生死を彷徨う激戦の予感『超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣 第9話』

■5月7日午前7時45分(月曜日) フェアヒラント村の駅付近


 マムートが陣取る現在の場所は、戦闘辞令に記されていた守るべき艀(はしけ)乗り場が在るフェアヒラント村の森と接する東の外れだ。

 其処(そこ)に在るフェアヒラント村の鉄道駅近くの茂(しげ)みで、三日(みっか)前の5月4日の夜から森を背後に鼻先を街道に食(は)み出して構えていた。

 此処(ここ)からなら、南西隣のディアベン村と南の森まで1㎞から2㎞、東のニーレボック村から南東の森にかけて2㎞以上は一面の収穫前の馬鈴薯(ばれいしょ)畑と、まだ1mも伸びていない牧草地で、射界が開けている。

 ニーレボック村から南東の森まで僅(わず)かに上り斜面だけど、ほぼ平(たい)らに近い緩(ゆる)やかな起伏(きふく)で交戦には問題は無く、撃ち合いでの流れ弾や跳弾(ちょうだん)が艀乗り場へ飛ぶ心配も無かった。

 フェアヒラント村からニーレボック村への街道の北側は赤松と樅(もみ)、それに白樺(しらかば)が混(ま)じる鬱蒼(うっそう)とした森で、森際には次々と後退して来る国防軍、親衛隊、突撃隊、国民軍などの雑多な兵科の兵隊達の一部が自発的に防衛陣地を作り、責任感の強い第12軍や第9軍の兵士と狂信的な反共思想の外国人義勇兵(ぎゆうへい)達と共に守備に就(つ)いている。だが、後退して来た大半の兵は武器を持たない手ぶらの状態で素通(すどお)りして艀乗り場へと逃(に)げて行く。

 国家の指導者を失って、国防軍や親衛隊の忠誠心(ちゅうせいしん)は惨(みじ)めなくらいに地に落ちていた。

 仲間に背を向けて敵に投降する者や投降を促(うなが)したり脱走を誘(さそ)ったりして防衛の気概(きがい)に満ちている者は、即座に捕(と)らえられて銃殺されているが、今となっては単独でエルベ川へ向かう兵には咎(とが)める事をせず、自由に戦列を離(はな)れさせていた。

 マムートの前を通り過ぎる敗残兵や落伍兵は皆(みな)、虚(うつ)ろな顔で肩を落として腰を曲げ、着古(きふる)して汚(よご)れた軍服の重い足取りで隊伍(たいご)を組む事も無く、生き残る為(ため)だけに重い枷(かせ)になる武器を捨てた無防備さで歩いている。

 敗残の軍人達に、つい先日までの国民を守護する勇(いさ)ましさや思想的侵略を退(しりぞ)ける逞(たくま)しさは、微塵(みじん)にも感じられないが、アメリカ兵がいなくなった昨日の昼頃からは、我先(われさき)に逃げて来た敗残の兵士達でも避難民の婦女子(ふじょし)を優先的に艀へ乗せてエルベ川を渡らせている。

 避難民達には私服に着替えた突撃隊、親衛隊、保安警察隊、政治指導部のナチス党員など、イワンに素性(すじょう)が知れれば、即刻(そっこく)、撃ち殺される連中が大勢混じっているように思え、そんな彼らは乗船の順番待ちを告(つ)げて制止する兵士と優先的に乗り込ませている婦女子や老人を押し退(の)けて、強引に乗船していた。

 純潔(じゅんけつ)アーリア人の優越説でゲルマン民族の社会全体主義による一党(いっとう)政治を布(し)いていたナチス党は、今や国土の殆(ほとん)どを失い、多くの突撃隊や保安隊や幹部党員は私服に着替え、これまで不自由を強(し)いて来た国民達に群れに紛れて告発(こくはつ)や捕縛(ほばく)に怯えながら、エルベ川の河畔で渡河を待っている。

