40 流れぬ涙


「し、司波さん……?」


 後ろで立ち尽くす司波さんに僕は恐る恐る声をかける。

 どういうわけか司波さんの雰囲気がさっきまでの穏やかなものから、どこか話しかけにくいものになっている。


 それでもこれ以上何もせず話しかけなかったら司波さんは動かないかもしれない。

 ただでさえ陽が沈み始めている今そうなるのはまずいだろう。


「……ねえ」


 そんな僕の危惧を知ってか知らずか、司波さんは顔を下げたまま小さく言葉を発する。

 別に僕たちの周りがそんなに静かというわけではない。

 なのにどうしてかその小さな声は妙に僕の耳に届いた。


 司波さんがゆっくり、ゆっくり顔をあげる。


「っ」


 その瞬間、僕は思わず自分の喉がなるのが分かった。

 司波さんが、笑っている。

 泣きながら、笑っている。


 いや、泣いてはいないのだろうか。

 そこに涙は一滴たりとも流れていない。

 それでも僕はそう感じてしまった。

 司波さんが泣いている、と。


「……あんた、私と一緒にいたら、私に迷惑がかかるって、思った?」


 一言一言を区切りながら呟かれたのは、やはり恐らく坂本くんからあのことを聞いたのだろう司波さんの言葉だった。

 その言葉に間違いといった間違いはない。

 ただ一つ、付け加えるなら、


「今も、そう思ってるよ」


 僕は司波さんの笑顔を見つめ返しながら答える。

 もしかしたら司波さんの望む答えはこうじゃないのかもしれないけど、僕がそう思っているっていう事実を否定するつもりはない。


「……っ! なんで、あんたがそういうこと気にするのよ」


 笑顔が崩れ、不快感か怒りかをあらわにする司波さん。

 それでもやっぱり僕は自分の考えが間違いだとは思わない。


「僕だから、だよ」


「あんただから、なんだっていうのよ」


「なんでもくそもないよ。僕だから、一緒にいたら司波さんに迷惑がかかるって思ってるってだけ。実際、坂本くんだって気にしてたじゃん」


 もうその時点で僕は司波さんに迷惑をかけている。

 今回は司波さんの機転で放課後の時間は守られたかもしれないが、それでも今後こういったことがまたないとは限らない。

 だからやっぱり僕が司波さんと一緒にいるということは、それ相応に司波さんの迷惑になる。


「……僕なんかと司波さんじゃ釣り合わないんだよ」


 こんなこと言わなくても良かったのかもしれない。

 それでも言わずにはいられないほど、僕は自分でも驚くぐらいにこの司波さんとのやりとりに苛々していた。

 司波さんに、じゃない。

 僕なんかが司波さんを悩ませているという事実が、僕は許せないのだ。


「あんたは”なんか”なんかじゃない……っ!」


「”なんか”だよ」


「違う……っ! さっきだって坂本とかあんたのこと誉めてたじゃん……! 凄いって……!」


「あんなのお世辞に決まってる。僕は凄くなんかないよ」


 僕の言葉に司波さんが頭を振る。


「あんたの歌が凄くないわけがないじゃん……っ……だってあんたは『涼-Suzu-』なんだから……っ」


「…………」


 そこで僕はようやく司波さんがどうしてそこまで僕の言葉を否定するのか理解できた。

 でもそれは残念だけど間違ってる。


「僕は確かに『涼-Suzu-』だけど『涼-Suzu-』じゃない」


「……どういう、こと?」


 僕の言葉の意味が分からないという視線を向けてくる司波さん。


「僕は倉田亮っていう平凡な男子高校生でしかなくて、少なくとも皆が『涼-Suzu-』として思い浮かべているような存在じゃないんだよ」


 僕は確かに『涼-Suzu-』としてライブ配信を行っている。

『涼-Suzu-』のリスナーは他の配信者に比べてもかなり多く、広いジャンルで人気を博しているのも確かだ。

 でも一体どこに『涼-Suzu-』の中の人が、こんなどこにでもいるような男子高校生を思い浮かべるだろう。

 そんなのいるはずがない。


 現実での僕は間違いなく僕で『倉田 亮』だ。

 そこに『涼-Suzu-』が入る余地はない。


 なら司波さんはどうだ。

 司波さんは『四葉 鈴』としてネットでは徐々に人気になり始めている途中だ。

 いやもしかしたらもう十分に人気配信者の仲間入りをしているかもしれない。

 そんな司波さんの現実での顔は、クラス内カースト上位の『司波 凛』だ。

 可愛くて、男子からモテて、そして友達も多い。


 そんな女の子が、僕みたいなのと釣り合うはずがないなんてことそもそも考えるまでもないのだ。

 逆に釣り合うところを見つけようとしたならば、そんなものはないという結論に至るまでにそう時間はかからないだろう。


「そんな、こと……っ」


 司波さんが僕の言葉を否定しようと言葉を出そうとして、止まる。

 何かを言おうと口を開いているのだが、その先の言葉が見つからないのだろう。

 だから僕は司波さんに聞く。


「司波さんは『涼-Suzu-』の中の人が自分と同じ男子高校生だって思ったことある?」


 あるはずがない。


「しかもそれがクラスではほとんど友達のいない地味な奴って思ったことある?」


 絶対にあるはずがない。


「自分の振った男子が『涼-Suzu-』だとは――――思わなかったよね?」

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