第3話放生橋

この運河の北のはしに中国と西洋の

建築を融合させた農村主体の課植園

という植物園が有る。


霧雨の中、園内の庵でしっとりとした

冷気を感じながら、自分は今一体何を

しているんだろう?と考えたりする。


数千年の昔から長江の度重なる大洪水

にもめげず生き抜いた古代人達。数々の

遺跡が幾層にも重なった古い地層から

最近発見されている。


眼を閉じれば春秋呉越の時代から六朝、

南宋、明、清へと。近代の日中戦争に

内戦、文革と悠久の歴史を深呼吸すれば


じっと奥底に感じる。眼を開けて再び

庶民の営みを見つめるならば、

そこには不変の人情を感じる。


本庄は歩きつかれてこの夜はぐっすりと

眠った。翌日、曇りではあるが薄日も

さして何とかスケッチができそうだ。


この朱家角には絵になりそうな箇所が

幾つかある。朝早めに本庄はスケッチ

ブックを持って放生橋へと向かった。


まだ8時半だというのにもう金魚売が待ち構えていた。

船着場の公園に腰をかけて放生橋をスケッチする。

時折団体客が通る。シーズン中はひっきりなしに


中国各地や外国からの観光客が押し寄せるのだろうか?

船着場のおじさんに聞いてみると、

「そりゃもうメニメニピープル!」


と英語で返事が返ってきた。


放生橋は5つのアーチになっていて、

石段は幅広からゆっくりとした傾斜で

上に行くほど狭まっている。


頂上からの景観はこれぞ水郷という感じなのだが、

とてもスケッチどころではない。

何枚か写真を撮って、北大街、途中の小橋、


課植園の運河とスケッチをして歩いた。

明日は上海どまりで翌日は出航だ。

今晩は早めに寝て明日は6時ごろに


放生橋に行ってみよう。

この日も歩きつかれてぐっすりと眠った。


翌朝本庄は夜明け前に目が覚めた。

カメラとスケッチブックを持って

放生橋へと急ぐ。


さすがに誰もいない。黎明、石橋の

頂上からあちこちカメラのシャッター

を切って1番良い角度から3枚のラフ

スケッチを描いた。


完全に夜が明けて最初の金魚屋が現れた

かと思うと次々と物売りが上がってくる。

本庄は3枚目を描き終えて、


課植園の運河、途中の小石橋、城皇廟前

の新橋付近。乗風橋とスケッチして歩いた。


『もう十分だ』


本庄は満足してスケッチブックを閉じた。

朝食のワンタンを一昨日の店で食べる。

これでひと安心だ。


食堂のおばさんが絵を見せろとせがむ。

スケッチブックを開けて見せた。


「すごくうまい!ハンサムリーベンレン」


日本人観光客にはいつもそう言っているのだろう。

この橋はあの橋、ここはあの運河とすぐ分かるらしく

他の住人まで呼んで来た。おばさんは、


「人は描かないの?」

と聞いてきた。本庄は、

「人は難しいからよう描きません」


と言ったが、執拗に私を描いてくれと迫ってくる。

「対不起。我不行」(かんべんして)

ほうほうの態で食堂を出た。


「再来。ハンサムリーベンレン」

皆が笑顔で送ってくれた。



ホテルへ戻る裏通り。

『理發』

と書いた看板に白赤青の理容のマークが目に入った。


まだ時間はたっぷりとある。散髪をして行こうと

扉を開けて中に入った。理容椅子が1台の小さな店。

誰もいない。


「有人阿?」(誰かいませんか?)

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