51 涼の逆鱗
「な、なんで」
凛は今自分の目の前にいるはずのないクラスメイトがどうしてここにいるのか分からなかった。
何故なら凛は先ほど目の前の人物の制止を振り切ってまで一人走り出したのだ。
普通送ってもらっている身でありながらそんなことをされたら、送る気なんてなくなってしまうだろう。
なのに今、確かに目の前には亮がいる。
訳が分からない。
もしやこれはあまりのストレスに耐えられなかった自分自身が幻影を見せてしまっているのではないかとさえ疑ってしまう。
だがこれは紛れもない現実であると凛の早まる鼓動が告げている。
「…………大丈夫?」
亮は凛の声に答えることなく、ただそう聞いてくる。
少しだけ首を回している亮の横顔を街灯の明かりが照らす。
その表情はどこか弱弱しく自虐的で、今にも壊れてしまいそうだと凛は思った。
こうやって自分の危機を助けてくれているはずなのにどうしてそんな顔でこちらを向いてきているのか分からなかったが、凛は亮の問いに静かに頷いた。
「…………そっか」
亮は凛の反応に対して相変わらずどこか弱弱しい声で呟いたかと思うと、それ以上何か言うでもなく、そのまま凛から視線を外す。
そして亮の視線の先を凛が辿ると、そこには驚いた顔で尻餅をついているストーカーの男がいた。
一瞬のことで凛も良く分からなかったが恐らくストーカーの男の手が凛に触れる一瞬前に亮が二人の間に割り込み、男を引き離してくれたのだろう。
「おい、お前」
その時突然、あたりに声が響き渡る。
凛でもなければストーカーの男の声でもない。
だとすると今の声が誰のものなのか考える必要もないだろう。
だがその声は普段の亮からは考えられないほど低く、そして冷たい声だった。
まるでストーカーの男を塵とすら思ってもいないようなその声の対象が自分ではないと理解しているのに、それでも凛は身震いを隠せない。
凛は亮の様子を窺おうとするも、亮はあえて見せないようにしているのか、その表情を窺うことは出来ない。
しかしそんな亮に見下ろされている男は違う。
凛から窺える男の反応は、顔は真っ青になって歯はカタカタと震えてしまっている。
今、ストーカーの男が見ている亮は、きっと凛の知らない亮なのだろう。
そして恐らく今後も決して凛に見せることはない亮なのだろう。
凛はそう思うと、それ以上自ら亮の顔を見ようとするのをやめた。
「自分が何をしたか、理解してる?」
すっかり怯えてしまっている男に、亮はその距離を一歩ずつ詰めていく。
そこで凛は、亮が自分から離れていくという光景を見ながら妙な感覚を覚えた。
それは今こうやって着実に一歩ずつ離れていっている亮との距離が全く広がらず、さっきまであんなに近くにいたストーカーの男が徐々に離れていっていく、というものだ。
それが凛の心の深層が無意識に作り出した何かかは分からない。
しかしそれでも凛は今はその妙な感覚を否定しないでいたいと思った。
「二度と彼女に近づくな」
亮がその言葉を発したとき既に二人の距離はほとんど無いに等しく、尻餅をついている男の真上から亮が見下ろすような体勢だった。
凛のことを普段の『司波』でなく彼女と称したのはストーカーの前で本名を晒さないようにという亮なりの気遣いなのか、それとも全く関係なく亮が無意識のうちにそう言ったのか。
普段のお人好しな性格を考えると、凛は前者のように思えて仕方なかった。
「ど、どうしてお前なんかにそんなこと言われなくちゃいけないんだっ」
ストーカーの男は亮に怯えていたが最後の悪あがきという風にそう言うと、その視線を亮から逸らし、そもそもの目的だった凛へと向ける。
厭らしい笑みを浮かべるその男に対し、凛はもはや恐怖ではなく嫌悪感しか抱けない。
しかし亮が身体を少しずらすと、男の視線は遮られ、凛からその男は全く見えなくなった。
「……もう一回だけ言うよ?」
なかなか頷かないストーカーの男に対し、亮は少しだけ腰を下げたかと思うと男の胸倉を掴む。
「二度と、彼女に近づくな」
そして、そう言う亮はおもむろに自分のポケットからスマホを取り出したかと思うと、それを男の顔に寄せる。
「もし次、彼女に近づいた時は――――
————————
それは単なる脅しじゃない。
亮が涼だからこそ出来る、純然たる事実なのだ。
もし今ここで涼が配信をしたとしたら、そこでストーカーの男の顔を映しながら事情を説明すれば、この男がしたことは瞬く間に広がっていくだろう。
そうすることで涼自身が被害を被るかもしれないなんていうこと、亮は全く考えていない。
ただこれ以上凛が被害に遭わないのであれば、亮にとっては十分以上で、最高の結果なのだ。
「……っひ、ひぃぃいいぃいいいいいっ!!!」
恐らく亮が言ったことを理解出来たのは、亮が『涼-Suzu』であることを知っている凛だけだろう。
それでもストーカーの男は、自分の胸倉を掴んでくる目の前の男ならば本当にやりかねないと本能的に察したのか、亮の胸倉を掴む手を跳ね除け、そのまま逃げるようにして暗闇の中へ消えていった。
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