37 カラオケ
「……ふぅ、終わった」
いつもより少しだけ遅く終わった帰りのHRに僕は溜息を吐きながら、一人帰り支度を済ませていた。
というのも今日の放課後は珍しく何の用事もなく、少し前までみたいに最速で家に帰ることが出来るのだ。
そして明日明後日の放課後も、きっと今日と同じように何の用事も無いのだろう。
放課後の司波さんとの時間は僕にはもうない。
恐らく昼休みに坂本くんが司波さんに色んなことは伝えてくれたはずだ。
その証拠に昼休みが終わる間際教室に帰った時も司波さんも僕に目をくれることもなく、ただぼうっと教室の黒板を見つめているだけだった。
もしかしたら僕のせいで自分の株が下がったことを後悔していたのかもしれない。
いや、きっと司波さんはそんなことはしないだろうけど……。
司波さんは優しいし、きっとそんなことないと否定してくれるだろう。
でもその後、司波さんが不幸になってしまうくらいなら僕たちの今の関係は考え直すべきなのだ。
「よし、と」
教科書を鞄に詰め込み終え、僕は腰を上げる。
なんだかいつもより鞄や腰が重たいような気もするけど、きっと気のせいだ。
教室の扉までの距離も、いつもより遠い気がする。
きっと気のせいだ。
誰かが僕の手を握って引っ張っているような気がする。
きっと気のせい……じゃない?
「……え?」
僕の手は確かに握られていた。
そしてそのままどこかへと連れ去られていた。
他の誰でもない、司波さんに。
僕はあまりにも突拍子なその出来事に、たったそれだけのことしか理解が出来なかった。
司波さんがどんな顔を浮かべているのか、どうして今自分が手を握られているのか。
ただ混乱する頭を整理する中で今の状況が僕と司波さんがそういう関係だという噂を助長してしまうことは何となく理解できたし、それはいけないと思った。
でも司波さんの僕の手を握る力はいつもの司波さんからじゃ考えられないくらい強い力で、なのに痛くなくて、不思議な感覚で、どうにもその手を振りほどくことが出来なかったのだ。
僕は反射的にというか無意識に後ろを振り返る。
徐々に遠くなっていく教室が小さく見える。
そして僕たちのすぐ後ろには、どこか呆れたような表情を浮かべる坂本くんと、面白いものを発見したとでも言いたげな表情の東雲さんがついてきていた。
何がどうなって、今こんなことになっているのか。
そんなことを考える暇もないほどあっという間に、僕は学校を連れ出された。
「…………え」
気が付いたら狭い部屋の中で僕たち四人はそれぞれソファーに座っていた。
学校からここまでの道のりは混乱する頭を整理することだけでいっぱいいっぱいで、正直ほとんど覚えていない。
だが今いるこの部屋には見覚えが全くないというわけでもなかった。
大きなテレビ画面、そして何やら小さな機械、果てにはマイク。
そこにはどう見てもカラオケで使うだろう物が溢れていた。
僕は端っこ、隣には司波さん、その隣が東雲さん、さらに隣が坂本くんという順で座っているのだが、どうにも隣で座っている司波さんの顔を見ることが出来ない。
司波さんを通り越して二人を見てみればほとんどさっきと同じような表情を浮かべている。
「ど、どういうことだ……」
誰にも聞こえないレベルでぼそりと呟くとほとんど同時に、突然部屋の中に大音量で音楽が流れ始める。
どこか聞き覚えのあるその曲は確か何かの会社のCMソングだったような気がする。
そして次いで聞こえてくるのは坂本くんの歌声。
どうやら僕の気づかないうちに坂本くんが歌う曲を入れていたらしい。
坂本くんは普段からこういう店に来るのか妙に歌いなれた様子でそつなくこなしているという感じだ。
さらにイケてる容姿と相まって女の子にはかなりの好印象かもしれない。
少しして歌い終えた坂本くんに対してお疲れ様と言うと、次の曲が流れだす。
今回は有名アイドルグループの人気曲で、音楽番組でもよく見かける曲だ。
そしてその曲を歌うのはイメージ的にもぴったりの東雲さんだ。
ポップなメロディーに東雲さんの歌声が重なる。
東雲さんは何というか、あざとかった。
見ているこっちが思わず「可愛い……!」と思ってしまうような仕草で、東雲さんを知らない人が見たら一瞬で恋に落ちちゃうのではないだろうか。
そして歌い終えた東雲さんはこちらにアピールするようにウィンクをしてきて、そんな東雲さんに僕も思わずドキッとしてしまった。
「いたっ!?」
その時突然足に襲い掛かってくる謎の痛み。
慌てて足元を見てみても何もないのだが、原因としてはほぼ間違いなく一つしかない。
僕はこれまで見れなかった司波さんの顔をゆっくりと窺う。
司波さんは僕とは反対方向に顔を向けていてその表情までは見ることが出来なかったが、あからさまに不機嫌オーラが立ち込めている。
どうしていきなりそんなことになったのかはよく分からないが、もしかしたら僕が東雲さんのことをいやらしい目で見たりしていたと思われたのだろうか。
そんなことは決してないというのに、ひどい誤解だ。
た、たぶん見てないはずだ。
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