守れそうにない再開の約束『超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣 第8話』

■5月7日午前7時30分(月曜日) フェアヒラント村の駅付近


『雨や陽(ひ)が当たると傷が疼(うず)く』と言って、バラキエル・リヒター伍長から『目立って発見され易(やす)いからやめて下さい』と乞(こ)われているのに、ゲンティンの町のエルベ・ハーフェル運河を越えた所のアルテンプラトウ村で、ソ連の威力偵察隊と交戦した際(さい)に拾(ひろ)った水色の日傘(ひがさ)を、キューポラの銃架(じゅうか)に括(くく)り付けて差している。

「もう直(す)ぐ、街道から来る敵がニーレボック村を攻めるぞ!」

 其(そ)の声にニーレボック村から森への街道を双眼鏡で眺(なが)めると、走って村へ急(いそ)ぐ避難民達と、たぶん、地雷(じらい)を埋(う)め終わったように見える工兵達が村近くの陣地へ走って行き、森を抜(ぬ)けて来る街道はバリケードと対人、対戦車の地雷で封鎖された状況が分かった。

 でもそれは、精々1時間足らずの時間稼(かせ)ぎにしかならないと、僕達は知っている。

 ソ連軍の工兵隊が埋設した地雷と仕掛けた爆薬を除(のぞ)いてバリケードを爆破すれば、ロスケの戦車群が怒涛(どとう)の如(ごと)く突破して来て、多勢に無勢のニーレボック村と森の防御陣地は、奴(やつ)らの突撃榴弾砲の直接照準で粉砕される。

「街道を来る奴、森を抜け出る奴、送電線沿いに来る奴、線路から来る奴、見付けた敵戦車は、直ぐに報告しろ! 全部、こいつの大鎌(おおがま)で刈(か)り取って遣(や)る!」

 双眼鏡を覗(のぞ)くメルキセデク・ハーゼ軍曹の緊張した命令調の言葉に、青褪(あおざ)めた不安顔のビアンカが僕を見上げた。

「ビアンカ、戦闘になる前に、艀に乗って向こうへ渡るんだ。あそこだ。村の左端、家並みが途切れる辺りに乗り場が在る。ほら、人が大勢見えるだろう。軍の舟艇(しゅうてい)も集まっているから、きっと大丈夫だ」

 ビアンカは僕が指差す方を見て、眼を凝(こ)らしたが、彼女と手を繋(つな)ぐ妹と弟の不安で悲しげな小さい顔が僕を見詰めたままでいる。

 両親と離れ離れになった不安で駄々(だだ)を捏(こ)ねると、姉に宥(なだ)められ、励(はげ)まされたりしながら、やっと此処(ここ)まで来たと、そして、もう歩きたくないと、二人(ふたり)の表情が僕に言っていた。

 この先、『お母さんとお父さんに、いつ会えるの?』と、訊(き)かれるビアンカは眼に涙を湛(たた)えながら、『戦争が終われば、直ぐに会えるわ。だから、もう少し、我慢してね』、そう言って自分自身も慰(なぐさ)めるのだろう。だけど、アメリカとイギリスがエルベ川の西岸まで来たのにベルリンを攻撃せずに進撃を止めたのは、きっと、ソ連との取り決めが有るからだろうと、僕達は察(さっ)していた。

 だから、終戦後もソ連軍占領地へ入れないし、其処(そこ)に在る自分の住まいへも戻れないと思う。

 まして、ナチスドイツの国家社会主義と同様に、個人よりも全体と連帯を優先する共産主義から逃げて西方へ避難したドイツ人は尚更(なおさら)、自由に行き来できるはずがないと考えている。

「おっと、そうだ。これをあげるよ。其の子達がムズがったら、これを咥(くわ)えさせるといい。そして、これも」

 僕は一旦車内へ入り、沢山積み込んだ戦闘食の中から包(つつ)みを三つチョイスして抱(かか)えると、坂の様に傾斜した擬装の枝葉で覆われる前面装甲板の際まで行って、袋から取り出したチョコバーとフルーツバーを子供達の口へ入れてやる。それから、ビアンカを後ろ向きにさせ、すこし余裕が有りそうなリュックサックの中へ戦闘食の包みを無理やり入れて、ビアンカの首へも既に満タンにしてある軍用水筒を掛けてあげた。

「少し重くなるけれど、これは必要だからな」

 そして、自分のポケットを膨(ふく)らませていたチョコバーとフルーツバーを、彼女の裾(すそ)と胸のポケットへ幾(いく)つも押し込んだ。

 妹と弟に手を繋がれて両手が塞(ふさ)がっている彼女の胸ポケットへ入れる袋入りチョコバーから、ささやかな胸の膨らみの弾力を指に感じて、僕は戦闘以上に緊張(きんちょう)してしまう。

 それを悟(さと)られないように、入れ終えても目を伏せて無言でいた。

「あっ、ありがとう。アル」

 耳障(みみざわ)りの良い優(やさ)しい彼女の言葉に、ゆっくり顔を上げると、緊張と強張(こわば)り続きで青褪(あおざ)めていた彼女の顔が少し緩(ゆる)んで、今は赤味(あかみ)を帯(お)びている。

「川岸までアメリカ兵が来ていたから、ロスケは無差別の大規模な砲撃はして来ないと思うけど、川を渡って逃げようとする人達を直接照準で狙(ねら)う無慈悲(むじひ)な砲撃はして来るから、敵から見えないように村の中を行くんだ」

