒に食べたり、どこかへ出かけたりした後俺の家へ来たり、俺が咲の家へ行くよりも多い気がする。

小さな玄関を抜けると、すぐ左に台所、右には風呂やトイレ、奥に居間がある。咲は慣れたように入ってすぐ左に向かうと、冷蔵庫から俺のいつも飲んでいるビールを二本取り出し居間のテーブルへ置いた。

俺はそのままジャケットを脱ぎネクタイを緩めながら居間へ向かい、ジャケットを脱ぐ咲の隣で一緒に呑み始めた。話すことと言ったら、愚痴や最近の流行りやそういったものだ。時たま物騒な話も出てくるが、仕事上よくあることだ。

ひとしきり話したところで、程よく酔いが回ってくる。咲は少しボーっとしているようだった。

俺が咲の顔を覗くと、咲はそれに気づいたのかこちらを向く。幼く見える顔は目が少し潤み、こちらへかわいい口を向けている。その様は、さながら天使を想像させる。俺の天使、俺だけの天使。俺は天使の唇を奪うと、そのまま押し倒した。

気づけば深夜二時、咲は俺の懐に潜り込んできた。

「明日休めばいいのに……」

「そうはいかないよ、情報収集なんて本当は年中無休なんだもん」

俺は明日休みなものの、咲の休みは少し先。いつものことだが、予定が合わないのはどうかといつも思っている。

「今度お休み重なったら、どっか遊び行こうよ」

「そうだな……。とりあえずもう寝な、明日送るから」

小さく頷くと、咲はそのまま俺の胸の中で小さな寝息を立て始めた。

俺はふと、たまに考えていることが出てきた。俺の手は汚れている。物理的な意味ではなく、依頼とはいえ人を殺している殺人鬼の手だ。そんな手で、咲を抱いてもいいのだろうか、人を愛してもいいのだろうか。

俺は咲を軽く抱きしめながら眠りについた。

翌日、咲が俺の顔をいじっているので目が覚めた。そのまま咲は風呂へ、俺は朝食の準備をする。二人で朝食を食べ、支度が整ってから咲を社へ送った。社の前で手を振って別れる咲が見えなくなると、突然虚無感が襲ってくる。

いつものことだ、いつでも会える、と自分に言い聞かせながら空を仰ぎ見る。悔しいほどの晴天がそこにあった。

このまま家に帰ろうかと思ったが、俺は反対方向へと歩き始めた。今日は一人で出歩いてみることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る