砲塔に描かれた青いマンモスの絵 『超重戦車E-100Ⅱの戦い 前編 マムートの初陣 第5話』

■5月7日午前7時30分(月曜日) フェアヒラント村の駅付近


 ほんの数日前に、ブランデングルク市の大きな病院の前庭の隅で、密(ひそ)かに脱走して西方のエルベ川を越え、アメリカ軍に投降しようと考えていた。

 ……なのに、こんなデカイ戦車に乗せられて僕は参(まい)っている。

 今直(す)ぐ、ビアンカ達を手助けして、一緒(いっしょ)にエルベ川を渡りたいと思うけれど、渡し場を守る義務が、それを許(ゆる)さない。

 既(すで)に僕は、マムートが圧倒的に強力な火力を放つのを知っているし、其(そ)のマムートの重装甲は、きっと敵弾に耐(た)えてくれるだろうと思っている。

 敵前逃亡したかも知れないブランデングルク市の防衛線で戦い抜(ぬ)くより、マムートの中なら、ずっと生き残れる確率が高いと、今の僕は考えている。

 武器を捨てて逃げても、逃亡兵狩りの処刑班(しょけいはん)に見付かれば、ひしゃげた街灯か、焼け焦(こ)げた街路樹(がいろじゅ)の枝から、殴(なぐ)り書きした謝罪文(しゃざいぶん)のプラカードを掛けてブラ下がってしまう。

 少しでも敗北主義者的な言動や怪(あや)しい行動を疑(うたが)われたら言い訳は無意味で、其の場の即刻(そっこく)裁判で死刑だ!

 10、11歳の少年や少女でも平気で吊るされる!

 逃亡しようとすれば行き成り射殺だ!

 此(こ)の期(ご)に及んでも裏切者を処刑する死刑の執行(しっこう)で体制を維持する秩序(ちつじょ)を保(たも)とうとする、そんな親衛隊の奴(やつ)らによって、シュパンダウで逃げたヒトラー・ユーゲントの仲間の何人かが、そうして殺(ころ)されているのかも知れない。

 僕はビアンカに、クラスメイトの男子達がシュパンダウで死んだか、行方不明(ゆくえふめい)になったのか、戦闘後に誰(だれ)も見ていない事を言わない。

 大通りで戦っていた男子の半数と、彼女は小さい頃に遊んだりしていたから、ビアンカの良く知っている連中だ。

「おいアル、聞こえているぞ。オレ達は義務(ぎむ)を果たすまで、逃げないのだからな!」

 横で操縦者用ペリスコープのレンズ汚れを拭(ぬぐ)っていたタブリス・クーヘンが、僕の弱音(よわね)を非難するように誓(ちか)いの言葉を言う。

 クルップ社の工員で操縦を担当(たんとう)している三(みっ)つ年上の17歳の彼は、遥(はる)か西方のパーダーボルン市の工場からマムートを運んで来ていた。

(ちっ! 耳歳増(みみとしま)のダブリスめ、聞いていたのか)

「わかっています! みんながエルベを渡るまで、頑張ります」

(お前こそ、全弾を撃ち尽(つ)くすまで逃げんなよ)

 今度はビアンカへ向き直って、『僕達の為(な)すべき事は簡単で、直ぐに終(お)えるから、そうしたら皆(みんな)で逃げる』という意味で言う。

「全弾と言っても、残り25発しかないけどな。ラグエルとイスラフェルがギックリにならずに弾込めのしてくれりゃあ、砲手のバラキエル・リヒター伍長(ごちょう)が、40分も掛からずに全弾命中させて、大戦果さ」

 同軸機銃は、1分間に1200発も発射するMG42になっていたから、銃身がオーバーヒートしないようにすれば、装填(そうてん)されているベルト給弾の7・92㎜弾の3000発も、直ぐに撃ち終えてしまう。