 昨日の朝、徹甲弾と榴弾を装填し易くする為(ため)に並べ替えると言うラグエルとイスラフェル、それに敵が森を越えて来た時の用心にバラキエル・リヒター伍長をマムートに残して、僕とダブリスはメルキセデク・ハーゼ軍曹に付き添(そ)いを命じられて、エルベ川までの路面状態を確認しながらフェリー乗り場の状況や川岸の状態を一緒(いっしょ)に見て回った。

 其の時に見た事も伝えて、少しでも彼女を安心させたい。

「船着場で炊(た)き出しをしているけれど、そんなのに目もくれずに渡しの艀(はしけ)に急いで乗るんだ。兵隊達が女の人と子供達を優先して乗せているよ」

 突然に僕は、自分の成すべき事を理解した。

 『なぜ、兵役年齢に達しない僕が召集されて、大通りの爆弾痕の窪(くぼ)みに身を竦(すく)める僕は、何を守って戦うのか?』、ファストパトローネの教練を受けた時から、ずっと疑問で考えていた。

(両親を、友達を、街を、守る為? この国を、今の暮らしを、守る為? 違う!)

 こんなずっと戦争をして、個人の自由は無く、団体協調に従わせるだけの、閉じ込められたような圧迫感だらけの生活をさせる国なんて、ちっとも守りたくなかった!

 指導者の指示に全体が無垢(むく)に従(したが)う歪(いびつ)な国よりも、戦火を逃げ延(の)びて来た彼女を川を越えて西方の自由へ行かせる為に、僕が此処にいるのだと知った。

(そうだ! 必ず彼女にエルベ川を渡らせて、希望と安らぎに満ちた、自由で明るい安全な場所に彼女達が迎(むか)えられるように、僕は戦い、彼女を守る!)

 手に持っていた、もう一(ひと)つの水筒からコップに水を注(そそ)いで、妹、弟、彼女と順番に飲ませた。

 携行(けいこう)している水筒にも、ビアンカに渡した水筒にも、暁(あかつき)に沸(わ)かした熱湯を入れて寒さ凌(しの)ぎの湯たんぽ代わりにしていた。

 今は調度、飲み頃の温(あたた)かさになっている。

 マムートの前を無言で通り過ぎて行った避難民達が、ソ連軍の攻勢を察してザワ付くと早足で先を急ぎだした。

 家財道具を積んだ荷車の者達は荷物から貴重品(きちょうひん)を入れた大きなカバンだけを抱え、荷車は捨てて行く。

 歩き難(にく)い畑の中を船着場まで一直線に行こうとする者や、不安と恐怖で悲鳴を上げて駆(か)け出す者もいる。

 直に船着場は、急いでエルベ川を渡ろうとする大勢の避難民でパニックになってしまう。

 ビアンカ達を急がせないといけない。

「さあ、早く行くんだ。1時間くらいでイワン達が攻めて来るぞ! それまでに渡るんだ!」

 彼女が行く向こう側は、自由と開放の夢とチャンスが一杯の民主主義の国、アメリカ合衆国だ!

「うん。じゃあ、行くね。アル……、生き残ってね。絶対。……向こうで待っているから」

 決(けっ)して其処は、中世から引き摺(ず)る封建(ほうけん)制度の主従(しゅじゅう)関係が戦争終了後も蔓延(はびこ)る雨と霧ばかりのブリテンではなく、希望に満ちた明るい新世界だろう。

 国民の全てが平等ではなく、貴族(きぞく)とか、平民(へいみん)とか、人々を分け隔(へだ)てする統治体制の政治は、社会経済の衰退(すいたい)を招(まね)くだけで、未来永劫(えいごう)の繁栄(はんえい)を国民に齎(もたら)す事はないと、僕は思う。

「ああ! 約束する。大丈夫だよ。上手(うま)く渡り終えたら早く川岸から離れるんだぞ! そして、流れ弾に当たらないように窪地(くぼち)に伏せているんだ!」

 彼女達がエルベ川の西岸へ渡ってしまえば、直ぐにアメリカ兵達が保護してソ連軍の射程外まで運んでくれるだろうから、水量豊かな深くて流れの速いエルベ川の冷たい水を渡る事の方が心配だった。

 もしも、艀から水中へ落ちたりでもしたら、沈む体は直ぐ遠くへ流されてしまって、助けられる見込みは無い。

 金属のコップを返した手で僕の頬(ほお)に触れた彼女は、寂(さび)しげな中に希望を滲(にじ)ませて微笑む顔を頷(うなず)かせると、僕達へ手を大きく振った。

 そんな、手を振る姉の姿を見て、妹と弟のチョコバーとフルーツバーを握る小さな手が釣(つ)られて、僕にバイバイする。

 『もうちょっとだから、行うね』と、妹と弟の手を引き、向きを変えさせながら、僕を見る作り笑いみたいに微笑む顔がニッコリと笑う。

「先に行って、待っているわ」

 そう言うと、ビアンカ達三人は艀乗り場へ向かって歩き始めた。

 姉に手を繋がれて引っ張られるように、妹と弟が小さな歩幅(ほはば)で歩く。

 去り行く彼女達の横顔が明るく笑っている。

 僕が声を掛けた時とは全く違って楽しげになった彼女を見ていて、僕は自分の想いに気付いた。

(ビアンカ! 彼女は、僕の生きる希望と光に満ちた未来だ!)

 今日の逃れられない戦いでマムートが撃破され、爆発や断片や銃弾や炎で酷く傷付いて僕の世界が終わったり、打ち倒されて捕まったりする、暗澹(あんたん)たる日々で終焉(しゅうえん)になるかも知れない不安に怯(おび)えるより、彼女の言葉を信じて、僕達の明るい未来への希望を持ちたいと思う。

「ヒューッ!」

 背後から一斉に口笛が吹かれると、それを合図にダブリスがエンジンを再始動させた。


つづく

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