9 東雲さん

「まだ司波さんは来てない、よね……?」


 朝のHRが始まる二十分前に教室へたどり着いた僕は、一度だけ教室を見回してそう呟く。

 昨日の配信のことを放課後にちゃんと伝えなきゃいけないと考えると、本人を目の前にする前からどうにも緊張が解けない。


 だがもし司波さんがこのことを知らなければ、誰がその事実を伝えられるだろうか。

 決まってる――僕だ。

 僕だけが、司波さんが僕のお気に入りの配信者『四葉 鈴』であることを知っている。

 だ、だけどまだ心の準備が出来ていないから何とか放課後までには心を決めておかないと……。


「…………あれ?」


 そんなことを考えていた僕だったが、一向に司波さんが来る気配が見当たらない。

 もうHRも始まってしまうかもしれないというのに。


 そう思っているのは僕だけではなかったようで、いつも司波さんと一緒にいるイケてるクラスメイトたちも教室の入り口を見たり、携帯を見たりしては首を傾げたりしている。

 だが時間は待ってはくれない。

 HRの開始を告げるチャイムと共に、担任がドアを開けて入ってくる。


「おーい、席に付けー」


 そんな言葉を教室に告げながら出席簿を開く担任と、だらだらと自分の席に戻っていく生徒たち。

 何も変わらない見慣れた光景だ。

 でも一つだけ違うとしたら、司波さんがいないことくらいだ。


 少し前までは好きだっただけあって確かに視線で司波さんのことを追ったりしていた。

 でもきっとこの変化には気付けなかっただろう。

 なのに今こうやって気づけるようになっているのは、それだけ司波さんの存在が僕の中で大きくなっているからだ。

 それが好意であるとかそういうことを言いたいんじゃない。

 きっと、それが僕の日常だからだ。

 だからこの変化が見過ごせない。


「あー、今日は司波は体調が優れないようで休みだ。後で誰かプリントとか持っていく仕事頼むからなー」


「はーい」


 担任の言葉に調子のいいクラスメイトたちが手を挙げて返事する。

 ただ今はそんなことよりも大事なことがある。


「司波さんが……体調不良?」


 このタイミングで?

 そんな偶然があるのだろうか。

 どうだろう。

 司波さんと配信以外のことでは話さない僕には、その真偽を確かめる術が無かった。




 司波さんが学校を休んだ日。

 妙に早く時間が過ぎたと思ったら、いつの間にか放課後になっていた。

 帰宅部のクラスメイトたちは早々に帰り支度を済ませ、部活に入っているクラスメイトは部活の時間までの間を教室で過ごしている。


「……ん、あれは」


 普段だったら僕はこの中で一番遅く、司波さんとの放課後の予定のために残っているのだが今日はそれもない。

 僕も帰宅部らしく早く帰ろうと思っていたところで、同じく教室を出ていこうとする女子生徒を見かけた。

 あれは確かいつも司波さんと仲良さそうに話している人だったと思う。


 名前は知らない、忘れた。

 いや、その言い方では間違っているかもしれない。

 きっと僕はあの人の名前を一度も覚えたことがないのだろう。

 ってそんなことどうでもいい。

 今はもっとするべきことがあるだろう! と僕は妙な使命感に駆られて教室を出ていった彼女の後を追いかけた。




「あ、あの……! すみません……!」


「ん?」


 声をかけたクラスメイトが振り返った時、僕は声をかけたことを猛烈に後悔した。

 初めて間近で見て分かっていたのだが、普段司波さんと話すだけあって彼女もそれなりに可愛い。


 しかも司波さんとは違った雰囲気で、清楚な感じもある。

 だが表情とか見ていて、少しだけ小悪魔っぽいような何というか、僕の苦手なタイプではないかと思った。


「え、えっと……」


 しかし声をかけたからには今更引き返せない。

 だがよく考えたらどうして僕がこの人に声をかけたのかさえよく思い出せなかった。

 もしかしたら最初から考えなどなく、ただ身体に動かされるままにここへやってきたのかもしれない。


「あれ、キミってもしかして最近良くりんと一緒にいる……倉田くん、だよね?」


「あ、はいっそうです! えっと……」


「あれー? もしかしてアタシの名前覚えてくれてないー?」


「す、すみません……!」


「いいよいいよっ、別に気にしてないから」


 そう言いながら笑うクラスメイトはさすがにイケてる部類に入るだけある。

 僕が緊張しないように気さくな感じでどれだけのコミュ力があればここまで出来るんだろうと思わず感心してしまう。


「アタシは東雲しののめ 杏子あんずよ。杏子って呼び捨てしてくれてもいいから!」


「分かりました東雲さん」


「ってノリ悪いよっ」


「い、いやこれがお約束かと思いまして……」


「何のお約束なの!? ……ふふふ、亮くんは面白いんだね」


「普通……いやそれ以下だと思いますけど」


「いやー面白いね。凛が目を付けるのも無理ないかも」


 そこで僕は首を傾げる。

 この際名前呼びされたことはスルーの方向で行こう。

 いちいち気にしていたらこっちの身が持たない。

 それよりも司波さんが目を付けるとは一体どういうことだろう。


「あ、それで亮くんはアタシに何か用事でもあったの?」


 しかしそれを聞く前に東雲さんは話題を変えてしまう。

 ただこれでようやく本題に入ることが出来る。

 ……本題ってなんだったっけ。

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