61 恋人じゃあるまいし


 司波さんは一体どういう思惑でこんなことをしているのだろうか。

 もしかしたら僕を困らせるためだけにやっているのだろうか。

 個人的にはその可能性が大きいので、そんな司波さんの思惑に乗るようなことはしたくはない。


 しかし万が一、司波さんが純粋に僕が頼んだハンバーグを食べたいだけだったとしたら、僕が変に恥ずかしがったりしたら、司波さんもさすがに自分のしていることの恥ずかしさに気付くだろう。

 もしそうなったら司波さんの照れ隠しという名の八つ当たりの矛先は間違いなく僕に降りかかって来る。

 そうなるのが一番最悪な結果だ。


 となると、僕が取るべき選択は、出来るだけ自然な振る舞いで恥ずかしがらずに、この行為を終えることだ。

 そうすればもし司波さんが僕を困らせるためにこんなことをしていたとしても、はたまた純粋にハンバーグを欲しがっていただけだとしても、最悪な結果だけは免れる。


「じ、じゃあ、はい」


 僕は、今自分に出来る最大限の自然さを装って、司波さんにハンバーグを食べさせる。

 そうするのは当然僕がこれまで使っていた箸なわけで、間接キスだとかそんなことをどうしても考えてしまうが、今は我慢だ。

 耐えろ、耐えるんだ僕。


「うん! これも美味しい!」


 そして何とかこの地獄なのか天国なのか分からないようなイベントを乗り越えると、司波さんは満足気な顔を浮かべて僕に笑いかけてくる。

 普段とは違う素直な司波さんは、僕の残り少ないHPを着実に削り取っていくが、そんな表情を見せられたら文句の一つも言えやしない。

 僕は高ぶった感情を落ち着かせるために息を吐く。

 なんにせよ今回のことは無事に乗り越えられたのだから良しとしよう。


「はい!」


 そう思っていた矢先、司波さんが先ほどの満面の笑みのまま僕に箸を向けてくる。

 その箸が掴んでいるのは当然、司波さんが頼んだはずの野菜炒めだ。


「私だけ貰うんじゃ不公平でしょ?」


 普段あれだけ理不尽なことを言ってくるくせに、どうしてこんな時だけそんな可愛いことを言ってくるのだ。

 僕は思わず手で顔を覆いたくなるのを何とか堪えるが、その間も司波さんは僕へと箸を近づけてきている。


「…………」


 ただ、これはあれだ。

 さっきまで僕が食べさせてあげる側の立場だったわけだが、今回はそれとは違う種類の恥ずかしさがある。

 その恥ずかしさから、僕は司波さんが食べさせてくれようとしている野菜炒めをじっと見つめるだけで、最後の一歩が踏み出せない。


 だけど、ずっとこのままというわけにはいかない。

 これまでの司波さんの反応から見ても、恐らく今の司波さんは自分のしていることがどれだけ恥ずかしいことかを理解していないようだ。

 というよりも忘れているのだろう。

 そんな司波さんも僕がこれだけ恥ずかしがっていれば、さすがに気づいてしまうはずだ。

 そうなれば僕のこれまでの苦労が水の泡になってしまう。

 それだけは避けたい。

 司波さんの照れ隠しの鉄拳なんて食らいたくないのである。


「? 何をそんなに戸惑ってるわけ?」


「い、いや、何でもないよ?」


「じゃあほら。早くしてくれないと疲れるでしょ」


「う、うん」


 僕は司波さんに急かされるままに、口を開く。


「はい、あーん」


「っ」


 無意識なのか!?

 それは無意識でやっているのか!?

 思わずそう叫びたくなる僕をよそに、司波さんは僕の口に野菜炒めを食べさせてくる。


「どう? 美味しいでしょ」


「う、うん。美味しいよ」


 司波さんが確認するように僕の顔を覗き込んでくるので慌てて頷くが、正直味なんて分かるはずがない。

 司波さんが使っていた箸、というだけでも破壊力抜群なのに、その上司波さんの無意識の「あーん」だ。

 あんなので味が分かれと言う方が酷である。

 しかし過程はどうであれ、僕は無事にこのイベントを乗り切った。

 今回こそはそれを喜ぼう。


「ねえママー。あの人たち超らぶらぶだねー」


「そうねー。らぶらぶねー」


 そう思っていた矢先、そんな会話が聞こえてくる。

 恐る恐る声のした方を見てみると、そこには小学生くらいの女の子が僕たちの方を指さし、隣にいるお母さんだろう女性が微笑ましそうなものを見るような目で僕たちを見てきていた。


「…………」


 僕は横目で司波さんを盗み見る。

 さっきまで美味しい料理を食べて、普段見せないような素直な笑顔を見せていた司波さんが、今は俯きながら肩を震わしていた。

 恐らくだが、今更ながらに自分のしていたことの恥ずかしさに気付いたのだろう。

 僕に「あーん」されたり、逆に僕に「あーん」したり。

 恋人じゃあるまいし、そんなこと普段なら絶対あり得ない。

 それでも夏休み初日というこの状況に、司波さんは知らず知らずの内に浮かれていたのかもしれない。


 僕からは見えないが、恐らくその顔は真っ赤に染まっているのだろう。

 良く見れば既に耳まで真っ赤だ。

 テーブルの上で握られている拳は必死に何かに耐えるようにして震えている。

 その何かは、間違いなく恥ずかしさだろう。

 さっきまでの僕もあんな感じだったのかもしれない。

 しかし今は、自分以上に恥ずかしがっている司波さんを見て逆に落ち着いてしまっている。


「し、司波さん。ハンバーグ美味しかった?」


「——っ!!」


 僕は緊張した今の空気を和ませるために言う。

 司波さんはそんな僕の冗談に、俯けていた真っ赤の顔を上げたかと思うと、おしぼりを僕の方へと投げつけてきた。

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