50 亮と涼

「……はぁ、はぁ」


 司波さんを追いかけ始めてからどれくらい経っただろうか。

 結構走った気もするが、まだ司波さんの姿は見えない。

 でもどうしてか分からないが、何となく司波さんとの距離が短くなってきているような気がした。


 僕はその気のせいに身を任せるように走り続ける。

 もう足は悲鳴をあげているというのに何故か足が止まらない。

 僕は息を乱しながら司波さんの家の方を目掛けて走り続けた。


「……し、司波さん!」


 そしてどうやら僕の頑張りが功を奏したのか、人通りの少ない道にやって来てようやく司波さんらしき女の子の後ろ姿が見えてきた。

 しかもその後ろ姿はどういうわけか今以上に僕から離れることなく止まってくれている。


 これならもうすぐ司波さんに追いつくことが出来る。

 そう思った僕は最後の力を振り絞って司波さんの下まで走り――――立ち止まった。


「…………誰、だ?」


 司波さんの後ろ姿越しに誰かの人影が見える。

 街灯の逆光のせいで鮮明には見えないけれど、そこに誰かがいるのは確かだ。


 司波さんがその人と向かい合うように立ち止まっているということは、恐らく司波さんの知り合いなのだろう。

 もしかしたらさっき別れたクラスメイトの誰かが偶然にもこんな場所にいたりして、談笑しているのかもしれない。


 だとしたら僕がここにいる意味は一体何なんだろう。

 僕が今日司波さんと少しでも一緒に居られたのは、司波さんを送っていくという役割があったからに過ぎない。

 じゃなきゃやっぱり僕が自分から司波さんに声をかけたり出来るはずはないし、そんな勇気はそもそも持ち合わせていない。


 ここから司波さんの家まではあと少しだ。

 もし本当に司波さんの目の前の誰かがクラスメイトや司波さんの知り合いだったりするのなら、その誰かに送って行ってもらうのが良いんじゃないだろうか。

 司波さんも、そっちの方が良いと思っているはずだ、たぶん。


「……いや、違う」


 きっと少し前までの僕だったらここで諦めて何もすることなく自己完結してしまっていただろう。

 だけど、決めたんだ。

 少なくとも今日は司波さんの背中を追いかけようって。

 たとえそこで否定されたって構いやしない。

 今日だけはどんなにみっともなかったとしても、足掻き続けるって決めたんだ。


 だから僕は止めていた足を、もう一度踏み出す。

 こちらに気付いていない司波さんの背中へ、その一歩を踏み出す。


「…………?」


 そこで僕は初めて気が付いた。

 司波さんの肩が、震えていることに。

 そして司波さんの目の前にいる誰か知らない男が嫌な笑みを浮かべていることに。


 きっと今僕が気付いたことは、この一歩を踏み出していなかったらそのまま気付かずじまいだったのだろう。

 もし踏み出さなかったらどうなっていたんだろうか。

 そう考えると背筋が凍る。

 

 司波さんの目の前にいるのは東雲さんが言っていた司波さんのストーカーに間違いない。

 そしてそのストーカーが手を伸ばしながら司波さんに近づいているのだ。

 なのに司波さんは逃げる様子もなくその場に突っ立っている。


「……っ」


 僕は咄嗟に司波さんの下へ駆け出そうとするのだが、どうしてか足が言うことを聞いてくれない。

 さっきは踏み出せたはずの司波さんへの一歩が、踏み出せずにいるのだ。


 理由なんて考えるまでもない。

 そこにストーカーがいるからだ。

 突然現れたストーカーの存在が、僕が何かをしようとするのを止めてしまっている。


 司波さんに逃げろと叫ぼうと開いた口からは掠れた息しか出てこない。

 恐らく司波さんはストーカーから逃げないのではなく逃げられないのだ。

 そう考えるとさっきからの司波さんの様子も頷ける。


 普通に考えて、僕たち高校生がストーカーに遭遇するなんてのは日常ではあり得ない。

 そんな非日常に加えて自分に害でしかないストーカーを目の前に、冷静に対処出来る人が一体何人いるだろう。


 少なくとも僕や司波さんはそうじゃなかった。

 直接な恐怖ではない僕がこれだけ身体が竦んでしまうのなら、その標的である司波さんには一体どれだけの恐怖が襲いかかっているというのだろうか。

 だが僕がそんなことを考えている間にも、男の手は確実に司波さんへと伸ばされている。


「……ッ」


 どうする、どうしたらいい。

 僕は恐怖に支配される頭の中で必死に考える。

 このままでは司波さんが危ないのは明確で、この状況で何か出来る人が僕以外にいないのも分かっている。

 それなのに何も出来ない僕がいる。


 ストーカーに立ち向かう勇気が、僕にはない。

 司波さんを守るだけの強さが、僕にはない。

 僕には、何もない。


『クラスメイトが危険な目に遭うのを見過ごせる?』


「…………」


『知ってる女の子が危険な目に遭うのを見過ごせる?』


「…………」


 立ち尽くす僕の頭の中で意味のないといが繰り返される。

 その問いに僕は何も答えることが出来ず、ただ男の手が司波さんへ伸びていくのを黙って見ていることしか出来ない。





『じゃあ――――司波さんが危険な目に遭うのは見過ごせる?』


「…………それは、見過ごせない」


 ただそれだけはどうしても許すことが出来なかった。

 僕は心の狭い人間だ。

 クラスメイトが危険な目に遭っていても、知っている女の子が危険な目に遭っていたとしても、きっと何もしてあげられないのだろう。


 でも司波さんは違う。

 僕の目の前で司波さんが危険な目に遭うなんてこと見過ごせるはずがない。

 だけど僕には力がない。

 じゃあ今僕はどうしたらいいんだ。


 目の前では刻一刻と男の手が司波さんに伸びている。

 そんな状況をどうしたら変えられる。

 考えろ、考えろよ僕。

 今ここには僕しかいないんだから。

 今ここには倉田亮しかいないんだから。


 考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ。

 そして考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、気付いた。

 その答えが自分の中にあることに。

 

「…………」


 分かっていた。

 自分が他人より劣っていることも、自分に力がないことも。

 でもそんなの今更じゃないか。


 だからこそ僕は理想の仮面を被った。

 こんな自分になりたいって言う虚像を作り上げた。


 だけどそいつはきっと僕じゃない。

 ずっとそう思っていた、そう思い続けてきた。

 そう思わなければ驕ってしまうと思ったから。

 司波さんに迷惑をかけてもかまわないと思ってしまうようになると思ったから。


 でも良い加減、それも終わりにしよう。

 

『僕は確かに”涼-Suzu-”だけど”涼-Suzu-”じゃない』


 いつか司波さんに言い放った言葉を思い出す。

 だけど司波さん、認めるよ。








 僕が『涼-Suzu-』だ

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