 彼らの無責任さは最早(もはや)、浅ましくて卑劣(ひれつ)というしかない情け無さだ。

 ディアベン村からエルベ・ハーフェル運河の北岸まで南と東側に強固な防御陣地が築(きず)かれていて、ゲンティン市から鉄道沿いにエルベ川へ進軍した敵が何度も運河越えて北上しようとするのを、其(そ)の度(たび)に撃退して防いでいた。しかし、其の勇戦も今日までだろう。

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 昨日の5月6日の未明、午前2時過ぎの深夜にニーレボック村を横切って南の森へ、エンジン音を絞(しぼ)りながら粛々(しゅくしゅく)と移動して行く小規模な戦車隊列の暗い影を見た。

 隊列が森へ消えてから1時間ほど経つと、上空の大気を切り裂く重砲弾の擦過音(さつかおん)が沸騰(ふっとう)したヤカンから連続して噴出す蒸気(じょうき)のように聞こえ、それまでの散発的な射撃音が突如(とつじょ)として爆発音の連続になり、ゲンティンの町方向の雲がボーッと赤く染(そ)まって、ドロドロと重い轟(とどろ)きが雷鳴(らいめい)のように響(ひび)いた。

 北側の森向こうからも重ロケット弾が連続して発射され、夜空に長い炎(ほのお)を引いて南東の森の彼方(かなた)へ落ちていった。

(既(すで)に、ソ連軍に占領された街だけど、この僅かに残されたドイツの国土への攻撃に軍団が集結中で、それを挫折(ざせつ)させる我が軍の反撃に必要な準備砲撃だからって、折角(せっかく)、生き残って居続(いつづ)ける事が出来た住民の多くを巻き込んで殺傷(さっしょう)すべき事なのだろうか? どれだけの砲弾が正確に敵に損害を与えて、何人の住人が殺された事だろう? 戦争は何て無慈悲(むじひ)で理不尽(りふじん)なんだ……)

 あの街で出合った人達を思うと、涙が溢(あふ)れて、ポロポロと零(こぼ)れて行った。

 けたたましい重ロケット弾の破裂音が途絶えて暫(しばら)くすると、燃える町の暗(くら)い炎を背景にした森の木立の先に幾(いく)つかの信号弾の瞬(またた)きが見え、再び上空に擦過音が聞こえたと思うと、業火(ごうか)に焼かれる町を執拗(しつよう)に落下する重砲弾が、更に地獄の破壊を齎(もたら)した。

 明け方まで、時折(ときおり)、森の向こうから激しい砲声と銃声が聞こえ、其の閃光(せんこう)で夜空の雲が平和な時の繁華街(はんかがい)みたいに明るく照(て)らされて見えた。

 ゲンティンの町への戦車隊による反撃は知らされていなくて、マムートの出撃要請も無かった。

 この超重いマムートを暗夜に戦闘速度で走らせたりしたら、忽(たちま)ち道路を破壊してスタックしてしまい、攻撃の戦力どころか、作戦の障害にしかならないに決まっている。

 現(げん)に走行して来た街道は、あちこちの路肩(ろかた)がマムートの重量で破壊されていた。

 此処で待機している事は、フェアヒラント村に着いた時点で防衛司令部へ報告してあるから、出撃要請が来なかったのは、マムートが攻撃任務に不向きだと理解されているのだろう。

 反撃に出た戦車は1台も戻って来ていない。だけど、彼等は出撃準備中の敵戦車軍団を撃破して昨日の朝から今までの間、ソ連軍に前進を躊躇(ためら)わしてくれて、其の御蔭(おかげ)でフェアヒラント村に集まって来ていた2万人以上の敗残兵や避難民は、昨日から強行された全面渡河によってエルベ川の西岸へ逃れる事ができた。

 其のドイツ軍の反撃はソ連空軍機の大群を招(まね)いて、薄曇(うすくもり)の昨日は昼間の空に群れた雀(すずめ)のようにソ連機がダイブして銃撃と爆撃を繰り返した。

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 射撃と爆発の音は徐々に近付いて来ているから、間違いなく今日は、森を突破してソ連軍が襲(おそ)って来るだろう。