 どっちにしろ、メカニカルトラブルや被弾で砲塔が回らなくなったら、即(そく)、脱出だ。

 本来なら装備や戦力を他言(たごん)するのは、重大な機密(きみつ)漏洩罪(ろうえいざい)に問われて拘束(こうそく)され、軍法会議行きだ。

 軍曹や他の誰もが僕に注意しないのは、既(すで)に軍律(ぐんりつ)や秩序(ちつじょ)を維持(いじ)していない母国の軍隊と政治の無意味な状態に、最早(もはや)、義務を果たすべき戦闘が今日まで……、いや、あと数時間以内だと知っているからだ。

 ドイツは降伏してしまい、もし、僕達が戦闘可能な状態で生き残っていても、今日の夜半(やはん)に全ての戦闘は停止、武器弾薬は全部放棄(ほうき)しなければならない。

(今さら、機密保持の軍規なんて、どうでもいい)

「おい、ボクと嬢(じょう)ちゃん。朝早くから歩き通しで、寒かったろう。こっちへ来て、温(あたた)かいミルクでも飲みよ」

 マムートへ近寄って来たビアンカ達に気付いた装填手のラグエルとイスラフェルが、僕とビアンカに気を利(き)かして幼い妹と弟を少し離そうと誘(さそ)ってくれる。

「今朝の搾(しぼ)りたてのを、さっき、朝食(ちょうしょく)で熱くしたから、今なら飲み頃に冷(さ)めて、小さな子供でも飲み易いと思うぞ」

 ラグエルが飲み頃になった新鮮なミルクを勧(すす)める。

「それに、焼き菓子の残りとチーズも有るぞ」

 イスラフェルは朝飯(あさめし)に誘う。

「さあ、焚火(たきび)の近くに来て、座って温まりながら、飲んで食べな」

 二人(ふたり)は、笑顔と優しい身振りで歓迎(かんげい)してくれる。

「おねちゃん……」

 まあまあの美形で逞(たくま)しい17歳の少年達に優しく誘われるなら、大抵(たいてい)の同年代の女子は靡(なび)いてしまうだろうけれど、幼い子供達には迷彩の軍服姿の大きくて立派(りっぱ)な大人に見えるようで、彼らの優しい誘い方でも、日頃の躾(しつけ)と怯(おび)えから姉の手を強く握(にぎ)り直してスカートの裾(すそ)を引っ張った。

「大丈夫よ。此処の人達はアルの御友達で親切だから、行って、いただいて来なさい。ちゃんと、御礼を言うのよ」

 ビアンカは、妹のヘンリエッタと弟のフリオに手を離させて、二人の背中をイスラフェルの方へ優(やさ)しく押す。

「そして、アルの彼女も、飲んで温まりな」

 安心させるつもりの気遣(きづか)いなのだろう。

 赤面するような言葉を添えて、ラグエルが湯気(ゆげ)の立つコップをビアンカへ差し出した。

「あっ、ありがとうございます……」

 御礼を言って、温め直したミルク入りのコップを受け取ったビアンカは、僕の方へ向き直ると、照(て)れるように笑顔でペロッと舌を出した。

(アル、私、あなたの彼女だって!)

 僕には彼女の笑顔に、そう書かれているように思えた。

「あっ! ゾウさんだあ! お姉(ねえ)ちゃん、青いゾウさんが描(か)いてあるよ! ヘンリエッタも見においでよ」

 ラグエルとイスラフェルに連れて行かれて、甘いクッキーを頬張(ほおば)りながら砂糖入りのホットミルクを飲んでいたフリオが、砲塔の横に絵心が有るダブリスの描いたマスコットを擬装(ぎそう)の為に置かれた枝葉(えだは)の間に見付けて、姉と妹に教える声が聞こえて来た。

