64 恐れていた事態


「今日の配信の改善点はそんな感じかな」


「ん。今日もありがと」


 夜の十時。

 僕は目の前でベッドに腰かけるパジャマ姿、、、、、の司波さんに、今日の改善点を伝えていた。

 一日一個——学校がある日は一日二個――の改善点を見つけることで司波さんの配信の手伝いをしている僕だけど、これが案外大変なのだ。

 日を追うごとに改善点が減るのは当然なわけで、果たしてこれをいつまで続けられるのか疑問である。

 しかし今、問題なのはそこじゃない。


「か、改善点はこれでいいとして……本当に泊まるの……?」


 僕はパジャマ姿の司波さんに確かめる。

 夏休みということで浮かれて気が緩んでいるのか、少しだけはだけた胸元はどうしても目のやり場に困ってしまう。

 そもそも女の子と夜に一緒に居るという時点で僕の心臓は爆発寸前だ。

 しかし僕の言葉に司波さんは不機嫌そうな顔を浮かべる。


「こんな時間に私に帰れっていうわけ?」


「い、いや、そういうわけじゃないけど……。それに帰るとしてもちゃんと送っていくし……っ!?」


 僕が慌てて弁解すると、司波さんは手元にあった枕をこちらへ投げつけてくる。

 何とかそれを受け止めるが、司波さんは相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべたままだ。

 そんな司波さんに僕は思わずため息を吐く。


「じ、冗談だから。そんなに怒らないで」


「ふんっ」


 僕としては半分くらいは本気だったんだけど……。

 でもそんなことを言えばまた司波さんは怒り出すだろうことは容易に想像できる。

 それに半分くらいは本当に冗談だったのだ。


 司波さんが本気で僕の家に泊まろうとしていることは、夕方、司波さんが一度自宅へ帰ったにも関わらず、お泊りセットを用意して出てきた時点でほとんど諦めている。

 一体何が入っているのか分からないほど大きな鞄だったが、恐らく衣類の他にも生活用品なんかも入っていたのかもしれない。


「えっと、司波さんはこれから何するの?」


 司波さんが不機嫌になる話題を変えるため、さりげなく聞いてみる。


「……特にはすることとかも無いけど。強いて言えば、明日以降の配信の話題を考えたり、とか」


 司波さんも、僕のあからさまな話題変えに気付いているのだろう。

 不機嫌そうな表情を浮かべつつも僕の質問に律儀に答えてくれる。

 でもそれは僕が望む答えではない。


「ね、寝ないの?」


 不自然にならない程度に提案する。

 そう、僕は今、司波さんに寝てほしいのだ。


「さすがにまだ十時だし。寝るには早いでしょ」


「そ、そうかな? 今日とかデパートとかにも行ったし、疲れてるんじゃない? 早く寝た方が良いよ」


「……何? そんなに私に早く寝てほしいの?」


「い、いやそんなことはないんだけど……」


 司波さんが僕に疑いの目を向けてくる。

 そんな司波さんの視線から逃げるようにして僕は顔を逸らすが、その時、司波さんが何か分かったように「あっ」と呟く。

 正直、嫌な予感しかしない。


「あんた、今日配信するんでしょ?」


「…………」


 どうして司波さんはそんな当然のように僕のしようとすることを言い当てることが出来るのだろうか。

 思わず顔を手で覆いたくなってしまうが、それでは司波さんの言葉を認めるも同然なので何とか耐える。

 しかし僕の無言を肯定と受け取ったのか、司波さんは話を進める。


「するならちゃんと言ってよ! 私だって聞きたいんだから!」


「う、うーん」


 司波さんは「怒ってます」という風に頬を膨らませながら、僕に言う。

 それ自体はとても可愛くて大変結構なのだが、僕としては素直に喜ぶことが出来ない。

 何故なら司波さんは僕の、『涼-Suzu-』の熱狂的なリスナーなのだ。


 普段なら僕もいくら司波さんに配信を聞かれようが、多少は意識するにしても、直接的な影響があるわけじゃない。

 でも今日は司波さんは僕の家にいるわけで、そうなってくると話が変わって来る。

 多くのリスナーがいる僕でも、クラスメイトが自分の配信を同じ屋根の下で聞いているというのはさすがに意識せざるを得ない。


「それで今日は何をするのっ? 雑談? ゲーム? それとも作業とか?」


 司波さんがベッドから身を乗り出して、矢継ぎ早に聞いてくる。

 さすが『涼-Suzu-』に憧れて、配信者になっただけある。

 恐らくこれまでの配信もほとんど聞いてくれているのだろう。

 それ自体は嬉しいのだけど、やはりこの状況は僕の中でも初体験なわけで。

 それに今日は……。



「う、歌枠をやるつもり、だけど……」



 僕は司波さんの質問に答えながら、恐る恐る司波さんに視線を向ける。

 案の定、司波さんは目を爛々と輝かせていた。


「歌枠、やるの……っ!?」


 まるでずっとそれを待ってましたと言わんばかりの期待の眼差しを向けてくる司波さん。

 そんな司波さんに嘘ですとも言えず、僕は静かに頷く。

 それに『涼-Suzu-』として配信を始めてしまえば、どちらにせよ司波さんにはすぐにバレてしまう。


 でも、それ自体は別に構わない。

 僕が恐れているのはもっと別のことである。

 そう、それは――


「そ、その歌、生で聞きたい……っ!!」


 ————司波さんのこの言葉だ。

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