「警戒しろ! もう直ぐ、ソ連軍が攻めて来るぞ! それも、1時間足(た)らずの内にだ!」

 頭に掛けているレシーバーから耳の奥へ緊張気味のメルキセデク・ハーゼ軍曹の声が響く。

 北方の道路橋の架(か)かるタンガーミュンデの町や鉄道橋の在るシュトルカウ村の辺りからは、間断(かんだん)なく砲声、爆発音、機関銃や対空砲の連続した発射音、蠅(はえ)が群がるような飛行機の爆音が聞こえていて、時間の経過とともに激(はげ)しさを増していた。

 今や第12軍を主体にしたエルベ川東岸の半径3㎞しかない半円形防衛陣地は、崩壊(ほうかい)し始めている。

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 アンブッシュ位置へマムートを案内してくれた守備兵達の話では、連合軍と協定が取り決めが交(か)わされた昨日の早朝まで、ソ連軍の攻勢を阻(はば)みながら巧(たく)みに後退して来た第12軍と第9軍の生き残りの国防軍兵士のみが投降してエルベ川の渡河を許されていた。

 それが、二日(ふつか)前から散発的に渡河を妨害するソ連軍の砲撃が西岸にも着弾し始めて、アメリカ軍は自軍の人員被害の発生を恐(おそ)れて川岸から2㎞ばかり後退してしまった。

 まだ、逃げずに遠くの森で戦う兵士や森の際で敵を待ち構える兵士達は、陸軍や空軍の老練(ろうれん)な指揮官に率(ひき)いられて、最新の装備を維持(いじ)する高射砲部隊や対戦車砲を持つ猟兵グループと、どう見てもドイツ人じゃない顔付きばかりの武装親衛隊の擲弾兵達だ。

 兵科も雑多(ざった)な個人や二、三人(に、さんにん)の仲間連れで残る兵士達もいて、彼らは小銃よりも突撃銃や短機関銃、それにスコープを備(そな)えた狙撃銃(そげきじゅう)を持つ者が多い。

 目付きの鋭(するど)い戦闘慣(な)れしたベテラン兵ばかりで、臨機応変に戦う意志の強さと頼(たの)もしさを感じてしまう。

 西部戦線や東部戦線で、イタリアや北アフリカでも、転戦を繰り返して散々長い戦争を戦い抜(ぬ)いて来たのに、500mほど西のエルベ川対岸にはアメリカ軍が何日も前から陣を敷き、南から北東までの3㎞以内にソ連軍が押し寄せて来ている今、少しでも多くのドイツ人を西側の文明圏へ逃す為の、この敵に奪(うば)われていない僅かなドイツの土地を自ら進んで後衛として踏(ふ)み止(とど)まり、絶望的な防衛戦闘に命を捧(ささ)げようとしている。

 早朝に無線のスイッチを入れると、目新しい戦闘状況の報告や指示は無くて弾薬の補充(ほじゅう)や負傷兵の後送(こうそう)を要請する声ばかりで、それならと周波数をラジオに合わせたら、繰り返しドイツが無条件降伏に調印した事を伝えていた。

 ヨーロッパに於(お)ける大戦終結の世界的ビックニュースだけれど、実感が全(まった)く湧(ゆう)か無くて、『ああ、これで終わりか、やっと終わった』としか思わず、川面(かわも)に小石を投げて5、6回跳ねさせた程度の極(ごく)普通の感動だった。

 メルキセデク・ハーゼ軍曹の指示でスピーカーのスイッチを入れて車内へ流しても、皆(みんな)は喜びの声を上げず、ただ安堵(あんど)の、『ふぅーっ、終わったか……』と、溜(た)め息混じりの呟(つぶや)きが聞こえて来るだけで、直(す)ぐに今日の為すべき事を考えて、誰もが黙(だま)り込んだ。

 無条件降伏してくれた御陰で本日、これで戦争は終わる事になったけれど、まだ戦闘は続いていて、本当に銃火が止む停戦が今夜の夜半過ぎになるだろうと、ラジオは伝えていた。