「本当だあ、青いゾウさんだねぇ。でも、なんでゾウさんなのぉ? 長いお鼻を真(ま)っ直(す)ぐに伸ばした、大きな牙のゾウさんなの?」

 フリオに促(うなが)されてマスコットを見に行ったヘンリエッタが不思議そうに言う。

 ガサガサとラグエルが擬装の枝葉を寄せてマスコットを丸見えにした。

「これはゾウさんじゃなくて、もっと大きくて毛むくじゃらなゾウの先祖様だよ。マムートっていうんだ。鼻を伸ばしているのはね、戦う姿なんだ」

 フリオに何の絵なのか、イスラフェルが説明する。

「エレファントと呼ばれた大きな戦車が有るけど、このマムートは、もっと大きくて強いんだぞ。原始人の槍(やり)や矢を通さないマンモスの太くて長い毛と厚くて硬(かた)い皮のように、このマムートの鉄板は敵のどんな弾も跳(は)ね返しちゃうんだぞぉ」

 そういえばダブリスは、描かれたマムートの真っ直ぐに伸ばされた長い鼻について語っていた。

「西洋人の描く象の絵は、鼻を下げたのが多いけど、下げた鼻は運気を落とすと、東洋では不吉がられるんだ。だから、運気を上げるには反(そ)り上げた鼻が良いんだけど、やはり、このマムートは真っ直ぐで攻撃的な鼻が似合(にあ)うよな」

 以前、ダブリスが働くクルップ社の工場を見学に来たインド人義勇隊とインド独立の国民軍の将校から、運気を上げる為の絵や置物の話を直接聞いたと、ダブリスは自慢(じまん)気(げ)に言っていた。

「おーい、お嬢(じょう)ちゃんと坊(ぼっ)ちゃん、君達の名前は? それから……歳は幾(いく)つなんだい?」

 弾頭装填手のラグエルが二人に尋ねた。

「私はヘンリエッタ、7歳よ! この子はフリオ、来月で6歳になるわ」

 ビアンカの妹のヘンリエッタが答えた。

「そうか。フリオ君の背負っているのは、もしかして楽器なのかな?」

 ビアンカの小さな弟のフリオは、まだ5歳なのに習(なら)っていた小さなヴァイオリンを入れたケースを背負(せお)って歩いて来ていた。

 嵩張(かさば)る物なのにベルリン市のシュパンダウ地区からエルベ川の畔(ほとり)の此処(ここ)まで背負って歩いて来るくらい、彼にとっては大事な物なのだろう。

 両手に持っていた小さな鞄(かばん)と担(かつ)いでいた小さなリュックサックを降(お)ろしても、まだ背負っているフリオの楽器ケースにラグエルが興味を持った。

「そうよ。子供用の小さなヴァイオリンなの。フリオの大切な物よ。フリオはアパートの上階に住む夫人に1年以上も毎日教(おそ)わっていたの。音色の響(ひび)きはイマイチだけど、ちゃんと弾(ひ)ける曲が有るわ。ねぇフリオ」

「うん!」

 フリオは姉から紹介(しょうかい)されると、返事をしながらラグエルと其の横に来たイスラフェルに音楽会の壇上で挨拶(あいさつ)をする楽士みたいに紳士的な御辞儀(おじぎ)をした。

「へぇー、小さいのにしっかりしてるなぁ。それじゃあ、君の得意(とくい)なのを聴(き)かせて貰(もら)えるかな?」  

 ヴァイオリンと聞いて瞳(ひとみ)を輝(かがや)かせたイスラフェルがフリオとヘンリエッタを見て御願(おねが)いしてから、『いいかな?』と尋(たず)ねる様にビアンカへ顔を向ける。

 どうもイスラフェルは、演奏会が好きな様子で楽器を奏(かな)でるのに憧(あこが)れている様だった。

「フリオ、どう? 弾いて聴かせてくれる?」

 ビアンカが、さっきまで歩くのが辛(つら)くて愚図(ぐず)りそうだったフリオの機嫌(きげん)を伺(うかが)いながら頼んでくれた。

「大丈夫だよ、お姉ちゃん。今、準備するね」

 焚火に中(あた)りながら温かいミルクを飲んだ御陰(おかげ)で悴(かじか)んでいた指と手が解(ほぐ)れていて、背負っていたヴァイオリンを降ろすフリオは、機嫌が良さそうだ。

