第5話再会

「わかったわ。毎月例会があるから気軽に

来て見て下さい。私も一緒、安心してね」

「わかりました。よろしくお願いします」


「ああ、その時。この秋の作品展のことを

考えておいて下さいね」

「いえいえ、とんでもない」


「中国の水郷地帯をスケッチ旅行してきたと

主人が言ってたわよ」

「そうですか。じゃあ、がんばってみます」


「よろしくお願いします。才能があるって主人

も私も見抜いてるんだから」


本庄は丁寧に頭を下げて画廊を出た。

人物はどうしてもしり込みしてしまう。

本庄は真剣に人物画の色付けを習得したいと


思った。あの理髪店のおかみさんの絵だけは

なんとしても完成させたい。

本庄の一念に熱気がこもってきた。


スケッチの会は50人ほどで約半数の会員が

参加するらしい。画廊の教室を借りて毎月行われる。

若い人もいるが中年以上が多い。


モデルは主に若い女性だ。沈黙の中で鉛筆の音だけが

静かに聞こえる。中に本庄と友人の奥さんの姿も見える。

しばらくして奥さんが眼で本庄に合図した。


二人で教室を出て画廊に入る。奥さんはタバコに火

をつけて一服すると、


「水郷のスケッチを見せてもらって分かったわ

本庄さんの魂胆が」

「魂胆?そうですか」


「すばらしいじゃない『上海水郷朱家角』で出品

してみましょうよ。私も推薦するわ」

「それはどうも」


「あの最後のご婦人の絵をのぞいて、すべて

すばらしく淡い色彩が施されているのに、

人物の色彩に関してはまだ自信が無い。そういうことね」


「そう、そのとうりです」


「きれいな人じゃない?私やきもち焼きそうだわ。

特にあの瞳がいい。何かこう瞳の奥に執念のような

物がかいま見えて。ねえ、あのひと誰?なんて


野暮なことは聞かないから、絶対に秋までに完成

させてね、おねがい。この2作品を水郷朱家角

としてノミネートしておくわ」


「はあ、しかしまだ人物には全く自信が無くて」

「大丈夫、この私がついているから。

特訓よ、この半年で。絶対入選確実!」


本庄は自信なさげにうなづいていたが、

奥さんはタバコの火をもみ消すと、


「さあさあ特訓よ。人物は難しいんだから」

といって本庄を教室へ連れ戻した。


本庄は朱家角の理髪店のおかみさんの色づけは

しばらく後回しにして人物の水彩に力を入れた。


春のシーズンが終われば又店は暇になる。

裸婦も含めて人物画に果敢に挑戦した。


夏の終わりにやっと自信がついてきて、おかみさんに

色彩を施した。快心のできである。

放生橋からの景観と共に出品した。


フランスから帰国したばかりの友人も、

「これはすばらしい」

と推薦をしてくれた。


はたして、本庄の作品は予想通り入選し作品展で

展示された。100を越える出品の中から30点が

入選作として展示される。


1週間の展示期間中、毎日夜になると本庄は

会場に顔を出して鑑賞者の反応を楽しんだ。


最終日、そろそろ片付け始めようかという時に、

若いカップルが本庄の絵を見つめていた。


「上海水郷てのは分かるけど、この女の人のどこが水郷なの?」


本庄ははたと胸を突かれた。

『そうか、朱家角は水郷と女性の姿が合体しないと

完成は無いのかもしれない』


本庄は決心した。何が宿命なのかはその時分からなかったが。


『この冬、水郷を背景にあのおかみさんの肖像画を描こう。

水郷に生き抜く宿命の中の真実の眼差しを描くのだ』


片づけが終わる頃友人と奥さんが本庄の所へ来た。

「本庄おめでとう」

「大盛況だったわよ。本庄さんの水郷は特に好評。

来年もお願いできるわね」


「ええ、来年は『朱家角の女』という題で1品だけ

出品させていただきたいと思います」

「おっ本庄、ついに本音が出たな」


「1作品だけじゃだめよ。2つは出してね」

「いえ、1作品でも描きあげられればと思います。

もし描けても入選できるとは限りませんし、


その女の人がもういないかもしれません。

だけど今は『朱家角の女』という題で1作品、

なんとしてでも仕上げたいと思っています」


熱を帯びて話す本庄に友人夫婦はあっけに取られ、

「どうかしたのか、本庄は?」

「多分あの女性のことでしょう」

「なるほど」

と納得した。


あわただしい秋のシーズンも終わり本庄は12月

大阪から上海行きの船に乗った。朱家角へのはやる

思いを抑えて仕入れの義烏へ向かった。


今年は間違えずに4千本を仕入れて朱家角へ向かった。

去年と同じ曇天だ。バスを降りる。背中にリュック。

両手にスケッチブックと額に入れた2枚の絵を持っている。


バス停から路地裏へ。あった。去年と同じ『理髪』の文字

と理容のマーク。扉を開ける。誰もいない。

壁に去年描いたラフスケッチが飾ってある。


「有人阿?」(だれかいますか?)

大声で叫ぶ。奥から懐かしいおかみさんの声。

「シェーイ?」(どなた?)


「リーベン、ヤ」(日本人です)

「えっ、ほんと?」

「ほんとだよ。元気?」

「元気よ。又ほんとに来てくれたのね」

「ああ、またきた。またまた来る」


本庄は入選作の包みをほどいた。佳作と貼ってある。

おかみさんは笑みを浮かべて本庄の手元を見つめている。

額に入ったおかみさんの色彩を施した絵と、


放生橋からのすばらしい絵が現れた。

おかみさんは感極まって本庄に

思いっきり抱きついていた。

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