16 コラボ


「……え……えっ!?」


 凛は思わず自分の口を抑える。

 一瞬見事に忘れてしまっていたが、今はまだ配信の真っ最中なのだ。

 それなのに間を空けてしまったり、こんな変な反応をしてしまったり、きっと聞いている側からしたら一体何が起こっているのか全く分からず首を傾げているところだろう。


 案の定コメント欄は『?』で埋め尽くされている。

 だが凛は今、正直それどころではない。

 今自分が見ているものが信じられずに視線が釘づけになっている。

 自分が配信をしているという事実を忘れていないことだけでも十分奇跡だ。


 どうして。

 これまでずっと悩ませられてきたアンチグループのことでさえどこか遠くへ消え去り、今凛の頭の中では疑問の声だけが上がり続けていた。


『涼-Suzu-』――それは自分の憧れの配信者であり、絶大な人気を誇る超大手配信者だ。

 そんなすずの配信にもいくつか特徴がある。


 まず自分のリスナーを大事にすること。

 ラジオ配信をする時など、もはやどれだけあるのか分からないコメントを出来るだけ多く読み上げ反応していく。

 そして見逃してしまったコメントに対してもきちんと礼儀をもって対応したり、そういうところが涼の魅力であり人気の理由の一端でもあるのだろう。


 そもそもラジオ配信というものはそこまで人気のジャンルではない。

 同時閲覧者数が四桁を維持できればかなり良い方で、五桁にはまず届かないと言われていた。

 しかしそれをやってのけたのが『涼-Suzu-』という配信者なのである。


 しかも涼が行う配信はラジオ配信だけではない。

 他にもあらゆるジャンルの配信を行い、その全てで、がっちりとリスナーたちの心を射止めているのだ。


 もちろんジャンルが違えば配信にやってくるリスナーもまた違ってくる。

 つまり実際のところ涼の配信のリスナーというものが単にひとつの配信で推し量ることが出来るものではないというわけなのだ。


 そして、まだある。

『涼-Suzu-』という配信者において絶対的暗黙のルールとして認知されているのが――――コラボをしない、ということだ。 

 どうしてかと聞かれても凛の知るところではないので答えることは出来ないが、どうやら涼は配信を始めてからこれまで一度も誰かと一緒に配信をしたことがないと言う。

 一度も、だ。


 だから凛もこれまで一度も誰かとコラボをするということがなかった。

 コラボ関係の設定を全てオフにし、誰かからもコラボ配信の申請通話が来ることがないようにしていた。


 なのに今、こうやってコラボ申請の通話がかかってきている。

 それも『涼-Suzu-』から。


 意味が分からないというレベルではない。

 もしこれが仮に夢の中であったとしてもあり得ないことだと思えてしまう。

 そんなレベルなのだ。


 今この配信を聞いてくれているリスナーたちには、四葉の配信にコラボ配信の申請が来ていることなど全く想像もついていないのだろう。

 ただ四葉が数多くの批判コメントに対して何も言えなくなっているのだと考えているのが容易に想像できる。


 何も言わない凛に対して、アンチグループの面々はまるで止めを刺すようにと汚い言葉を向けてくる。

 そしてそれを見兼ねた四葉のリスナーたちがコメント欄で注意する。

 アンチグループは今度はそんなリスナーたちに対して罵倒を始める。

 コメント欄の二極化という感じだろうか。


 だが凛はそのことにさえ気付かないままただ呆然と画面の一点を見つめている。

 さっきからずっと鳴り続けているコラボ申請の通話音は、まるでそんな凛に気付いているかのように、一向に鳴り止む気配はない。


「……っ」


 このままではいけない。

 何かしなければ何も始まらないのは分かっている。

 そして何をするべきかも分かっている。


 今凛は選択を迫られていた。

 コラボ申請の通話に出るか出ないかという二択だ。

 どちらを選べばいいのかなんて分からない。

 でも凛のマウスを握る手はゆっくりと動いていく。

 凛はその手がまるで自分の意志なんて否応なく動いているような気がした。


 もしかしたら何かの間違いかもしれない。

 もしかしたら本人じゃないのかもしれない。


 その可能性が凛の頭を掠めるが、それでも凛の手は止まらない。

 やがてその手の動きが止まったかと思うと、その人差し指が沈んだ。


「…………」


 すぐに普段のラジオ配信とは異なる画面に移り変わる。

 その変化はリスナーたちにも伝播し始めているだろう。

 何故なら普段一人で配信しない四葉の配信画面に、誰かが割り込んできたのだから。


「…………」


 何か、話さないと。

 そう思うのに、言葉が出てこない。

 まるで自分の中の何かが本能的に、相手を待っているかのように。


『こんにちは』


 ヘッドホン越しに聞こえてきたその声。

 いつも配信で聞いている声と全く同じなはずなのに、何かが絶対的に違う。

 なんていうんだろう。

 それが自意識過剰でないとするならば、そう、まるで――


 ――――自分だけに向けられたような。


「こ、こんにちは」


 凛も小さくそう返す。

 相手にだけ向けて。


 そして『すず』の初めてのコラボが始まる。

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