 ヘンリエッタに背中から降ろすのを手伝(てつだ)って貰うフリオのヴァイオリンは、特別注文で幼児用の大きさに製作されている。なのに、其のケースは、はっきり不釣(ふつ)り合(あ)いだと分かるほどフリオには大きい。

「ありがとう、お姉ちゃん。じゃあ弾くよ」

 調整も手伝って貰ったヘンリエッタに御礼(おれい)を言いながらビアンカに頷(うなず)く弟は、左肩(ひだりかた)の上にヴァイオリンを乗せて首に当て、更に顎(あご)を被(かぶ)せるように構(かま)えて背筋を伸ばし、姿勢を正(ただ)すと弓の毛先の状態をチラ見してから弦(げん)に触(ふ)れさせて弾き出した。

 弦が張(は)り切れていないのか、弦を押さえる彼の指先に入る力が足(た)りないのか、時々、音が震(ふる)えて濁(にご)るけれど、ちゃんと小さいフリオがヴァイオリンを演奏できているのに驚(おどろ)いて感動して仕舞(しま)った。そして、この曲は紛(まぎ)れも無くシューベルツの『野薔薇(のばら)』だ!

 イスラフェルがハーモニカで奏でて旋律(せんりつ)に趣(おもむ)きを感じさせ、ラグエルが低いアルトで歌いながら、土を掃(はら)った履帯(りたい)の上に並(なら)べた工具を小さなハンマーで叩(たた)いて、教会の鐘の音を模(も)した音色を添(そ)えて曲を厳(おごそ)かにした。

 ビアンカは口を大きく開けて綺麗(きれい)なソプラノで今では懐(なつ)かしく思う歌詞を歌(うた)う

 ヘンリエッタは姉の横に並んで姉に負(ま)けない美(うつく)しいソプラノの響きで『野薔薇』を合唱する。

 砲塔に腰掛けたメルキセデク軍曹とバラキエル伍長も歌い、僕とタブリスも車体上に立って歌った。

 警護の少年兵達と憲兵達も口遊(くちずさ)んでいる。

 艀(はしけ)乗り場へと急ぐ避難民達と敗残兵達は、『野薔薇』のメロディーが聞こえて来ると、次々と呟(つぶや)くように歌いながら通り過ぎて行く。

(まだ誰(だれ)もが生きる望(のぞ)みを捨(す)ててはいない……)

 再(ふたた)び『野薔薇』のフレーズのような大地がドイツに甦(よみがえ)って来る事を祈(いの)りながら、誰(だれ)もが『野薔薇』を優(やさ)しく歌っていた。

 暦(こよみ)は5月初旬、季節的に辺(あた)りの野に野薔薇が咲(さ)いていても可笑(おか)しくなかった。

 小さなフリオの弾く『野薔薇』は、僕達の希望の旋律だった!

 --------------------

 避難する人達の間隔(かんかく)が広がりだし、遅(おく)れている列が急ぎ足になっている。

 彼らの後には手荷物を荷馬車の人に頼んで置かせて貰い、急ぐ馬車と伴(とも)に殆ど駆け足(かけあし)で前の列に追い付こうとしている。

「人の列が途切(とぎ)れだしたぞ! ダブリス、エンジンを動かせ。アル、敵さんの無線の傍受(ぼうじゅ)だ。会話が頻繁(ひんぱん)になって、感度も良くなったら知らせろ。ラグエルとイスラフェル、初弾は徹甲弾(てっこうだん)だ。装填しておけ。バラキエル、砲をニーレボック村の方へ向けろ。敵は、走り易(やす)い街道を通って来るだろう」

 車長を担(にな)うメルキセデク・ハーゼ軍曹が、矢継ぎ早(やつぎばや)に乗員達へ指示を出した。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る