 もう、何もせずに無抵抗で投降して捕虜となれば、生き残れる可能性は大きいと思う。

 我が国は無条件降伏した。だけど、ドイツ帝国の1戦闘単位としての義務を放棄して何も果たさないまま、降伏する訳には行かない。

 弾薬が尽(つ)きるまでか、戦闘機動ができなくなるまでは、此処で攻め込んで来るソ連軍を射竦(いすく)めて、船着場がソ連戦車に蹂躙(じゅうりん)されるギリギリまで防衛戦闘に徹(てっ)しなければならない。

 それに、目の前の道路を西方へ逃(のが)れて行く女子供と老人ばかりの避難民達を、野蛮(やばん)なロシア兵どもから守り通したいと強く願っていた。

 防御線を築く雑多な古参兵達の他には少数だけど、地元の地域防衛隊の年輩兵やヒトラー・ユーゲントや女子青年団の制服姿の少年や少女もいて、近くの線路沿いの浅い窪地(くぼち)にファストパトローネを持って潜(ひそ)んでいる。

 見たところ、小銃は数丁だけで拳銃や手榴弾も持っていなくて、ファストパトローネ以外に対戦車兵器を装備していないし、索敵(さくてき)に必要な双眼鏡すら無かった。

 シュパンダウ地区の悲惨な市街戦を思い出させる彼らには、『この戦車が後退する時に一緒(いっしょ)に逃げるんだ』と、強く言っておいた。

 こんな見通しの良い場所で、射程の100m内まで接近した敵戦車へファストパトローネを発射してから、エルベ川まで何の遮蔽物(しゃへいぶつ)も無い畑を300mも走って逃げるなんて、自殺行為も甚(はなは)だしい。

 有効射程が500m以上の機関銃から1分間に500発以上も発射される直径7・62㎜の弾丸は1秒間に800mも飛び、其の火線に捕らえられた彼らは、畑の土の上を1分以上も掛けて300mを全力で喘(あえ)ぎ走る間に、衣服を着た身体を易々(やすやす)と貫通して打倒(うちたお)されるだろう。

 彼らが撃ち放ったファストパトローネで破壊されなかった戦車と迫(せま)っていたロシア兵の数だけ機関銃が火を噴(ふ)き、其の銃火から誰(だれ)も300mを走り切って遮蔽物(しゃへいぶつ)になる家屋や土手(どて)まで辿(たど)り着いて隠(かく)れる事はできない。

 負傷して倒れても追い付いたロシア兵が遺体(いたい)と見境(みさかい)なく撃って止(とど)めを刺(さ)すから誰も生き残れないし、ロシア兵は重症で歩けない負傷兵を捕虜にする事はないと、軍曹は自身の戦場経験から言っていた。

 思想教育とプロパガンダで戦いを強要(きょうよう)された老人も、まだ、子供の彼らも、僕達も、希望の持てる明るい未来にする為に生き残るべきだろう。

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「アル、線路の右側、南の森と丘を見張れ」

 軍曹の指示がレシーバーに響く。

「ダブリスは、線路の左側から送電線の鉄塔で切り開かれた森辺(あた)りまでを見張るんだ」

 車内会話用に頭に掛けたインターカムのヘッドホンのレシーバーから軍曹の命令が聞こえ、直ぐに首に付けたマイクロホンを喉(のど)の声帯辺りに押し付けながら、下がるコードに付いた胸元のスイッチを入れて答える。

「了解!見張ります」

 ダブリスと共にハッチから顔だけを出して双眼鏡で索敵する。

 村の中心へ続く街道には、もう僅かな避難民や兵士しかいない。

 彼らは歩くというより、小走りで船着場へと急(いそ)いでいる。

 双眼鏡を艀乗り場へ向けると、ずいぶんと人が減(へ)っているように見え、後衛戦闘をしながらでも脱出のボートに乗れそうだと思った。

《まあ、今日の防衛戦を遣り遂(と)げて、生きていればの話だが……。ボートも浮(う)くのが残っているといいけどなぁ……》

 南の線路の果(は)てになるディアベン村は、閃光(せんこう)や爆煙が増えて来ていたが、まだ、後退する友軍や接近する敵軍らしき動きは見えず、気持ちにブランデンブルク市からの数日を振り返る余裕(よゆう)を持てた。


つづく

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